郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

年末の上野に行って来ました。

2011-12-31 21:51:39 | Weblog
 今日は大晦日。今は夜の9時過ぎ。今年は大変な年(自分の知人も二人の方が震災で亡くなった)でしたが、来年は良い年になれば良いと思いながら、今年最後のブログを打ちます。
 11日から16日の6日間、九州7県と関西の4県を走って来ましたが、その報告は年明けに回し、年末、ここ何年、年賀に使っている「大心堂の雷おこし」を買いに御徒町に行ったついでに、久し振りに「アメヤ横丁」に寄ってきました。
 12月29日(木曜日)
 前日、買い物に行ったのですが、買った”タラバガニ”を忘れて来てしまい、出直しました。
上野駅で下車。改札を出て外に出る手前に「青山フラワーマーケット」で小さな正月飾りを見つけ、帰りに買う事にして外へ出、通りを越え「上野駅前商店街(かねの鳴るまち)」に入る。
シンビジウム中心の正月飾り 上野駅前商店街    かねの鳴るまち
   
通りに入ると、右に石碑が有り、よく見ると、石川啄木・松尾芭蕉の碑が。
   石川啄木:ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく。
   松尾芭蕉:花の雲 鐘は上野か 浅草か
その他に「かねの鳴るまち」の碑と、「東北上越新幹線上野駅開通記念」の碑が並んでいる。
  石川啄木の碑      松尾芭蕉の碑     かねの鳴るまち  東北上越新幹線開通
   
 こちら側は”年末”という気分はあまり感じず、通常の土日位の感じだが、並んでいる店を何軒か写真を撮りました。
神田達磨の羽根鯛焼 寿司食べ放題1000円      手品みたいな”踊る人形”
   
 ”踊る人形”は昔買って帰ってやってみたが全く動かない。動力が有るとは教えてくれたが、どうにもならず捨ててしまった覚えが有る。帰りがけに前を通ったら、終わったらしく、廻りの人(関係者?)と、見えない”テグスの様な物を引っ張りながら話しているのを見て、やっぱり。 一度通りに戻り、ガードを潜ると、工事中の”旧上野百貨店”の上に”西郷隆盛”の銅像が見え、「アメヤ横丁」に入ると、途端に人・人・人。
 旧上野百貨店の工事現場   西郷隆盛の銅像   「アメヤ横丁」入口
  
 川辰商店の甘栗   完全閉店のコトブキヤ 志村商店のチョコレート     
  
  「アメヤ横丁」の人混み      モニュメント      警察の監視所
  
                   師走の「アメヤ横丁」の賑わい
   
 「アメヤ横丁」センタービル地下の店に”タラバガニ”を忘れてきたので、人混みの中、階段で地下へ下りると、ここは”外国”。韓国語と中国語が飛び交い(お客さんも)何を言っているのかもわからない位。「すいませ~ん内藤です」と声を掛けたら、「申し訳ありませんでした。後を追っかけたんですが」と謝られ、「これお詫びです」とエビを10匹位包んでくれた。
                   センタービル地下1階の人混み
   
             センタービル地下1階の人混み
  
 昨日も必要な物を買って帰っているので、忘れ物を取りに来ただけなのに、ここを歩くと買ってしまう。甘栗・チョコレート・数の子。帰りに、行きがけに見た”正月飾り”を店の分も別に買って帰る事に。


沖縄と松山の二人を「東京スカイツリー」へ

2011-12-26 00:15:35 | Weblog
 11月28日(月曜日)
 一週間近く九州を、車で走り廻ってきたので、暫く休んでいたので、書けないでいたのが残っており、少しは書いたのですが、一ヶ月前に戻って書かせて頂きます。
 11月27日の「村さ来」創業者『清宮勝一を囲む会』の件は、直ぐに書かせて頂きましたが、その会の為だけに沖縄と愛媛県の松山から参加して頂いた方達を、約30年の中で、何回となく東京には来られているのですが、我々が地方を訪問した時には、時間を作って名所等を案内してくれたのに、彼らが東京に来られた時には、仕事をしなければならず、今まで一度も”私的”に案内した事がなかったので、月曜日も泊まるというので、『清宮の会』後に「さくら水産」で十人での二次会後、三人で村さ来の新宿西口店に行って飲み、もう一軒、もう一軒というのを振り切って次の日の約束をして別れた。
 28日の昼に新宿アルタ前で待ち合わせ、銀座で都営地下鉄に乗り換え、押上駅に。
地上に出ると、手前の管理棟が高くなり、以前は地上に出た途端に見えたものだが、少し離れないと見えなくなった。「このビル邪魔だ!」という意見と「このビルも良いビルだ」という方と。少し歩いた場所からやっと「東京スカイツリー」が見え、流石に喜んでくれ、「京成橋」上から写真。北十間川に沿って歩くも、平日なので見学客も少ないし、634mになってから、少なくなったのではと思える位の少なさを感じた。アサヒビールの脇を抜け、「吾妻橋」を渡った西詰でも写真を抑え、雷門から仲見世を歩いて浅草寺に参拝。3時前になり、少しお腹もすいてきていたのでタクシーを拾って、吉原大門前の『天麩羅伊勢屋』(通称:土手の伊勢屋)に着いたが”5時まで休憩中”で仕方なく再度タクシーで浅草の”六区”に戻り、有名で列をなしている洋食「ヨシカミ」へ”デミグラスソース料理”を食べに入る。今日はガラガラでもあり、そんなに感慨はない感じでした。
 「早く内藤さんの店に行って飲もうよ」というので、そのまま地下鉄で高田馬場に戻り、「半兵ヱ」で昔の話に花が咲き、アッという間に9時。昨日からズーットと一緒に飲んでいたので疲れてしまい、「来年も『清宮勝一を囲む会』をやって欲しい」との結論で別れる。二人はこのまま新宿に出て、まだ飲みに行く様だが、自分はこれ以上は無理だった。抑えた写真を載せてみます。
   京成橋上で      吾妻橋西詰で     半兵ヱ高田馬場手にて
  

土浦へ行って、同級生に会って来ました。

2011-12-20 10:05:21 | Weblog
 11月25日(金曜日)
 今日は、茨城県のフォルムカードを買いに行こうと思い、どうせなら都立工芸の同級生で、文祥堂のスエダ部(レジスター)にも一緒に配属された石塚君に会って来ようかと電話を入れたら、奥さんが出られて「今、仕事に行っており、お昼には戻ります」との事で、「後刻土浦に着いたら電話を入れます」と伝言し、日暮里駅から常磐線の特別快速で53分。1時過ぎに土浦駅に着いた。観光協会で地図を貰い、まず石塚に電話。何年ぶりになるのか?。退職してからは土浦の一つ手前の「荒川沖」に若い時に建てた住宅に引き籠って出てこないのでこっちから連絡したのだが、出がけに「村さ来」の創業者から電話を頂き「今日、6時頃に内藤君の店に中村さんと行く」との連絡があり、6時前には高田馬場へ帰っていなければならず、帰宅前の3時半ごろまで町を歩いて、帰り掛けに石塚君の家に少し寄って話していこうと思っていたら、「今、車で行くから、15分待って」と言われ、車で来るまでの15分間でフォルムカードを買っておこうと土浦駅前局へ。一般の方に”フォルムカード”と言っても分からないのは当然ですが、局によっては、自分の所で売っている商品なのに「フォルムカードってなんだっけ?」という局員もかなり居るが、駅前局に顔を出して風景印とフォルムカードを申し込んだら、女性も含め、局長らしい男の人も当初”何?”という感じ。局長らしき人は、来年の”干支”が”辰”である事も認識していない様な状況に驚いた。局隣りのうなぎ屋の店頭に何故か”なまず”
 今日の目的は一応達成したので、郵便局を出て、駅前に戻って待っていると、車で迎えに来てくれ、「どこに行きたい」との事なので、「昔、村さ来のFC店巡回で、夜の土浦は歩いたことは有っても、昼間歩いた事がないので”土浦まちかど蔵”等、古い町が見たい」と案内してもらう事に。3月11日の震災で、古い建物はかなり被害が大きく、まだブルーシートが掛けられて改修工事中が多い。
   改修中の「矢口酒店」     仏壇の「尾張屋」前の屋久杉の板と店内の立派な仏壇
        
     「蕎麦屋」           呉服屋跡の「大蔵」   大蔵内”袖蔵展示館”
  
  二階への階段     観光協会の売店  特産品の”ごぼう”製品
  
 呉服屋の跡だったのを、市に寄贈された「大蔵」の中で、観光協会の方に話をお聞きしたら、「がまの油発祥の地」の神社が有るらしく、そこへ行く前に、取りあえず直ぐ近くに有る「土浦城址」に。
震災で落ちた屋根瓦   亀城公園の”櫓”     亀城公園の”外堀”
  
 土浦城の各櫓も震災での被害が大きく、通常は見学出来るらしいが、今は両方とも閉館中。
     東櫓           西櫓           櫓門          本丸跡
   
      櫓門正面        城内の「忠魂碑」    碑のモニュメント
  
 元キツネとタヌキが  ニホンザルが二頭      公園内の一部  
  
 城址を出て、『白水稲荷神社』を、聞いた目安で探すと、住宅地に小さな鳥居と社が。
≪碑文によると、「白水稲荷神社の隣りに長屋があり、ここの住人が”がまの油”を製造し、常州筑波山麓土浦の『陣中膏がまの油』として広く発売した」とあります。又、江戸時代に”がまの油売り口上”を考案し、最初に浅草の縁日などで売り出した人物は、筑波郡永井村(現在の土浦市永井)出身の兵助であるといわれています。昭和58年5月、城北町(旧築地町)の白水稲荷神社の境内に「がまの油」の碑が建てられました。≫
 「がまの油」と言えば、筑波山と思っていたので意外でした。
  ”がまの油”の碑    ”白水稲荷神社”       拝殿         発祥の地
   
 その後、石塚君が「霞ヶ浦へ行こう」というので、案内してもらった。
 土浦港での釣り人   釣れていた”モロコ”    桜川の水門 
  
             渡り鳥の”渡来地”に”白鳥””鴨””カモメ”が
  
    ”白鳥”と”カモメ”      霞浦(カル)の湯    国民宿舎「水郷」(休館中)
  
  「水生植物園」     ”アロホートル”   ”スポテッドインディアンナイフ” ”オセレイトスネークヘッド”
   
”パロットファイヤーシクレット”   ”フラミンゴシクリット”    ”レッドテイルキャッツ”
  
 ”フラミンゴシクリット”は横から写そうと、カメラの位置を動かすと、何故かカメラの動きに合わせてカメラの方を向くので、横からの写真を撮る事が出来なかった。”なんでだろう?”
  「水生植物園」前の水郷     「光の輪のむこうに」のモニュメント
  
オランダ型風車(閉館中)霞ヶ浦越しに、筑波山の見えるポイントへ((ワカサギ釣り)
  
 石塚君に色々連れて行って貰ったので、時間が無くなってきて、自宅に案内してくれたが、奥さんが淹れてくれたコーヒーもゆっくり飲んでいられなく、今度又、ゆっくり来ることを約して、荒川沖駅まで送ってもらい、帰宅の途に。
風景印1局。フォルムカード1枚。約3時間半。4,602歩。と車だったのであまり歩かなかったが、良い天気で”霞ヶ浦”から”筑波山”を見られたのと、東京から1時間も掛からずに行ける場所で、震災の影響がこんなに大きいとは思っても見なかったので、改めて3.11の震災の恐ろしさを感じた。
帰宅途中で、店からも電話があり、「税理士の浅沼先生と村さ来の元加盟店の遠藤氏が来られている。」との連絡もあり、6時丁度位に店に着く事が出来ました。   
    

横浜動物園”ズーラシア”へ行って来ました。

2011-12-08 20:37:05 | Weblog
 11月24日(木曜日)
 息子達と、「多摩動物園」に行こうと思ったが、前日の水曜日が祭日なので、木曜日が振替休業になってしまったので、少し遠いが「よこはま動物園ズーラシア」へ行く事にして、8時20分に家を出て、環状8号から東名高速の町田ICで下りて保土ヶ谷バイパスに乗り下川井ICで一般道の中原街道を左に2㎞弱走ると、左側に『よこはま動物園 ズーラシア』の看板が。約1時間40分。
 平日なので、駐車場もガラガラ。入場ゲート前の植え込みにも動物型にカットされた木が。
  
 入園ゲートを入ると直ぐに、ゾウの置物が置かれた「集合写真広場」で息子の家族がスナップ。撮り終わって20m位歩いた処に、スナップ渡し場があり、1分位で出来上がったのを渡してくれた。以前だと、帰りの出口で買う事になったと思うが、今はそうゆう時代になっているのだと、感心した。
 まずは「アジアの熱帯林ゾーン」
   入園ゲート      集合写真受取場     ”インドゾウ”    カンムリシロムクの舎
   
 ”カンムリシロムク” ”ボルネオテナガザル”   ”マレーバク”
  
「ジャングルインフォメーション」というカフェがあり、「FRESHNESS BURGER」が出店しており、10年以上前に福岡の親不孝通りに有った店で食べて以来になる。
 「ジャングルカフェ」                ”スマトラトラ” 
  
   ”ウンピョウ”    ”フランソワルトン”   ”ドゥクラングール”   ”タスキールトン”   
 ”インドライオン”

「亜熱帯の森ゾーン」
”ゴールデンターキン”  ”レッサーパンダ”
  
 レッサーパンダは、ジャイアントパンダより可愛いと思うのですが、どうでしょうか。所で、廻りながらメモを書き込んでいた園内地図が、帰宅した時点で紛失してしまっているのに気が付き、名前の載ってない鳥類や置物の名前を書いてきたのが分からなくなってしまった。
                         キジ類
   
 この後瑞希が、「お腹が減った」とうるさく、息子がショートカットで”オージーヒル”へ行ったので、嫁と一輝を連れて、”ウオークインバードケージ”に入って見た。以前来た時に、天井のそれ程高くないアミ籠の中に周回道路が造られており、色々な鳥が放し飼いになっているのを見ながら歩くのは楽しい。
   ”ヒョウ”               ”ウオークインバードケージ”内の鳥類
   
    ”○○鴨”                オオワシ
  
              ”フンボrトペンギン”
  
       ”ミナミアフリカオットセイ”               ”ホッキョクグマ”
   
 ”トウホクノウサギ”   ”シロフクロウ”
 
「オセアニアの草原」でハンバーグを食べ休憩。
”オージ-ヒル”で休憩     ”エミュー”      ”カンガルー”   ”セスジキノボリカンガルー”
   
「中央アジアの高地」
   ”テナガザル”    ”チベットモンキー”     ”ドール”
  
「日本の山里」
   ”コウノトリ”       ”ナンテン”       ”クロズル”     ”ニホンアナグマ”
   
  ”ツキノワグマ”      ”ツワブキ”      ”ニホンザル”
  
「アマゾンの密林」
    "ヤブイヌ"          "オセロット”    ”コモンウーリーモンキー”     ”メガネグマ”
   
「わくわく広場」で遊ぶ。
    わくわく広場全景        動かない         滑り台
  
    渡れるの?       大丈夫!      瑞希は一人で      一輝はパパと
   
    網を登れる?      大丈夫?
 
「アフリカの熱帯雨林」
 ”アフリカタテガミヤマアラシ”          外の”オカピ”            室内の”オカピ”
   
  パネルに入って    ”アカカワイノシシ”     ガラスの狭い部屋に”チンパンジー”
   
    十月桜       ”ポニー”に乗って  陸ガメの置物に乗って
  
 16時近くになって、肌寒くなってきたので、”退園ゲート”から出て売店に寄り、少し買って帰る事にしたが、この動物園は、何を見せたいのか分からない。七つのゾーンに分けて見せてはいても絶対数の動物が少な過ぎるし、見せ方ももっと考えた方が良いと思う。今日、良かったなと思ったのは、”ウオークインバードケージ”と”コウノトリ”がカッコ良かったぐらいか。
 いくら平日であっても、PRが少な過ぎるのでは。ゆっくり見れて、お客としたら少ない方が良いのかもしれないが、やはり動物園は少し人が混んでいないと、さみしい感じがして、動物園に来ていると思えない。土日の商売なのか。ちょっと寂しい。

   



    

先程”富士山”を見て、帰って来ました。

2011-12-05 12:17:09 | Weblog
 12月5日(月曜日)
 今日は、朝から良い天気なので、一週間振りに”黒目川”を歩いて来ました。
先週歩いた時と比べても寒くなく、行きはコサギ等も見れずに、薄汗を掻きながら歩いて、西武池袋線の線路下の”弁天堀橋”でUターンして戻りかけた途端に、目に飛び込んで来たのが”富士山”。
 今まで4か月以上歩いていて全く見た事がなかったので、見れるとも思っていずに歩いていたが、寒くなって、空気が澄んできたので見えたのだと思う。
 突然見えた”富士山”      柿           サザンカ       ピラカンサス
   
 思いついて、西武池袋線の東久留米駅に行く事にして住宅街を歩くと、秋を感じさせる花や実を付けた木があり、東久留米駅西口の「関東の富士見百景」に選ばれた”富士見テラス”に登って見たら、先着の方が二人おられ、一人の方が「携帯では撮れないよ」と仰っていた。
 駅前ロ-タリーからビルとビルの間を真直ぐ通った道の、真正面に真っ白に雪化粧された”富士山”が見える。
      西武池袋線「東久留米駅」西口”富士見テラス”より
  

        
 元の”黒目川”沿いに戻ってみて、どこまで”富士山”が見えるものかを歩いてみた。11月に発表された「全国高校サッカー選手権大会」出場の垂れ幕が見えた。
    サザンカ        全国高校サッカー選手権出場       西高の植木の剪定
   
 富士山までの距離が長いので、遠近法で見ても、近くに街路樹や、住宅、ビル等が建っているだけで見えなくなってしまうが、歩く黒目川の終点にしている”都大橋”に戻ってきたら、交差点の信号越しに確認できたので、そのまま歩いたら、右側にある「氷川神社」の境内に上がって見たら、屋根の上に富士山の頂上が見えた。これが見えた最後だったが、家の近くで”富士山”が見えるとは思っていなかったので、これから歩く楽しみの一つになれると思う。
 都大橋から黒目川  所沢街道との交差点     すすき       氷川神社境内から
   
 西団地近くの”椿” 新小金井街道の”公孫樹並木”
 
本当に今日は良い天気。帰ったら、お隣の”妙さん”とばったり、”干し柿”の状況確認を。今年の出来は上々だったが、”妙さん”は二度目に買った渋柿を一緒に吊るしたらしいが、とんでもない事になっており、明朝対応する事に。又、来年の2月に自治会で実施する”味噌造り”に一緒に参加する約束をした。

酉の市「二の酉」に行って来ました。

2011-12-05 00:05:58 | Weblog
 11月14日(月曜日)
 店の”熊手”の買い替えで、”二の酉”に行くのにJR山手線の鶯谷駅で下車して歩く事に。
”言問通り”を歩き、根岸一丁目交差点の先に『あさがお市』が開かれる「入谷鬼子母神」に参拝し、朱印を頂く。
 入谷鬼子母神拝殿       拝殿の彫刻       境内の”福禄寿”
  
 鬼子母神を出て、”昭和通り”との交差点に「入谷朝顔発祥之地」と「入谷乾山窯元之碑」があり、(入谷局)で風景印を受け、”金美館通り”を歩くと、木造三階建ての酒屋さんが。
 入谷朝顔発祥之地  入谷乾山窯元之碑   北上酒本店全景     表面を横から
   
 千束一丁目の交差点を左折すると”国際通り”の向こう側に『鷲神社』が見え、急に人が多くなる。
   鷲神社の全景      「鷲神社」酉の市の熊手 「鷲神社」の入口
  
 昨年講入した熊手を納め、入口は簡単に入れたが、直ぐに列の後方に並び、少しづつ拝殿に。
                   「鷲神社」参道から拝殿に 
  
 熊手を買っている「松下」のおかみさん達とお客さんも一緒に、買った熊手を持って”三・三・七拍子”。
  
  「なでおかめ」    「鷲神社」の開運熊手 鷲神社」境内の状況  「サンリオ」予約品
   
 境内を歩くと、いくらするのか大きな熊手を肩に担いで歩く人も多い。
 何十万?何百万?     「鷲神社」境内の一部     「鷲神社」外側の屋台
  
 裏から外に出て、(竜泉局)に向かって歩くと、その手前に『飛不動尊』。
 「飛不動尊」入口     「飛不動尊」拝殿   境内の「恵比寿社」  恵比寿社脇の”羅漢”   
 (竜泉局)で風景印を貰い、そのまま歩くと、通りの右側が有名な”吉原”で入口が。
  「揚屋町入口」    「江戸町一丁目入口」  土手通りに出ると
  
 ”土手通り”から(日本堤局)へ行こうとしたら、「いろは会ショップメイト」という商店街アーケードが有り、そこに入った途端に目に付いたのが、”あしたのジョーのふるさと”という幟旗。殆ど人の歩いていない商店街に”あしたのジョー”の絵パネルが。9月に鳥取の境港で”ゲゲゲの鬼太郎ロード”を歩いてきたが、”何だここは!”という感じで、中途半端過ぎるのでは。
                   ”あしたのジョー”の絵パネル 
    
    絵パネル         ガラガラの商店街アーケード
  
 ここの商店街を抜けて、南千住方面に行くと、”明治通り”との交差点が”泪橋”で、「あしたのジョー」のジムが有った場所だかららしい。この近辺は所謂”山谷”と呼ばれる地区で、簡易宿泊所も多い。(清川局)へ向かう途中で雨が降ってきて、風景印を頂いてから南千住駅に向かって歩き、地下鉄日比谷線の南千住駅から帰宅。
 清川の”簡易宿泊所”  平賀源内の碑    橋場二丁目の昭和     泪橋交差点
   
2時間40分。8,289歩。風景印4局。朱印1社。のお酉様散歩でした。

東久留米市「市民みんなの祭り」へ。

2011-12-04 22:40:42 | Weblog
 11月13日(日曜日)
 地元の”お祭り”に、三男の家族と行って来ました。
駐車所に困るといけないので、バスに乗ってイトーヨーカ堂の前の会場まで。消防団の方から”パーポー君”の紙のお面を貰って、東久留米駅に向かって屋台を見ながら歩くと、バス通りでイベントが。
   和太鼓”欅”の演奏    桔梗ブラザースのジャグリング  シルバー君
  
 近頃、友人や知人が”シルバー人材センター”に登録して仕事をしているとの話しを聞く事が多くなったが、そこにもマスコット(シルバー君)がいるとは思わなかった。
 駅前では、今年もロータリーを使って”盆踊り”を踊っている。
                盆踊り                   バルーン工芸
  
 太鼓山車が来るが、こちらの太鼓山車は子供が曳いて「ドーン・ドーン・カンカンカン」と叩きながら歩くのではなく、年配者が、太い”バチ”で太鼓の真ん中を”ドーーン”と思いっきり叩きながら歩き、疲れたら次の人と交代して叩く。子供が叩く事はないらしい。去年、始めて見て”そうなんだ”。神輿も”行燈神輿”の様な神輿が何基か。
  南沢の「御太鼓」   小山中の「御太鼓」           氷川睦の神輿
    
                 神山囃子連
  
   神山囃子連       下里睦連        下里囃子連      島崎氏の”笛”
    
 下里囃子連を見ていたら、横で”笛”を吹いているのが、夏場に毎日の様に”ブルーベリー”を買いに寄らせて貰った島崎氏と目が合ったので、「アッツこんにちは」と挨拶。夏場の盆踊りでは太鼓を叩き、一期前には”市議会議員”と、農家の方も大変だな~と思うが、好きだからやっていられるのだろう。
 息子達とは、時々離れてしまったりしていたが、丁度郵便局の屋台の前で瑞希と一緒だったので、郵便局の”赤いバイク”に制服を纏って乗ってみた。市役所の前まで戻って、”野菜の宝船”の野菜を配ってもらう人達の列を横目に市役所内の品評会に出品した農産物を即売しているので中に入り、”北部地区農業改良普及推進協議会長賞”という札の付いた大根(三本)とキャベツ(三本)を購入。帰りは凄く重たい思いをした。
郵便局の”赤バイク”に    会場入口     市役所前の”野菜の”宝船”
  
  ”柳久保小麦”    品評会後の即売会  買った大根とキャベツ    会長賞の札
   
 帰るのでバスに乗った途端に孫達は”バタン・キュー”と寝てしまい、思い大根とキャベツを一緒に持って家に置き、一本と一個を持ち帰って、大根だけ面取りをして煮込んでみた。夜は、団地入口の”ジンギスカン”の寺田氏の店へ皆で食事に。結構早い時間からお客が入っている店だ。

”橋本”を先輩と一緒に歩いて見ました。

2011-12-04 09:14:35 | Weblog
 11月2日(水曜日)
 今日は、橋本まで行ってみようと思い、京王線で多摩境駅下車。この駅には下りた事がなかったので持参した地図を見ながら西口に出て、階段を登って見たら、バスとタクシーのロータリーと高層住宅しかなく、”どっちに行こうか?”迷ってしまったが、”多摩ニュータウン通り”に下り、町田街道方面に歩くと、右側に「田端遺跡」の表示。
≪昭和43年に発見された、境川に面した丘陵裾部一帯に広がる、縄文時代中期から晩期(約4500~2800年前)にかけての集落・墓地・祭祀遺跡で、盛土保存され、環状積石遺構の複製が展示≫
 町田市田端環状積石遺跡 遺跡内の”コムラサキ”    高砂橋脇に”バラ”一輪
      
 遺構内から文祥堂の時の先輩で、店で年5回開いてくれている「仙友会」にも参加してくれている梅崎氏が、このところ体調(頸椎)を崩しているので、自分も”頸椎椎間板ヘルニア”で二度の手術をした実績が有るので、様子を見にきたので、携帯で談話を入れて見た。「今、多摩境駅に居て、これから橋本の方に行きます」と話したら、「このところ調子が良くなっているので、一緒に歩こう」と言うので、近くまで行ったら再度電話を掛ける約束をして歩き出す。町田街道を渡って右に歩き「町田西局」で風景印。局の先の路地を左折すると直ぐに”境川”にぶつかり、蓬莱橋を渡り上流に向かって川沿いを歩く。境川がほぼ県境になっているので、神奈川県側を歩く事に。高砂橋脇に真紅の”バラ”が何故か一輪。そのまま歩くと、川沿いの道に面して”鶏舎”があり、網越しに中を覗くと、多数の鶏と一番端の鶏舎には”烏骨鶏”が何十羽。
            川沿いの鶏舎(烏骨鶏も何十羽)
  
 良い天気の中、川沿いを歩いていたら、上流から川面を”コサギ”が飛んできて、下流の方へ飛んで行ってしまった。小山橋を過ぎると急に舗装道路ではなくなり、”ハナミズキ”の葉っぱの紅葉が目についた。境川を見ながら宮上小学校の裏を歩いていたら、河原へ下りられる様な階段が。
 ”ハナミズキ”の紅葉    ”境川”       河原へ下りる階段
  
 寿橋を左折し、橋本駅に突き当たる通りを進み、駅入口交差点を右折し、「本町局」の手前で先輩と合流。郵便局に一緒に入り、待っててくれる。体調についての話しをしながら一緒に歩く。「右肩が痛く、歩くのも大変だったが、首の手術はしないで済んだ。」
 香福寺前交差点を右折すると昔からの住宅の門が何か所か。
     「矢島家」の門         「相沢家」の門        「牛久保家」の長屋門
   
 町田街道を左折し、国道16号線の”八王子バイパス”の下を潜ると、右側に藁葺き屋根の住宅が見えたので行って見たら、”都指定遺跡・青木家屋敷(医院)”が。勝手に入る訳にもいかないので外だけで我慢。
        青木家住宅(奥の藁葺き屋根が医院) 
 
 「町田相原局」で風景印を貰ったら、印の内容が「青木家」だった。
ここから橋本に戻るのに、「近くのJR横浜線相原駅から電車に乗ろうか」という考えも有ったが、来た道を戻りたくないので、二人で、方向を定めて住宅街を歩き、途中で地元の方にお聞きして歩く。JR横浜線の線路に突き当り、国道16号線の手前の踏切を渡ると、「橋本局」で郵貯と風景印を頂き、本来ならもっと歩くのですが、今日は先輩が一緒に歩いてくれたので、今日はここで終わりにして、「コメダ珈琲」で休憩し、話す。「次回から”仙友会”にも出られるよ」との事で、一安心。
 橋本駅まで歩く途中の『神明大神宮」で丁度「酉の市」開催中で、同時に『橋本あんどん祭り』が開催されていたが、まだ夕方なので、人出はそれ程でもなかった。
  「神明宮」一の鳥居内側に”あんどん”が  「橋本大鷲神社」拝殿 拝殿脇の夫婦榧(カヤ)
    
 神社の熊手直売所     広場にも”あんどん”
 
3時間27分(休憩含む)。13,017歩。郵貯4局。風景印4局。の二人散歩でした。  

居酒屋『村さ来』の同窓会”清宮勝一を囲む会”を催しました。

2011-12-02 10:55:57 | Weblog
 11月27日(日曜日)
 今回で4回目になります「清宮勝一を囲む会」、誰なのか、分からない方もいらっしゃると思いますのでまず会の経緯を書いてみます。
 「清宮勝一」。現在は、店舗数も減ってしまいましたが、昭和50年代から60年代に掛けて”一世風靡”した居酒屋「村さ来」の創業者。
 私が「村さ来」チェーンの本部である(株)日本料飲コンサルタンツという会社に、文祥堂の時の先輩の紹介で入社したのが昭和57年3月。当時は直轄地の首都圏以外に、関東・大阪・信越・東北・北海道の地区本部を含めて120店舗強の店数でしたが、全国に地区本部網が出来ると並行して出店が続き、年間で150店舗を出店する年も有ったりで、一躍居酒屋チェーンでの”一方の雄”と評価される様にもなり、『村さ来』を”ムラサコ”と読んでいた方が多かったのが、”ムラサキ”と読んで頂ける様にもなり、「明治座」を借り切って”800号店記念式典”を催したりしましたが、創業者である社長が、”物凄いアイデアマン”では有ったと思うのですが、”経営者”ではなかった為に、消費者金融の「レイク」の傘下になり、その「レイク」も一年後には創業者交代からおかしくなり、平成5年には冷凍食品会社「加ト吉」の傘下に、との変遷を経て、現在は「G.taste」傘下で「村さ来」グループ182店舗の営業に。
 「清宮勝一を囲む会」は一番良い時代で有った(株)日本料飲コンサルタンツ当時の社員・加盟店に今回から地区本部の社長に参加して頂く事にして、63名の方に案内状を送りました。
 社員も段々年齢が高くなり、70歳を超える方達も多くなり、年一回のこの会を楽しみにして頂いている方達もいらっしゃり、”今回は用事で参加出来ない”との返事を頂いた方が何人もおりましたが、当日参加者は本人を含めて20名。
 三々五々お集まり頂いた方々が、直ぐに「お久し振りです」と話だし、直ぐに”20年以上前の話し”に盛り上がり、何時もの事だが食事と飲み物は”有れば良い”状態。2時間もアッという間に過ぎてしまい、それでも5時半なので、帰られる方と、二次会(さくら水産)に行く方(12名)とに分かれて尚も話に盛り上がっていました。又、”来年も是非やって欲しい”との意見も多いので、元気な内にやれるだけ続けてみようと思っています。当日の集合写真(一人だけ先に帰宅)を載せておきます。
    
 平均年齢も70歳超え。皆さん、次回も頑張って、元気で参加しましょう。