11月26日(水曜日)
先日、日経流通に載っていた「鳥貴族」。歌舞伎町の中村氏経営のカラオケ店の入っているビル7・8階に大手居酒屋チェーン店が入っていたのが出た後、新たに入ったと中村氏から聞いていて、2週間前に行く予定だったが、急遽通夜が入ってしまったので伸びていたのに行って来ました。中村氏と税理士の浅沼先生と、その後の予定が有ったので加代さんを誘って。
ビル入口で客引きに有ったが、8階に。時間が5時半と早かったので、殆どガラガラでしたが、帰る7時過ぎには結構入っていました。
その後、9月に行った「バンバレー」で、以前、新宿ゴールデン街で店を持っていたという”ヨーコさん”から知り合いの店をお聞きしていたので、初めて「新宿ゴールデン街」の店に入って見る事に。新宿区役所側から入り、雨に濡れた配置図の中から「ひしょう」という店を探すと、直ぐに見つかり、もの凄い急な階段を気を付けて登る。酔ったお客さん3人が帰る時だったので少し待ち、壁に貼ってあるスナップ写真に、紹介してくれた”ヨーコさん”が写ってないか加代さんに見て貰ったら、若い頃の”コーチャン(久我耕一)”と”ツーセ(通世)”が写っているのを見て、加代さんはビックリ。話を聞くと、ママの佐々木道子さんは、”コーチャン”と写真学校の同期生で、仲が良く、写真は、佐々木さんがブラジルのマナウスに住んでいる時に、夫婦で遊びに来てくれた時の写真だそうだ。
そこで、「自分も20数年前にマナウスに、仕事で行った時、一緒に案内してくれた人がマナウス住まいの日本人で花屋さんを経営している人でした」と話すと、「マナウスで、花屋をやっていた日本人というと永井さんでは?」と言われ、「今すぐに名前は?」と答えて、「日本に帰って、暫く立った時に、市議会議員に立候補するので、力を貸してくれないか」との問い合わせが有った話をしたら、「それなら、永井さんだ。その隣の家で衣料品の店をやっていたの。永井さんは病気で亡くなったけど」と言われ、ビックリ!!。
その後、話の中で、佐々木さんが根室出身だと聞き、「もしかして、清宮と言う人ご存知ないですか?」とお聞きしたら、「清宮(セイミヤ)君ね、”村さ来”という居酒屋チェーンの創業者よ」と答えられ、「私は清宮君より1級上なの」と。「エッーー!!」驚き、「自分は、その清宮の下で仕事をさせて貰ってました。」と答えたら、佐々木さんもビックリしていた。百々さん、本川さん、中島さん等の名前を出したら、皆知っていたのには、双方でビックリ!!!。
加代さんが、壁に写っていた、亡くなった内藤陳さんを見て、「40年前に、主人と陳さんの店に行き、飲んでいる話の中で、新婚だけど部屋が狭いから、二段ベッドに寝ている」と話したら、隣で、一人で寡黙に飲んでいた男の人が「自分も二段ベッドにカミさんと寝ている」と話され、それが”コーチャン”だった。意気投合して、その後何日かで、”バンバレー”に連れて行って貰ってから40年の付き合いなの」と話したら、佐々木さんも、”コーチャン”から”バンバレー”の事を以前から聞いており、「行こう、行こうと思いながら、行けてないの」と「来年一緒に行きませんか?」と話した。
加代さんとの”出会い”も特別だったが、今日の、佐々木さんとの”出会い”も特別だ。初めて来た店の、会った事も無い一回り上(全くそうは見えないが)の女性と、地球の反対側のブラジルのマナウスという大きな町の人を、二人が知っており、又、清宮勝一を二人共知っている。こんな事が有るのだろうか?。佐々木さんも驚いていた。近々にどなたかを誘って見様と思うし、ブラジルに行った時の写真を持って行ってみよう。常連になれるかな?。
佐々木さんは、来年2月で82歳になるというが、凄く若く見える。報道写真家が本業で、世界を飛び廻っていたらしい。来ていたお客さんが、先日放送されたNHKの「小さな旅」で佐々木さんが取り上げられていたらしい。又、以前に大腸がんの末期を宣告されたが”消えてしまった”との事も。
先日、日経流通に載っていた「鳥貴族」。歌舞伎町の中村氏経営のカラオケ店の入っているビル7・8階に大手居酒屋チェーン店が入っていたのが出た後、新たに入ったと中村氏から聞いていて、2週間前に行く予定だったが、急遽通夜が入ってしまったので伸びていたのに行って来ました。中村氏と税理士の浅沼先生と、その後の予定が有ったので加代さんを誘って。
ビル入口で客引きに有ったが、8階に。時間が5時半と早かったので、殆どガラガラでしたが、帰る7時過ぎには結構入っていました。
その後、9月に行った「バンバレー」で、以前、新宿ゴールデン街で店を持っていたという”ヨーコさん”から知り合いの店をお聞きしていたので、初めて「新宿ゴールデン街」の店に入って見る事に。新宿区役所側から入り、雨に濡れた配置図の中から「ひしょう」という店を探すと、直ぐに見つかり、もの凄い急な階段を気を付けて登る。酔ったお客さん3人が帰る時だったので少し待ち、壁に貼ってあるスナップ写真に、紹介してくれた”ヨーコさん”が写ってないか加代さんに見て貰ったら、若い頃の”コーチャン(久我耕一)”と”ツーセ(通世)”が写っているのを見て、加代さんはビックリ。話を聞くと、ママの佐々木道子さんは、”コーチャン”と写真学校の同期生で、仲が良く、写真は、佐々木さんがブラジルのマナウスに住んでいる時に、夫婦で遊びに来てくれた時の写真だそうだ。
そこで、「自分も20数年前にマナウスに、仕事で行った時、一緒に案内してくれた人がマナウス住まいの日本人で花屋さんを経営している人でした」と話すと、「マナウスで、花屋をやっていた日本人というと永井さんでは?」と言われ、「今すぐに名前は?」と答えて、「日本に帰って、暫く立った時に、市議会議員に立候補するので、力を貸してくれないか」との問い合わせが有った話をしたら、「それなら、永井さんだ。その隣の家で衣料品の店をやっていたの。永井さんは病気で亡くなったけど」と言われ、ビックリ!!。
その後、話の中で、佐々木さんが根室出身だと聞き、「もしかして、清宮と言う人ご存知ないですか?」とお聞きしたら、「清宮(セイミヤ)君ね、”村さ来”という居酒屋チェーンの創業者よ」と答えられ、「私は清宮君より1級上なの」と。「エッーー!!」驚き、「自分は、その清宮の下で仕事をさせて貰ってました。」と答えたら、佐々木さんもビックリしていた。百々さん、本川さん、中島さん等の名前を出したら、皆知っていたのには、双方でビックリ!!!。
加代さんが、壁に写っていた、亡くなった内藤陳さんを見て、「40年前に、主人と陳さんの店に行き、飲んでいる話の中で、新婚だけど部屋が狭いから、二段ベッドに寝ている」と話したら、隣で、一人で寡黙に飲んでいた男の人が「自分も二段ベッドにカミさんと寝ている」と話され、それが”コーチャン”だった。意気投合して、その後何日かで、”バンバレー”に連れて行って貰ってから40年の付き合いなの」と話したら、佐々木さんも、”コーチャン”から”バンバレー”の事を以前から聞いており、「行こう、行こうと思いながら、行けてないの」と「来年一緒に行きませんか?」と話した。
加代さんとの”出会い”も特別だったが、今日の、佐々木さんとの”出会い”も特別だ。初めて来た店の、会った事も無い一回り上(全くそうは見えないが)の女性と、地球の反対側のブラジルのマナウスという大きな町の人を、二人が知っており、又、清宮勝一を二人共知っている。こんな事が有るのだろうか?。佐々木さんも驚いていた。近々にどなたかを誘って見様と思うし、ブラジルに行った時の写真を持って行ってみよう。常連になれるかな?。
佐々木さんは、来年2月で82歳になるというが、凄く若く見える。報道写真家が本業で、世界を飛び廻っていたらしい。来ていたお客さんが、先日放送されたNHKの「小さな旅」で佐々木さんが取り上げられていたらしい。又、以前に大腸がんの末期を宣告されたが”消えてしまった”との事も。