10月22日(火曜日)
「八瀬の吊橋」を12時前に出発すると、一台の路線バスとすれ違った。奈良県の八木と新宮を結ぶ、奈良交通の路線バスで、有料道路を使わないで走る、日本で一番長い(42.6km・料金5,250円)路線バスとの事。 荒野竜神スカイラインを通り、国道371号線で、1300mの高地から、900mの【高野山 奥の院】へ。「高野山へ下って行きます」と、13時半に奥の院の駐車場に着く。境内の案内人の方の説明に随って全員で歩く事に。勝手に歩いてはいけないらしい。
奥の院駐車場の周辺案内図 「こうやくん」 「高野山・奥の院」入口
≪奥の院は、弘法大師入定(にゅうじょう)の地とされる場所で、大師の御廟と灯籠堂があります。参道には、皇室、公家、大名等の墓や供養碑が多数並んでいます。高野山の創建は弘仁七年(816)。第52代・嵯峨天皇から高野山の地を賜り、開山。高野山は、空海が若い時に修行した山であると伝えられています。「金剛峯寺建立修行縁起」にはあ、空海が修行に適した土地を探して歩いていたところ漁師に会い、その漁師が連れていた二匹の犬に導かれ山中に赴いたところ、土地の神である「丹生明神(にうみょうじん)」が現われ高野山を譲り受けた、との伝承が残されています。≫
案内の方の説明で、境内にある墓や供養塔は、大名にお金を使わせる為に遠隔地の高野山に全国の大名に墓や供養塔を建てさせ、金を使わせるのが目的だったとの話しを受けながら、案内の方に付いて境内を歩く。
「新明和工業」供養塔 「福助工業」供養塔 「東洋ゴム工業」供養塔
「日産自動車」供養塔 「東日本大震災物故者」供養塔 「阪神淡路大震災物故者」供養塔
境内を 「奥の院」手前まで進むと、「ここから先は撮影禁止」という橋まで来て、写真は撮れない。
境内を 境内を この橋を渡る
奥の院が見える 奥の院の御朱印 注連縄の代わり(干支の切り絵)
奥の院に入り御廟に参拝し、偶々参拝の方が少なかったので、御廟の地下の弘法大師が御入定した”御法場”の手前15m迄行ける事に。
ここまで行けるのはそうそうないそうだ。ここまで、毎日食事(弘法大師の)を持って来るそうだ。参拝を終わっての帰り道、高野山のお守りは”日本三大守り”(他は、成田山・伊勢神宮)だそうで、お札・お守り・線香を買う。
「無縁塚」 墓には花でなく松を 「弘法大師の墓」
色付き出した木々 「英霊堂」 墓地を抜けて戻る
案内の方が”こそ”の使い方について話があり、「”こそ”は相手に対して使えば問題は起こらない」良い言葉だと思う。お土産も案内の方の言うものを買って帰る事に。3時前に奥の院を出、銀座通りから大門を通り抜けると下山道に。以前は有料だったがカット道路を発砲スチロールで造っている。634mの表示も、東京のスカイツリーと同じ634mの表示は、分譲だ。
高野山の町並み 発泡スチロールのカット道路 標高634mの標識
麓の九度山から笹田駅前に下山し、国道34導線を和歌山へ。泉南ICから阪和道に入り、左に関空・淡路島を見ながら岸和田SAで最後の休憩を取って新大阪駅着18時15分。
新大阪19時13分発で東京駅に着いたのが22時10分。強行軍のバスツアー3日間。マーマーだったのかな。只一つ、今までと全く違った事は、常に話し相手がいてくれた事。これからもお願い致します。このブログは見ていないので、口頭でお礼を。