6月11日(水曜日)
今朝も、朝食バイキングで一寸食べ過ぎ、8時にホテルを出発。高速で高松ICに10時着。
加代さんが”ここだけ行ければ満足”と言っていた”直島”へ渡るフェリー乗り場(高松港旅客ターミナル)に行ったら、「10時14分発が今出たばかりで、次は12時40分」との事。やはり松山での連泊が不味かった。それでも行く積りで、観光案内所で教えて頂いた直島のタクシー会社へ電話を入れたりしたが、飛行機を松山から乗るので、松山迄の時間を考えると、どうにも時間が合わない。二人で話しあった結果、「今度、女性のグループで岡山の方から来るから今日は諦める。」という言葉に救われた。申し訳ない気持ちで一杯。
そうなると、小雨の降る高松で、”どこに行こう?”となり、朝食をキチンと以上に食べて来たのに、”まず、讃岐うどんを食べよう”という事になり、構内の荷物預かり所の方に「近くに、昔と同じ様に提供している”セルフのうどん屋さん”は有りますか?」と聞いて、教えて貰った店が、駅裏にある「手打ちうどん味庄」へ。80歳になるおじさんが打った”うどん”に自分の好きな”油揚げ”を選んで290円。他にも面白い店は一杯あるのだけれど、これでも満足!満足!。
JR高松駅 駅校内の改札口 特急うずしお(徳島行き) 快速マリンライナー(岡山行き)
高松港旅客ターミナルビル 駅裏の高速バスターミナル 高松市マンホール 「親切な青鬼くん」
讃岐うどん「味庄」 「味庄」店内 うどん+油揚げ 80歳の店主が打つ
時間が余ったので、駅前にある「旧高松城跡」の「玉藻公園」に入り、ゆっくり散策を。今までに2回位入った事は有ったが、ここの堀は、海水を取り込んでいるので、鯉ではなく海の魚が泳いでいるので、堀を泳ぐ魚を見に来るぐらいだった。
「玉藻公園」入口 海との水門 堀端で 堀には海の魚が
エサを買い、堀で海の魚に撒いてやると、鯛の様な魚が集まってきて、鯉のエサと同じものを食べていた。今回はここで帰らず、【披雲閣】に入って散策してみた。
≪披雲閣(旧松平家高松別邸)で、松平藩時代にも、この地に現在の二倍の建物が有り、藩の政庁および藩主の住居として使われていた。明治時代に老朽化した為に取り壊されました。その後、松平家第12代当主で貴族院議長も務めた松平頼壽氏により3年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて現在の「披雲閣」が大正6年(1917)に完成した。この豪壮な和風建物には142畳敷きの大書院をはじめ、槇の間・蘇鉄の間等の雅趣を活かした各部屋があり、波の間には昭和天皇・皇后両陛下が宿泊になられた事もあります。≫
「披雲閣」正面 裏庭の裸の木は? 「高松城北の丸月見櫓」 岩に「ど根性松」樹齢19年
「披雲閣」の裏庭で 大きな踏み石 「銀閣寺手水鉢」長~い柄杓で 「披雲閣」横から
庭の蘇鉄 「披雲閣」の縁側に 一寸アップで 10年位前の航空写真
琴平線・高松築港駅 昭和天皇・皇后お手植えの松 駅前通りのクチナシの花 駅前のサンポート高松
以前、仕事で来ていた当時と高松駅の海側は全く変わってしまい、何だか分らなくなってしまうが、サンポート高松内の土産売り場で最後の買い物をして14時25分に松山へ向けて戻る事に。レンタカーを返し、松山空港内の「坊ちゃん亭」で、”じゃこ天うどん”を食べて、今回の旅行の打ち止めに。
今朝も、朝食バイキングで一寸食べ過ぎ、8時にホテルを出発。高速で高松ICに10時着。
加代さんが”ここだけ行ければ満足”と言っていた”直島”へ渡るフェリー乗り場(高松港旅客ターミナル)に行ったら、「10時14分発が今出たばかりで、次は12時40分」との事。やはり松山での連泊が不味かった。それでも行く積りで、観光案内所で教えて頂いた直島のタクシー会社へ電話を入れたりしたが、飛行機を松山から乗るので、松山迄の時間を考えると、どうにも時間が合わない。二人で話しあった結果、「今度、女性のグループで岡山の方から来るから今日は諦める。」という言葉に救われた。申し訳ない気持ちで一杯。
そうなると、小雨の降る高松で、”どこに行こう?”となり、朝食をキチンと以上に食べて来たのに、”まず、讃岐うどんを食べよう”という事になり、構内の荷物預かり所の方に「近くに、昔と同じ様に提供している”セルフのうどん屋さん”は有りますか?」と聞いて、教えて貰った店が、駅裏にある「手打ちうどん味庄」へ。80歳になるおじさんが打った”うどん”に自分の好きな”油揚げ”を選んで290円。他にも面白い店は一杯あるのだけれど、これでも満足!満足!。
JR高松駅 駅校内の改札口 特急うずしお(徳島行き) 快速マリンライナー(岡山行き)
高松港旅客ターミナルビル 駅裏の高速バスターミナル 高松市マンホール 「親切な青鬼くん」
讃岐うどん「味庄」 「味庄」店内 うどん+油揚げ 80歳の店主が打つ
時間が余ったので、駅前にある「旧高松城跡」の「玉藻公園」に入り、ゆっくり散策を。今までに2回位入った事は有ったが、ここの堀は、海水を取り込んでいるので、鯉ではなく海の魚が泳いでいるので、堀を泳ぐ魚を見に来るぐらいだった。
「玉藻公園」入口 海との水門 堀端で 堀には海の魚が
エサを買い、堀で海の魚に撒いてやると、鯛の様な魚が集まってきて、鯉のエサと同じものを食べていた。今回はここで帰らず、【披雲閣】に入って散策してみた。
≪披雲閣(旧松平家高松別邸)で、松平藩時代にも、この地に現在の二倍の建物が有り、藩の政庁および藩主の住居として使われていた。明治時代に老朽化した為に取り壊されました。その後、松平家第12代当主で貴族院議長も務めた松平頼壽氏により3年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて現在の「披雲閣」が大正6年(1917)に完成した。この豪壮な和風建物には142畳敷きの大書院をはじめ、槇の間・蘇鉄の間等の雅趣を活かした各部屋があり、波の間には昭和天皇・皇后両陛下が宿泊になられた事もあります。≫
「披雲閣」正面 裏庭の裸の木は? 「高松城北の丸月見櫓」 岩に「ど根性松」樹齢19年
「披雲閣」の裏庭で 大きな踏み石 「銀閣寺手水鉢」長~い柄杓で 「披雲閣」横から
庭の蘇鉄 「披雲閣」の縁側に 一寸アップで 10年位前の航空写真
琴平線・高松築港駅 昭和天皇・皇后お手植えの松 駅前通りのクチナシの花 駅前のサンポート高松
以前、仕事で来ていた当時と高松駅の海側は全く変わってしまい、何だか分らなくなってしまうが、サンポート高松内の土産売り場で最後の買い物をして14時25分に松山へ向けて戻る事に。レンタカーを返し、松山空港内の「坊ちゃん亭」で、”じゃこ天うどん”を食べて、今回の旅行の打ち止めに。