釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

ヤマボウシ

2013年05月21日 16時52分15秒 | 四季の花
緑の中に白い花が浮き出ているようで好きな花です。

ヤマボウシ(山法師)はミズキ科の木で、最近公園などにも植えられていて見ることが多いですね。

ハナミズキの仲間ですが、私は緑の中の白という点からこちらのほうが好きです。

この花を寂しげという方もいらっしゃいますが、雨の季節の前の一瞬の清々しさを与えてくれる花だと思います。

雨の降っている中でも清らかで素敵です。



ご存知のように白いのは苞(総苞片・そうほうへん)といって花びらを包む葉です。

花は真ん中の球状の集まりが花です。

この花を法師の頭に見立てまわりの苞がその白い衣の見立てで「山法師」の名前が出たということです。

でも、「山法師」なら「やまほうし」になるはず、もしかしたら「山帽子」かもわかりませんね。
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名前が違ってた

2013年05月20日 22時41分50秒 | 日々雑感
昨年の春のことです。

麻布支所に住民票の変更届を出しにいくと不思議なことを言われました。

「西川さんの苗字の西の字なんですけど、フォントにない字だったので西の字を使わせていただいたんですが、正しい文字に区役所のコンピューターが対応できるようになったので本来の文字に戻しますか?」

50数年生きてきて全く知りませんでした、苗字の文字が違うって。



これが正しい文字。

何が違うって。

フォントの文字は



上の文字。

中が曲がっています。

私は中がまっすぐ。

自分ではいつもまっすぐの西川を書いていたのは間違いじゃなかったんですね。

昔、銀行で住民票の文字と違うので住民票通り書いてくださいって書き直させられたことがあります。

私の方が正しかったじゃないですか。w

結局、その日は正しい字に戻さずに、住民票の文字は西のままです

いつかは正しい文字に戻したいと思いますが、親兄弟もあることだし、免許証の更新とかも面倒になるのかもしれませんね。
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「笄」の文字

2013年05月19日 13時48分59秒 | 西麻布の話題
「笄」。

「こうがい」って読みます。

昔の西麻布の町名です。

笄の文字、正しくは画像のように下が離れています。

でも、PCでも下がくっついている文字を使ってるよね。

離すと形にならない。



今までずっとくっつけて書いてたからかな。

練習しようっと。
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5月はスパークリングワイン

2013年05月18日 16時59分21秒 | ワインの話
風薫る爽やかな季節

目には青葉 山杜鵑 泡あわわ

というわけでこれからスパークリングのワイン会です。

左から

田舎式微発泡にごりワインh3 Papillon キャンベルス・巨峰

Cerdon Méthode Ancestrale

Santa Digna Estelado Rosé

Quid Falanghina Spumante Brut

Waipara Hills Marlborough cuvée

2006 Cremant de Bourgogne "Vive-la-Joie" Brut

Canard-Duchêne Brut

Vixen

というわけで、鰹もご用意いたしました。

さてどんな味のワインでしょうかね。

楽しみ
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調べれば調べるほど

2013年05月17日 23時32分34秒 | 日々雑感
移り気な私はいろいろなところに興味が移ります。

昨日書いた神田祭のこと。

深川は神輿だから山車が少ない。

調べたら江戸時代は50台もあった・・・・・どういうことじゃ。

じぇじぇじぇ、です。

地盤が柔らかいって、そんない柔らかかったら人も歩けないだろうって。

反省。

油圧で上下する屋台。

今はそうかもしれませんが、江戸時代も江戸城に入るのに門を何回も抜けるのに山車の飾りは上下したそうな。

早とちりです。

今でも油圧なんか使ってないはず。

江戸時代の舞台のセリは人力だものね。

いやはや、嫌になります。

この性格。

でも、このなんでも調べるくせは大学時代の恩師に教えられたもの。

感謝しています。

でも詰めが甘い。

さて、今日の最初の画像。

神田祭の神幸祭のものです。

七色の幡(はた)。

これは横にたなびく旗じゃなくて、幡(ばん・はた)でしょう。

ごん汰的には七色が気になりました。(一本横になってる。)



やはり詰めが甘い。

さて「七」

仏教には「七難即滅 七福即生」という言葉が『仁王経』あるらしいのです。

それが行き着く先は七福神なのですが。

七は吉数なのですね。

そして北辰信仰。

道教における北極星や北斗七星の信仰で、日本では妙見信仰ともいわれるものです。

神田明神の祭神でもある平将門ともに兵を挙げた平良文の子孫を称する千葉氏がその信仰を深く関わっていたといわれています。

家紋が、七曜星、八曜星、九曜星。

例えば千葉氏の城であった千葉城には櫓が七つあったとか。

江戸(東京)には平将門に由来する神社や遺跡が七箇所ある。

神田明神

将門首塚(大手町・神田明神旧地)

鎧神社(北新宿)

稲荷鬼王神社(歌舞伎町)

筑土神社(九段)

兜神社(兜町)

鳥越神社(鳥越)

この七箇所が北斗七星の形に並んでいるというのは事実らしいです。(ある意味都市伝説ですが)

七つと平将門

そんな縁からの七色では・・・・・。

調べたり想像したり、ごん汰の旅は続くのです。

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神輿深川 山車神田 だだっ広いが山王様

2013年05月16日 23時45分18秒 | 寺社仏閣
出典を調べてもわからないのですが、江戸っ子は江戸の祭りを

神輿深川 山車神田 だだっ広いが山王様

といったそうです。

富岡八幡宮の深川祭は神輿が中心、神田明神の神田祭は山車が中心、そして日枝神社の山王祭は氏子の町々が非常に広範囲であることをいっています。

深川で神輿が発達し、神田では山車が発達したのには理由があるのではないでしょうか。

ご存知のように深川は新開地のうえに水はけの悪い土地です。

深川の辰巳芸者も足が汚れるからと下駄に素足の姿だったそうです。

そのくらい水はけの悪い場所だったのではないでしょうか。

山車を曳くにも地盤が悪くてかなわなかったので、神輿が発達したと考えるのがいいのではないでしょうか。

さて、それほど発達しいて山車はどこに行ってしまったのでしょうか。

文久元年(1861)の記録では山車の数が36台。

昨日の絵巻でも36台。





山車のほかにも、上の絵巻にも見られる万度(万燈・まんとう)や輿の行列など、数多くの行列(付祭)があったのです。

ではその出しや行列はなぜ今はなくなってしまったのでしょうか。

明治になって江戸幕府の崩壊で江戸の町衆の力が削がれたこと。

現在、関東各地に江戸から購入したという山車が残っていますが、これは明治期に流失したものだと思われます。

次に、街路に路面電車や電気の電線が架線されたことによって巡行しにくくなったことも原因だと思われます。



この古い写真によりますと山車の高さは二階屋ぐらいあります。(写真の山車は覆いの仮屋の中に入っています。)

電線があっては巡行は無理ですね。

そしてとどめを刺したのは、関東大震災による焼失。

昭和7年の神田祭の様子が映像に残っていましたが、山車はほとんどありませんでした。(映っていたのは一台のみ)

そして、太平洋戦争の空襲。

昭和27年の映像では、鳳輦一台の寂しい神幸祭でした。

そのような状況で、移動や収納に便利な神輿が中心の祭りになっていったのではないでしょうか。



これは山車の上に載っていた熊坂長範の人形。

人形だけはかろうじて残ったのですね。



これは現在の大江山の鬼の首の山車ですが、これはなかに空気を入れた張りぼてで簡単に縮めることができます。

また、北関東のある町の新調された山車では、油圧によって屋根上にある人形が屋台の中に沈み込むように作られたものもあります。(ちょうど舞台のセリのように)

いろいろな工夫でまた神田祭を始め東京の祭りにも山車が復活するといいですね。







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祭礼図巻にみる江戸の粋

2013年05月15日 20時05分43秒 | 美術館・博物館めぐり
末広町にある3331アーツ千代田で「祭礼図巻にみる江戸の粋」展を鑑賞。

神田祭の色々な展示ですが、メインは千代田区文化財「神田祭礼図巻」の複製です。



ものすごい長さです。(写っているのは1/3くらいです。)

これを見るといかに江戸時代の神田祭がすごかったかがわかります。

そして、昭和7年、27年、33年の神田祭の貴重な映像も上演していました。

ほかには神田五軒町(現在の外神田6丁目)の町神輿や神酒所のご神体など展示してありました。





この展示会でいろいろな発見をしました。

くわしい神田祭の話とともに、それはまた後日。


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杜若と文目

2013年05月14日 23時46分57秒 | 四季の花
杜若(カキツバタ)と文目(菖蒲・アヤメ)。

この二つの花はもうそろそろ盛りが終わろうとしています。



こちらは皇居東御苑二の丸庭園の杜若。

杜若には珍しい園芸品種の「鷲の尾」です。



池の反対側から見るとシラン(紫蘭)の紫とよく調和をして美しいですね。

植物学の牧野富太郎博士は、「杜若」は中国では、アオノクマタケラン、「燕子花」をオオヒエンソウだと書かれているそうです。

その時点で、カキツバタの漢名がわからないと書かれています。

日本人としては「杜若」「燕子花」でいいのですがね。

画像でお分かりのように本当に水辺に生えています。

園芸書では、杜若は睡蓮と同じように水中に植えると書かれています。

花菖蒲は、水中では根腐れを起こすので少し土を盛って植えると書かれています。

それだけ生育場所が違うのですね。



これは池の隣にある菖蒲田の様子です。

まだ花芽もついていません。

そして、田には水も入っていません。

これだけ生育時期や生育環境が違うのですね。



近くの藪の中に入るとアヤメが花ざかりです。

自然界のアヤメは小さくて可愛らしいです。

あやめは完全に乾いた土地に自生します。

こうしてひとつの庭でも杜若とアヤメの違いがわかるのです。

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大神社展

2013年05月13日 17時20分31秒 | 美術館・博物館めぐり
上野の東京国立博物館で開催中の「大神社展」に出かけてきました。

各地の神社の宝物を一同に集めた展覧会という触れ込みですが、色々なものがありすぎて焦点が鮮明ではありませんでした。

神社が所蔵している品物を並べるだけでは秘宝館と変わりがないと思うのですが・・・。

最初は神様の道具、神様の衣装や日常道具、祭祀具などの展示。

山の信仰で大神神社の三輪山。

海の信仰で宗像大社の沖の島。

そして、神社の曼荼羅や縁起絵巻。

祭礼屏風や能装束。

色々な社宝、七支刀、天皇の宸筆、武将の奉納品。

おしまいに神像群。

国宝や重要文化財をいろいろ見るのにはいい展覧会です。

教科書で見たことのあるものがたくさんありました。

これだけの国宝をいちいち見にいくには大変な労力と時間と費用がかかりますものね。

もう少し仏教との関係やその宝物がその神社の所蔵になった経緯がわかれば良かったと思います。

日曜日でしたがあまり混雑もしていませんでした。

仏像に比べて、神宝や神像はあまり人気がないのでしょうか。

いい企画なのですがもうひと工夫が欲しいところでした。
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下谷神社大祭

2013年05月12日 20時26分24秒 | お散歩日記/東京地名の話
今日は上野をお散歩。

上野にある下谷神社は大祭です。



神社の参道は露店も出て大にぎわい。

でもお神輿の渡御は終わったらしい様子。

少し近くを散策。

すると遠くからお囃子の音が聞こえます。

今の新御徒町駅近くは、江戸時代に佐竹家の上屋敷があったので佐竹町といわれ、日本で二番目に古い佐竹商店街があります。

そっちの方角から聞こえるので行ってみると町内神輿を発見。





佐竹商店街のアーケードを行く神輿を鑑賞。



町内の予定ではもう終わっているはずなのにね。

盛り上がっていました。

あとで調べたら、下谷神社は、将門の宿敵、藤原秀郷が勧請したらしいことを知りました。

昨日、神幸祭があった神田明神は御祭神が平将門、そして今日が神輿渡御。

敵味方の神社が同じ日にお祭りとは、不思議な巡り合わせです。


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