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郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

『紀伊半島の秘境大縦断』・第七弾「那智大社・那智の滝」

2013-12-30 00:08:13 | Weblog
 10月21日(月曜日)
 ”熊野古道”から10分も走らないうちに【熊野那智大社】の駐車場に着き、参道にある463段の階段を登ると、途中の”那智山郵便局”へ寄って、そのまま拝殿へ向かう事に。
≪熊野三山の一つ。創建は不明だが、仁徳天皇5年と伝えられる。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。社殿、及び境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部
 参道の石段を登る      那智山郵便局     那智の滝が見えた
  
 途中の「湖泉閣 清涼亭」    「那智山熊野権現」       「那智大社」拝殿
  
       「拝殿」        「那智大社」御朱印 「御県彦社」(八咫烏)    「八咫烏」   
   
樹齢800年の「那智の樟(クス)」    「那智山青岸渡寺」    「青岸渡寺」御朱印
  
 「青岸渡寺」境内から滝を    「青岸渡寺」テラスから     バックに滝と三重塔
  
  「那智御滝 飛龍神社」     「飛龍神社」への鳥居        下が見えて来た
   
   「那智御滝」        瀧の前で       「飛龍神社」    「那智御滝」御朱印 
   
 50年振りに見た”那智の滝”。やはりスケールが大きく、離れているのが残念だが圧倒される。来て良かった。(因みに、落差:133m。銚子口の幅:13m。滝壷の深さ:10m。)
 暗くなりかけている中、45分で二日目の宿「ホテル浦島」へ渡る、那智勝浦港に着き、小雨の降る中、渡船場から連絡船でホテルに渡る。大きなホテルで、迷子になりそう。
    「ホテル浦島」全景       那智勝浦の渡船場     着く頃には廻りは真っ暗
  
 部屋に落ち着いて、温泉に入ってから”食べ放題”のレストランへ行くと真ん中で、「まぐろの解体ショー」をしていたので、何枚か載せて見る。
                    まぐろの解体ショー
  

  
 それ程美味しく食べられる物ではないのは致し方がない。見るだけにしておいた方が。こういう大きなホテルは余り泊まりたくない。ツアーなので文句は言えないが。

『紀伊半島の秘境大縦断』第六弾「熊野古道」

2013-12-29 23:19:13 | Weblog
 10月21日(月曜日)
 「熊野速玉大社」を14時半に出発し、約30分で「熊野古道」の登り口の一つ、”大門坂”駐車場に着く。
これから”熊野古道”を歩くのだが・・・。関所跡の前に、南方熊楠が3年間滞在したという「大阪屋旅館」。その前から「大門茶屋」、夫婦杉を抜けて少し登って行くと、後のスケジュールが詰まっているので、時間の関係で、歩くのは標識の場所まで20分間のみ。”エッもう終わり!”という感じで、”熊野古道”を歩いたと言えるのだろうか?。
  「大門坂」駐車場から    新宮藩の関所跡”十一文関”前     「大阪屋旅館」
  
  関所の先の”猿ヶ瀬橋”   家庭の庭先を通る     「大門茶屋」の前を
  
樹齢800年の夫婦杉 樹齢800年の楠の大樹     石畳を登る     ここで古道歩きは終了
   
 たったの20分では、”熊野古道を歩いて来た”とは言える状況ではないが、ツアーでこの後一番行きたかった”那智の滝”を控えた「那智大社」へ暗くなる前に行かなければならないので致し方がない。我慢してバスに。      

『紀伊半島の秘境大縦断』第五弾「熊野速玉大社」。

2013-12-28 23:27:07 | Weblog
 10月21日(月曜日)
 ”瀞峡”を12時25分発。途中の”御浜町道の駅”で大内山牛乳を飲み、約1時間後に【熊野速玉大社】へ到着。
≪熊野三山の一つで、全国熊野神社総本宮。天正十八年(1590)然誉文応僧正が紀州熊野より勧請した事に始まる。御祭神は熊野大神で、伊弉諾尊・事解之男尊・速玉之男尊の御三神です。伊弉諾尊、伊弉 尊は一番最初に出てくる夫婦の神様です。このお二人の神様は、夫婦の道を興しになられた(縁結び)だけでなく、多くの国や森羅万象の神様をお産みになられました(開運)。その様な事で『開運』『縁結び』の神様としてのご信仰があるわけです。特に、当社の主祭神である伊弉諾尊は天照大神や須佐之男命の御親神様でもあり、御神徳の高い神として人々に敬われています。又、禊(みそぎ)を大切にしている神様ですが、その起源は古事記の伊弉諾尊の禊に有るとされています。”御社紋”は三本の足を持つ「八咫烏」で、神武天皇が熊野山中で道に迷われた時、大和の国に入る道先案内を務めたといわれています。熊野大神様のお使いで、烏は夜明けを飛ぶ鳥、太陽を招く鳥といわれ、人生の闇に悩む人々を明るい希望の世界に導く霊鳥として広く信仰されています。この八咫烏は、熊野大神のお使いであり、初代神武天皇が熊野の山中で道に迷われた時、天皇をお導きするために使わされたのがこの鳥でした。鳥は、夜明けを呼ぶ鳥、太陽を招く鳥といわれます。人生の闇に迷い悩む人々を明るい希望の世界に導く神の使いの霊鳥として長く信仰されています。≫
 神門の脇に有る”梛(なぎ)”の御神木を見ながら、全員で正式参拝。参拝している間に、ガイドさんが御神木である”梛の葉”を1枚ずつ頂いてきてくれ、全員に配ってくれた。”あらぬ波風が立たない様に。縁が切れない様に”との意味で。
    「総本宮」神門           拝殿「結霊宮」            拝殿
  
    中四社・下四社     天然記念物”梛”の木     御朱印
  
 東京以外でも”烏”は嫌がられる鳥で、4年ほど前に北海道に行った時に、道庁内を歩いている時に、知らずに烏の巣のそばを通ってしまったらしく、3回も頭すれすれに飛ばれ、そのしつっこさに慌てて道庁から退避しました。50年前の修学旅行で廻らせて頂いた17歳の時から”八咫烏”という神様を認識してきたが、ここだけ”良い鳥”になっているのは変な感じ。因みに”村さ来”に居た時に”田舎”をイメージさせる”カラス”をイメージキャラクターに使っていた事を思い出す。

『紀伊半島の秘境大縦断』第四弾・瀞(どろ)峡。

2013-12-26 21:44:29 | Weblog
 10月21日(月曜日)
 旅行二日目。昨晩着いた時には、外は真っ暗だったので景色は分らなかったけれど、起きてからは、部屋の反対側の景色に見とれた。温泉に入って、朝食はバイキングだったがホテルの周りが”的矢湾”なので、良い景色を見ながらゆっくりと朝食を食べられたが、折角この時期に”的矢”に来ているのだから”カキ”ぐらい食べたかった。
          ホテル食堂からの”的矢湾”               スペイン村遠景
  
7時40分にホテルを出発し、先ずお約束の”真珠店ショッピング”に。全く買う気はないが、ツアーなので致し方がない。案内を聞いていたら”金色の真珠”が有ったり、47都道府県の形をしたペンダント等、面白いものもあり、目の保養にはなった。
  「黄色い真珠」   「第62回式年遷宮記念」商品    「黒真珠」
  
 昨日伺った「内宮」の前を通って伊勢ICから伊勢自動車道に入り、大宮大台ICで下りて、昨日注文しておいた弁当を積む為にドライブイン「あら竹」に寄る。長島(昔の水軍基地)から尾鷲市に入り、”ビートたけし”がここの檜だけで家を建てたとの話しが出、子供達に地元の自慢をするには凄く分かり易いらしい。今度は、昔の九鬼水軍の本拠地を通り、何故か”鬼ヶ城”が有ったり、熊野灘を左窓に見ながら、坂上田村麻呂が身を清めた”清めの滝”や”獅子岩”の先に日本で初めての神社の「花の窟」の駐車場に。先ずトイレに行って売店の方に「この近くに郵便局は有りますか?」と聞いたら、「その先の信号の先に有りますよ」と言われ、”近い”と思ったので、加代さんに話したら、「自分も行く」というので、申しわけないけど神社は後回しにして郵便局へ行く事にして歩きだして行ったら、信号もズーと先で、帰る訳にもいかず、二人で良い天気の中を必死で走りました(地方の方の”直ぐそこ”と云うのには注意を)。「熊野有馬郵便局」に着いて直ぐに「済みませんタクシー直ぐ呼べますか?」と。来ていたお客さんが、「私が送ってあげましょう」と言ってくれたが、それにもまして買いに行った”フォルムカード”を扱っていないとの局長の話で余計ガッカリ。そしたら駐車場まで局長が送ってくれる事になり、車の中で「他から取り寄せて送りましょう」と言ってくれ、名刺を渡し、お金を渡そうとしたら、「後で送ってくれれば結構です」と。結局送ってもらって駐車場に着いたら、二人を探していたらしく、直ぐに出発。汗ビッショビショに。
 帰宅後直ぐにお願いしたフォルムカードが届き、チョコレートとお金を入れ、お礼状を同封して局長宛てに送った。有難う御座いました。
 11時25分発で、”紀州犬のふるさと”を通り、総和町を通過すると次の観光地、熊野川の”北山川”をウォータージェット船で走る「瀞峡(どろきょう)観光」に。12時発で急流を上る。途中で船の屋根が開き、気持ちの良い天気の中を走る。奇岩についての説明を受けながら”上瀞”でUターンし、出発地点に戻る。
   小川口の乗船場前で           船内           川鵜が一羽
  
     天井が開いて          屏風岩         カンセン窟      母子の滝
   
     崖の上の旅館         吊り橋の下を潜る     首輪を掛けた狛犬
  
 往復で約40分位の時間だったが、気持ちが良かった。船頭さんの操る竿での舟下りも雰囲気が有って良いが、こっちも中々良いもんだ。

”シモバシラ”という植物、御存知ですか?

2013-12-23 20:01:03 | Weblog
 12月23日(日曜日・天皇誕生日)
 紀伊半島の第四弾は一寸置いておいて、今日の事を書きたいと思います。
”シモバシラ”という植物をご存知ですか?。以前、高尾山でボランティアをしている先輩から写真を見せて貰って、全く知らなかった植物だったので興味を持った。”霜柱”と云えば、これからの季節の寒い日に、土を盛り上げる氷の柱とばかり思っていたのに、その植物が地元で見れると分かり、今年の1月に「江戸東京たてもの園」に行ったが、時期が終っていて見れなかった。その時「12月で終わっちゃうので」と聞いていたので、14日に小金井公園に来た時に「何時ごろ?」と聞いたら、「あと一週間後位から」と聞いていたので、加代さんを誘って昨日見に来ましたが、朝の温度が高くて出ていなかったが、今朝、都内の温度が4.5度とテレビで確認し、加代さんと連絡をとりあったら、明日からは早朝からの仕事の為、温度が低くても見に来れないので「今日行こう」となり、9時半過ぎに「小金井公園」の駐車場に着き、直ぐに入館。入口で「今日は出てますヨ」と声を掛けられ、急いで「高橋是清邸」の前からの”野草オーン”へ入って昨日の場所へ行ってみたら、昨日と違って、枯れた草野根元の方に氷が付いているのを始めて見た。
        昨日の朝の状態                 今朝の状態            
 
 ”シモバシラ”とは、シソ科の多年草で、冬になり、枯れた茎に霜柱が出来る。 
     根元に氷が                   この草が”シモバシラ”
   
          ”シモバシラ”           霜柱の枯れた花  実際の”シモバシラ”の花
   
 今朝の気温では一寸無理かと思って来て見たら、ラッキー!。一緒に見ていた方が、「一寸小さい」との話し。もっと根元が膨らむらしいが、初めてなのでこれでも充分。
他の方の話では、2月頃まで見れるとの事。チャンスが有れば又、来てみよう。皆さんも以下上がですか?。因みに入館料は一般400円(65歳以上200円)。他にも見所は多いヨ。

『紀伊半島の秘境大縦断』第三弾。”おはらい通り”

2013-12-19 11:32:26 | Weblog
 10月20日(日曜日)
 「内宮」の参拝を終え、”宇治橋”前から続く、やっと雨の上がった”おはらい町通り”を歩く。先ず、目に付いた店頭で、初日なのに、孫のお土産に、木製のオートバイと自動車を買った。この通りは昔の雰囲気を感じさせる通りで、自分の好きな雰囲気の通りだ。
    おはらい町通り          「岩戸屋」      「三宅商店」の”白鷹”の看板
  
    「伊勢角屋麦酒」         おはらい町通り          「赤福本店」
  
 通りを歩く中で、やはり立ち寄らなければならないのは「赤福本店」。そんなに広くない店内だが、思ったより混んでおらず、一番奥の川に面した席に座れた。雨が降っているので幕を掛けられており、覗かなければ川は見えないが、橋の下の対岸に、地元の黒目川で見慣れた”ダイサギ”が一羽。赤福を頂きながら写真を。
    「赤福本店」店内            座敷             「赤福セット」
  
 ツアーに参加していると、時間が制限されるので、その中で歩きたい所を探さなければならないのは致し方がない。赤福本店の向かいから”おかげ横丁”という路地が広がっており、ほんの少しの時間だが歩いて見た。
      おかげ横丁            「太鼓櫓」            「味匠館」
  
      「おかげ座」       「おかげ座」前の置物の猫      「つぼや」で宝くじ
  
 時間さえあれば、もっとゆっくり見て歩きたい街並みなので、もう一度ここに来れる事を目標に生きてみるのも一考かと。慌ててバスに戻る。
 今日の歩数は12,622歩。殆ど電車とバスで歩いていないのでこんな物だろう。17時半前に「内宮」を出発し、国道42号線を走り暗い中初日の宿「伊勢志摩ロイヤルホッテル」着18時20分。
 今日の最後に、有名なホテルなのに”夕食”は 何だ?こりゃ!。失礼だけど”つまらない料理を食べさせられた”と思った。こんな料理しか出せないのだろうか?
       「夕食」               「献立」          伊勢うどん
  

『紀伊半島の秘境大縦断』第二弾”内宮”。

2013-12-17 20:34:35 | Weblog
 10月20日(日曜日)
 ”外宮”を出て、【内宮】へ向かう短い道が渋滞で20分も掛かってしまった。雨が降り続いている中、”宇治橋鳥居”の前に着き、宇治橋を渡るが、五十鈴川の流れが急で、宇治橋を渡った先の手水場でなく、川岸へ下りて手を漱げる場所へは「増水、危険に付き立ち入り御遠慮下さい。」とロープで入れなくなっていた。
≪皇大神宮(内宮)は、天照大御神が御祭神。天照大御神は皇室の御祖神であり、歴代天皇が厚くご崇敬になられています。又、私たちの総氏神でもあります。約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり、各地を巡られたのち、この五十鈴川の畔にお鎮まりになりました。≫
 式年遷宮に付いては、報道で伝えられ過ぎているので省きたいと思います。
  内宮への「宇治橋鳥居」    宇治橋を渡った大鳥居       立ち入り禁止
  
 神楽殿の所にある記帳所に朱印帳を預け、砂利道を進むと、テレビで「伊勢神宮」が映る時に必ず映される階段の場所に。内宮に入ると、人・人・人で”ごった返し”で写真も上手く撮れない状況に。
      「神楽殿」              「内宮」へ         「新内宮」への階段
  
      「神内宮」へ          「新内宮」         「内宮」の御朱印
  
 「内宮」を見学して、旧内宮へも廻ろうと思ったが、外宮の方は古い方も見れたのに。内宮の方は古い方は行けなくなっており、”何で?”と。そのまま境内の他の御宮を見て廻ったが、内宮・外宮以外にも”遷宮”は行われていたとは、全く知らなかった。
 「旧内宮」には行けない       境内の巨木の根          「御稲御倉」
  
       「外幣殿」           「新荒祭宮」           「旧荒祭宮」
  
  境内の尾長鶏      五十鈴川の凄い濁流      宇治橋を渡り戻る
  
今回も郵便局の通帳と一緒に朱印帳を持ってきているが、日本で一番の神社の”御朱印”が写真の通りで、権威が有るからなのか?、”見た目”と言っては失礼かも知れないが、外宮も内宮も、もう少しどうにかならないものだろうか?。失礼かも知れないが・・・・。
 それにしても雨に降られると、雰囲気は最低。これで天気が良かったらもっと違う気持ちになれたのだと思うが残念。

「紀伊半島の秘境大縦断」第一弾

2013-12-15 19:10:45 | Weblog
 10月20日(日曜日)
 8月に申し込んでおいた、阪急交通社主催の『紀伊半島の秘境大縦断』の当日になり、東久留米駅で待ち合わせ、東京駅八重洲口に集合(42人のツアー)。南紀は、高校の卒業旅行以来、約50年振りで、伊勢神宮の”式年遷宮”や熊野古道も歩きたいけど、一番みたいのは”那智の滝”。修学旅行で見た時の感覚が、ズーーっと残っており、生きている間に”もう一度見ておかないと”と思っていました。今回の旅行には始めて連れが出来、話しながら歩けそうです。
 東京駅から新幹線”こだま”のグリーン車で名古屋着11時43分。朝から雨の降っている中、昔、名古屋の地区本部の旅行の時に必ず出発する観光バス(御坊南海バス)乗り場からの出発で、昔に戻ったような気になった。名古屋高速~東名阪~伊勢自動車道と進むが、観光バスのガイドさんは、昔は喋る時に、通路に前方を背にして立って話していたが、今は、安全の為にそうすると違反になるそうで、運転手さんの隣りに前を向いて座って話さなければならないそうで、全く知らなかった。
    乗車車両入線            名古屋駅着          バスのガイドさん
  
 最初に着いたのが”関SA”。期待していなかったが、色々趣向を凝らしたお店(実演販売)が多く、感心した。ここが帰り際だったら、買い物も多くなったのではと思う位、”買いたいな”と思える商品が。
 一番目の目的地である【伊勢神宮】に向っているので、高速とは言わなくなった伊勢自動車道を走っていると、伊勢神宮までの距離が標識で出てくる。
       関SA内         伊勢神宮へ40Km       伊勢神宮”外宮”着
  
≪伊勢神宮は、約二千年前の祟神(すいしん)天皇の御代に皇居をお出になり、各地を巡られたのち、この五十鈴川の畔にお鎮まりになりました。”日本人のふるさと”と云われ、”お伊勢さん””大神宮さま”とも呼ばれ、親しまれています。正式名称は「神宮」といい、宇治の五十鈴の川上にある皇大神宮(内宮)と、山田原にある豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心として、14ヶ所の別宮、43ヶ所の摂社、24ヶ所の所管社が有ります。「神宮」はこれら125の宮社の総称でもあります。≫
 外宮に着き、雨の日の集合写真を撮る為にスタジオに入って撮り終えてから、土砂降りとまでは行かない雨の中、砂利道を【外宮(豊受大神宮)】へ歩く。
≪豊受大神宮は、お米を始め、衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です。約千五百年前の雄略天皇の御代に丹波国(現在の京都府北部)から天照大御神のお食事を司る御饌都(みけつ)神としてお迎え申し上げました。御垣内の御饌殿(みけでん)では、毎日朝夕の二度、天照大御神に神饌(しんせん)を奉るお祭りが御鎮座以来絶える事無く行われている。ご遷宮は、内宮と同じく二十年に一度行われ、平成二十五年十月五日に第六十二回式年遷宮が行われました。≫
    外宮の「北御門口」       飴の砂利道を歩く       「神楽殿」朱印も   
  
      外宮(左)             外宮(正面)           外宮(右)
  
    外宮前で          旧外宮             旧外宮内側
  
   パワースポット”亀石”      御朱印      「せんぐう館」舞台に      アオサギ

 参拝が終っての帰り道、「せんぐう館」に入ったら、丁度、千葉の「四条流包丁式」の奉納が有り、時間ぎりぎりまで見ていたので、途中までですが載せて見ます。
                    「四条流包丁式」
  

  

   

   

   
 ここまで撮っていたら、「出発します」と声を掛けられ、慌ててバスに戻り、次の「内宮」へ。

昭和記念公園を。

2013-12-12 23:49:30 | Weblog
 10月19日(土曜日)
 「東京箱根間往復大学駅伝競走」は東京農業大学の一位通過と、その他12チームが決まったので、公園内の他の施設に廻る事に。まずは「コスモスの丘」に。今が丁度見頃。特に老人達が大きな一眼レフカメラを抱えてあっちこっちに。
     コスモス畑
   
 毎年の事なので、そんなに感激も無く通り、「こもれびの里」に入ると、移設された”旧石井家住宅”を見に。
       「長屋門」          「旧石井家住宅」      庭から囲炉裏端を
  
     イナゴを         モッコク         マユミ         ツワブキ
   
 「日本庭園」に入るといつもの”盆栽苑”へ。何回も入って写真を撮っているので、今日は気になった物を。
  「はりつるまさき」       の花        「ヤマホトトギス」      の花
   
 日本庭園の池で二匹の亀(親子かも?)が一緒に遊んでいる様だった。”みんなの原っぱ”に戻ると、予選会の人達は殆ど残っておらず、ここのコスモス畑も何種類かのコスモスが植えられていた。
    亀のキッス     チョコレートコスモス  キャンディストライプ     あかつき
   
 帰る途中に”ダリア”園が有り、変わったダリアが。
         コウテイダリア             パンパスグラス
  
 西立川門から立川門に向う途中のヒマラヤスギの”マツボックリ”が綺麗に並んでいた。
       
 今日は金曜日なので、3時に公園を出て、場外馬券所によって馬券を買い、二人でラーメンを食べて立川駅で分れ、高田馬場へ直行。
 本人が”駅伝オタク”と言っていたが、かなり興奮しており、一人で見ているより楽しかった。きっと来年も。