4月19日(火曜日)
「上田城」で二人と別れ、そのまま国道18号線を長野方面に走ると、更埴、屋代で”あんずの里”を見に行ってみたが花はすでに散っており、”真田十万石の城下町”松代へ直行。松代郵便局で城址への行き方を聞いて、【松代城址】へ。
《武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城」と呼ばれました。江戸時代の元和八年(1622)に真田信行(昌幸の長男で、幸村の兄)が松代藩主となると、松代城本丸に御殿を建築し、松代藩政の拠点としました。(日本100名城)》
自分も時代小説が好きなので、松代城というより海津城と言った方が分かり易い城だ。車を広い駐車場に止めると、「上田城」とは全く雰囲気が違って、観光客も10人もおらず、太鼓門前橋を渡って城址の中へ。
「松代城址(海津城祉)」 「史跡松代城址図」
「太鼓門前橋」から入る 「太鼓門」
「本丸跡」
「北不明門」を外から 「北不明門」側から
帰りがけに気が付きました。城址前に「池田満寿夫美術館が。
今回は簡単に「松代城址」を見ただけで嬬恋に戻る事にしてしまったが、帰る途中の市内の看板に「山本勘助の墓」との表示が有り、嬬恋へ向かう途中かと思ったので”寄って行こうか”と言っていたが、分からずに通過してしまっていた。帰宅後に松代市内の地図を見ていたら、城址以外にも色々と面白そうな場所が有り、次回はゆっくりと街歩きをしてみたい。
嬬恋に帰るには県道34号を走り、菅平を通って、国道406号を走ると「渋沢温泉」の表示が有り、入ってから帰る事に。
一風呂浴びて帰ろう「渋沢温泉」 入浴料500円
一寸”ぬるめ”だがゆっくり入れる雰囲気の良い露天風呂
良い温度の内風呂 油などの浮遊物は温泉成分の”渋”です。外にはなりません
露天風呂は、一寸ぬるめの湯なので、雰囲気を味わうには良かったが、4月なので寒くなり、内風呂に入ったら、丁度いい具合の湯で、じっくり温まれた。”湯の花”というのは知っているが、”渋”というのは全く知らなかった。この近所には何か所も温泉が有り、昨日行った嬬恋の”つつじ温泉”も良い湯だった。
「上田城」で二人と別れ、そのまま国道18号線を長野方面に走ると、更埴、屋代で”あんずの里”を見に行ってみたが花はすでに散っており、”真田十万石の城下町”松代へ直行。松代郵便局で城址への行き方を聞いて、【松代城址】へ。
《武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城」と呼ばれました。江戸時代の元和八年(1622)に真田信行(昌幸の長男で、幸村の兄)が松代藩主となると、松代城本丸に御殿を建築し、松代藩政の拠点としました。(日本100名城)》
自分も時代小説が好きなので、松代城というより海津城と言った方が分かり易い城だ。車を広い駐車場に止めると、「上田城」とは全く雰囲気が違って、観光客も10人もおらず、太鼓門前橋を渡って城址の中へ。
「松代城址(海津城祉)」 「史跡松代城址図」
「太鼓門前橋」から入る 「太鼓門」
「本丸跡」
「北不明門」を外から 「北不明門」側から
帰りがけに気が付きました。城址前に「池田満寿夫美術館が。
今回は簡単に「松代城址」を見ただけで嬬恋に戻る事にしてしまったが、帰る途中の市内の看板に「山本勘助の墓」との表示が有り、嬬恋へ向かう途中かと思ったので”寄って行こうか”と言っていたが、分からずに通過してしまっていた。帰宅後に松代市内の地図を見ていたら、城址以外にも色々と面白そうな場所が有り、次回はゆっくりと街歩きをしてみたい。
嬬恋に帰るには県道34号を走り、菅平を通って、国道406号を走ると「渋沢温泉」の表示が有り、入ってから帰る事に。
一風呂浴びて帰ろう「渋沢温泉」 入浴料500円
一寸”ぬるめ”だがゆっくり入れる雰囲気の良い露天風呂
良い温度の内風呂 油などの浮遊物は温泉成分の”渋”です。外にはなりません
露天風呂は、一寸ぬるめの湯なので、雰囲気を味わうには良かったが、4月なので寒くなり、内風呂に入ったら、丁度いい具合の湯で、じっくり温まれた。”湯の花”というのは知っているが、”渋”というのは全く知らなかった。この近所には何か所も温泉が有り、昨日行った嬬恋の”つつじ温泉”も良い湯だった。