郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

『紀伊半島の秘境大縦断』第十弾「高野山」

2014-01-08 00:29:05 | Weblog

 10月22日(火曜日)

 「八瀬の吊橋」を12時前に出発すると、一台の路線バスとすれ違った。奈良県の八木と新宮を結ぶ、奈良交通の路線バスで、有料道路を使わないで走る、日本で一番長い(42.6km・料金5,250円)路線バスとの事。  荒野竜神スカイラインを通り、国道371号線で、1300mの高地から、900mの【高野山 奥の院】へ。「高野山へ下って行きます」と、13時半に奥の院の駐車場に着く。境内の案内人の方の説明に随って全員で歩く事に。勝手に歩いてはいけないらしい。

  奥の院駐車場の周辺案内図        「こうやくん」         「高野山・奥の院」入口

   

≪奥の院は、弘法大師入定(にゅうじょう)の地とされる場所で、大師の御廟と灯籠堂があります。参道には、皇室、公家、大名等の墓や供養碑が多数並んでいます。高野山の創建は弘仁七年(816)。第52代・嵯峨天皇から高野山の地を賜り、開山。高野山は、空海が若い時に修行した山であると伝えられています。「金剛峯寺建立修行縁起」にはあ、空海が修行に適した土地を探して歩いていたところ漁師に会い、その漁師が連れていた二匹の犬に導かれ山中に赴いたところ、土地の神である「丹生明神(にうみょうじん)」が現われ高野山を譲り受けた、との伝承が残されています。≫  

 案内の方の説明で、境内にある墓や供養塔は、大名にお金を使わせる為に遠隔地の高野山に全国の大名に墓や供養塔を建てさせ、金を使わせるのが目的だったとの話しを受けながら、案内の方に付いて境内を歩く。

  「新明和工業」供養塔       「福助工業」供養塔         「東洋ゴム工業」供養塔

  

  「日産自動車」供養塔    「東日本大震災物故者」供養塔  「阪神淡路大震災物故者」供養塔

         

 境内を 「奥の院」手前まで進むと、「ここから先は撮影禁止」という橋まで来て、写真は撮れない。

      境内を                境内を               この橋を渡る

  

      奥の院が見える        奥の院の御朱印    注連縄の代わり(干支の切り絵)

  

 奥の院に入り御廟に参拝し、偶々参拝の方が少なかったので、御廟の地下の弘法大師が御入定した”御法場”の手前15m迄行ける事に。

ここまで行けるのはそうそうないそうだ。ここまで、毎日食事(弘法大師の)を持って来るそうだ。参拝を終わっての帰り道、高野山のお守りは”日本三大守り”(他は、成田山・伊勢神宮)だそうで、お札・お守り・線香を買う。

        「無縁塚」               墓には花でなく松を         「弘法大師の墓」

  

    色付き出した木々              「英霊堂」              墓地を抜けて戻る

  

 案内の方が”こそ”の使い方について話があり、「”こそ”は相手に対して使えば問題は起こらない」良い言葉だと思う。お土産も案内の方の言うものを買って帰る事に。3時前に奥の院を出、銀座通りから大門を通り抜けると下山道に。以前は有料だったがカット道路を発砲スチロールで造っている。634mの表示も、東京のスカイツリーと同じ634mの表示は、分譲だ。

      高野山の町並み        発泡スチロールのカット道路       標高634mの標識

  

 麓の九度山から笹田駅前に下山し、国道34導線を和歌山へ。泉南ICから阪和道に入り、左に関空・淡路島を見ながら岸和田SAで最後の休憩を取って新大阪駅着18時15分。

 新大阪19時13分発で東京駅に着いたのが22時10分。強行軍のバスツアー3日間。マーマーだったのかな。只一つ、今までと全く違った事は、常に話し相手がいてくれた事。これからもお願い致します。このブログは見ていないので、口頭でお礼を。

 

 


『紀伊半島の秘境大縦断』第九弾・「八瀬の吊橋」

2014-01-07 23:35:44 | Weblog
 10月22日(火曜日)
 「熊野本宮大社」を10時発。今と昨日の伊勢神宮で撮った写真と申し込んでおいた弁当を受け取り、”日本一大きな村”の奈良県十津川村に入る。三ッ野ダム・十津川温泉・在校生81名の十津川中学の前を通り、足湯が備えられている十津川役場前を通過して暫く行くと、地元の方達が生活の為に作った吊橋で、今回のツアー企画の大事な場所で”日本一”と云われている。「八瀬の吊橋」(長さ297.7m。高さ54m)に。一度に20人以上は渡れないとの事で、まず(上野地郵便局)へ寄ってから吊橋へ。添乗員さんは、途中で引き返してきたし、ガイドさんは最初から近寄らない。加代さんは”高所恐怖症”なのに、勇気を出して「折角来たのだから渡りましょう」と。4枚ひかれた板の内3枚を使って蟹股のような恰好で、手を広げても両側を持てない中途半端な広さの揺れる吊橋を渡りだす。
  「八瀬の吊橋」に     「八瀬の吊橋」        後方に吊橋が
  
    さあー!渡ろうか     へっぴり腰で危なっかしい    それでも渡りきった
  
   俺も渡りきった   渡ったら戻らなければ  見ただけでも長いよ  本当に高所恐怖症?
   
 どうにか渡って来れたが、かなり揺れたので”もう一度”は勘弁してほしい。中には平気で渡っている人も居り、加代さんも”高所恐怖症”の割に、かなり大胆な恰好を。それでも経験で来て良かった。
 この後は「高野山」へ直行する。第十弾で。

『紀伊半島の秘境大縦断』第八弾・熊野本宮大社。

2014-01-05 21:57:57 | Weblog
 10月22日(火曜日)
 既に年が明けて今日は5日になるが、まだ昨年10月の旅行の話が終っていないので、続けて書かせて貰います。
 ホテルを7時45分発で、船で那智勝浦港に戻り、新宮市を通りトンネルを抜けると”熊野川”。右側が和歌山県、向かいは三重県。この国道168号線は、昭和34年に道路が開通。それまでは熊野川を船で物資の輸送がされていたとの事。2年前の台風で、4mの水が出て、津波の様に川を走り、大きな被害が出たそうで、東北の震災を他人事とは思えないらしい。通りに面した”道の駅”は小さなバラックが建っているだけだった。十津川第二発電所を通る時に、これから行く【熊野本宮大社】の”八咫烏”がサッカーのエンブレムに取り入られている理由をガイドさんが話してくれたが、中村勝之助という方がサッカーの本を翻訳した為に、今の日本サッカー会が有るらしく、中村氏の出身の熊野の守り神の”八咫烏”が取り入れられた、との事。9時過ぎに着く。
≪熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神とし、明治四年(1871)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として国幣中社に列格し、大正四年(1915)に官幣大社に昇格した。現在の社地は山の上に有るが、明治二十二年(1889)の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州に有った。旧社地の中州には「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれ、平成十二年完成の、日本一高い大鳥居(高さ33.9m)が建っている。太陽の使いとされる”八咫烏”を神使とする事から、太陽神であるという説や、中州に鎮座していた事から水神とする設等が有る≫
 熊野川の脇(168号)を走る     「布引の滝」       「三段の滝」       
  
 熊野本宮大社に着き、集合写真を撮ってから、158段の階段を上り、拝殿が改修中で、拝む場所だけ開いている社の三か所に参拝した。
  「熊野本宮大社」入口      集合写真を撮ってから  158段の階段を登る
  
    「熊野本宮大社」                    拝殿
 
    御朱印          「本宮」八咫烏          八咫烏
  
 御朱印を頂いて、階段を下りると、直ぐ傍に「本宮郵便局」があり、二人して寄る。次は、奈良県十津川村の住民が自分達の生活の為に掛けた「八瀬の吊橋」へ向かう。