11月3日の西麻布・太陽祭が近づいてきた。
そんな折に耳に入ってきた寂しいニュースがある。
西麻布モンスーンカフェの閉店のニュースである。
西麻布二丁目の外苑西通り沿いにあるモンスーン・カフェは1993年の開店。
その年は、私が劇団を辞めて新宿で働き出した年だ。
当時の外苑西通り沿いには、老舗のスポーツトレインをはじめ、いくつかの小さな物販のお店が営業していた。そして、1985年ころにできたサーティーワンアイスクリームの跡地がアフリカンレストランになっていたころではないだろうか。でもそのころのモンスーン・カフェの印象が残っていない。
記憶に残るのは、1998年、GONTAが開店した日、手伝ってくれた友達とお疲れさんをしたのが、モンスーン・カフェだった。座った席も覚えている。
それから閉店後にお客さんと一緒に朝まで飲み食いしたことがよくあった。白々と明けていく青山墓地の空と朝日に輝く墓石の眩しかったこと。
「モンスーンで明け方のホワイト・ジンファンデル」が合言葉になった。
お店のスタッフとも仲良しになって、朝まで楽しい時間を過ごした。
そのころは朝までたくさんの人がいた。
それから、自分自身も朝まで飲む体力もなくなり、知り合いのスタッフさんも去り、いつしか足が遠のいていった。いつしか前を通っても以前の喧騒は見られなくなっていた。
「あそこは一号店だから閉店はないよ。」そんな言葉がまことしやかに囁かれていた。
そして、突然の閉店。
自分のここ十数年と照らし合わせたとき、少し思い出に浸った。
でも、閉店前にもう一度訪れる気分にはなぜかなれない。
過ぎ去った日々はもうそこにはないから。
そんな折に耳に入ってきた寂しいニュースがある。
西麻布モンスーンカフェの閉店のニュースである。
西麻布二丁目の外苑西通り沿いにあるモンスーン・カフェは1993年の開店。
その年は、私が劇団を辞めて新宿で働き出した年だ。
当時の外苑西通り沿いには、老舗のスポーツトレインをはじめ、いくつかの小さな物販のお店が営業していた。そして、1985年ころにできたサーティーワンアイスクリームの跡地がアフリカンレストランになっていたころではないだろうか。でもそのころのモンスーン・カフェの印象が残っていない。
記憶に残るのは、1998年、GONTAが開店した日、手伝ってくれた友達とお疲れさんをしたのが、モンスーン・カフェだった。座った席も覚えている。
それから閉店後にお客さんと一緒に朝まで飲み食いしたことがよくあった。白々と明けていく青山墓地の空と朝日に輝く墓石の眩しかったこと。
「モンスーンで明け方のホワイト・ジンファンデル」が合言葉になった。
お店のスタッフとも仲良しになって、朝まで楽しい時間を過ごした。
そのころは朝までたくさんの人がいた。
それから、自分自身も朝まで飲む体力もなくなり、知り合いのスタッフさんも去り、いつしか足が遠のいていった。いつしか前を通っても以前の喧騒は見られなくなっていた。
「あそこは一号店だから閉店はないよ。」そんな言葉がまことしやかに囁かれていた。
そして、突然の閉店。
自分のここ十数年と照らし合わせたとき、少し思い出に浸った。
でも、閉店前にもう一度訪れる気分にはなぜかなれない。
過ぎ去った日々はもうそこにはないから。