釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

バーニャカウダ

2006年02月22日 21時14分15秒 | 料理レシピ
先週のワイン会で「バーニャカウダ」を作りました。

今、オリンピックをやっているトリノのあるピエモンテ州の料理だそうです。
熱々のオイルドレッシングの中に野菜をつけて食べる料理です。
名前の由来は「熱い風呂」。
まさしく熱い風呂に野菜を入れた食べるわけです。

土曜日は通常のもののほかにクルミ入りを作りました。
これはテレビであの「ヒデとロザンナ」のロザンナさんが紹介していたもの。
どんなレシピ本でも見たことなかったものです。
クルミの風味が生きて、また違ったバーニャカウダを楽しめますのでお試しください。

レシピ

1、数粒のにんにくを、粒のまま同量の牛乳と水で煮ます。
2、少し煮たら、牛乳と水を捨て、同じことを三度ほど繰り返してます。
3、ホクホクになったにんにくを裏ごしします。(面倒な方はミルサーで砕いても大丈夫。)
4、にんにくと同量のアンチョビも裏ごしします。(ミルサーを使うときはアンチョビも一緒で大丈夫です。)
(クルミ入りを作るときは、砕くかすり鉢ですった胡桃を、ここで混ぜてください。あまり細かくしたりペーストにするよりもこの方が良いようです。)
5、小さな鍋ににんにくとアンチョビのペースト状になったのを入れて、火にかけながらオリーブオイルを足していきます。
6、ペーストとオイルが混じりにくいですけど、完全に混じっていなくても大丈夫です。
7、フツフツ沸いたらオイルに野菜を入れてどうぞ。 あまり強く沸騰させると分離して固まりますので弱火でどうぞ。

野菜は生で食べられるものはそのまま、ゆでて食べるものはあらかじめゆでてください。
土曜日はブロッコリー、カリフラワー、アスパラ、にんじん、きゅうり、スナップエンドウ、パプリカ、カブ、トマト、菜の花などをいただきました。
ほかにチコリ、ラディッシュ、きのこなどサラダにするものなら何でも美味しいです。
暖かいオイルにつけるのではなく、皿に盛った野菜にかけて食べてもいいですが、熱々を食べるならば、フォンディユのようにどうぞ。
ちなみにゴンタではフォンディユ鍋でやりました。
パンなどもつけて食べると美味しいですよ。
あまったオイルはパスタのソースにどうぞ。

皆さんもお試しください。

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丘とヒルズ

2006年02月20日 21時47分42秒 | お散歩日記/東京地名の話
散歩をしていると東京の地形がいかに起伏に富んでいるかを思い知らされる。
特に武蔵野丘陵の末端部に当たる台地とその東方に広がる低地がせめぎあっている文京、新宿、港、目黒、品川大田区などは、多くの谷が台地の奥深くまで入り込んでいる。
現在の東京の構築物をすべて取り払ったら、東京のもともとの地形が見えてきて面白いだろうなと昔から思っていた。

そうしたらこんな本に出会った。
『東京』の凸凹地図(東京地図研究社・著 技術評論社・刊)
3Dメガネで見る立体写真や陰影図による地形の説明が面白い。

この本を見ながらふと思い出したことがある。
森ビルの「ヒルズ」はどこも谷を生めて丘を作っているという話。

すべてがそうではないだろうが、アークヒルズの所在地は「谷町」。
六本木ヒルズの旧・住所は「麻布日ヶ窪町」・・・まさしく窪地である。
子供のころ今の六本木ヒルズのあたりには、金魚屋さんがあって、釣堀もあった。
今の毛利池がテレビ朝日構内にあって、ニッカ池といわれていたころの話。
このニッカ池はもちろん洋酒メイカーのニッカの工場があったから。
その前は毛利家の屋敷だったから毛利池にしたわけ。
この池は人工じゃないからいかに低地かわかるはず。
表参道ヒルズの足元のあたりは「隠田」・・・葛飾北斎の富嶽三十六景の「隠田の水車」で有名な場所である。
今のキャットウォークのところが、渋谷川のあと、ここに水車があったそうな。
そうまさしく水辺の隠れるような田んぼのある低地。
城山ヒルズは旧「芝西久保城山町」・・山とはつくがまたまた窪地。
最寄り駅の神谷町も旧「西久保神谷町」で『谷』地名です。
西久保とは愛宕山の西側の窪地。
今は虎ノ門何丁目とかになっていますが。
愛宕ヒルズも愛宕山の上にあるわけではなく、愛宕山の麓。
唯一、麻布ヒルズが麻布十番の背後の麻布台地の上にありますが・・。
麻布ヒルズの麓の寺は「麻布山善福寺」っていうんだから由緒正しい。
そうあの福沢先生のお墓のある寺だ。

これもある意味でいう地名詐称ではないでしょうか。
谷を丘(ヒルズ)と言い換えて、いかにも高級であろうとする。
昔は水の便の悪い高台よりも低地に好んで暮らしたはずなのに、水道の発達でいつの間にか高いところに住むことを良しとするようになった。
不毛の高台に新たに開かれた宅地には、○○台、○○ヶ丘といういかにも高台なんだぞ!!という名前がつけられて高級感をかもしだしている。
武蔵野台地の真ん中に立つとどこが丘やら高台やらわからない。
まぁ全体が高台だっていうことなんでしょね。

地べたで再発見! 「東京」の凸凹地図

技術評論社

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ちょっと寄り道・・・合体!!!

2006年02月14日 22時21分52秒 | お散歩日記/東京地名の話
最近、市町村合併で地名がどんどんなくなっていますね。
東京でも過去に多くの地名が消失しています。
地名がなくなるというのは新しい地名に置き換えられるわけですよね。
六本木や恵比寿みたいに有名地名が拡大していく場合もありますが、まったく新しい地名がつけられる場合もあります。

新しい名前をつける場合、平成の大合併における市町村名のつけ方には安易なものが多いですよね。
たとえば茨城県にできる「小美玉市(おみたま)」なんか霊魂みたいな名前ですが、「小川町」「美野里町」「玉里村」の頭の文字を合わせてつけられたみたいです。
それぞれが名前を主張するとなかなか決着しないからそういう方法が取られるのでしょうが、なんかその土地の歴史も何もかも無視しているようで悲しいです。

東京でも過去においての村が合併するときに、怪しい合体地名ができています。
たとえば「代々幡村」・・・これは代々木村と幡ヶ谷村の合併地名。
さらに目黒には「碑衾村(ひぶすま)」という、碑文谷村と衾村の合体地名がありました。
現在、「衾(ふすま)」という地名は完全に消え去っています。

そんな昔ではなくて、住居表示でも「杉並区成田」は成宗町・西田町・東田町の合成地名ですし、「板橋区小茂根」は小山町・茂呂町・根の上町の頭を繋げた地名です。

東京23区ができるときにも合体地名ができています。
「大田区」・・これは大森区と蒲田区の合体地名です。
だから大田の大に点がないんですよ。(太田区ではない・・・わけ。)

「国立」は駅名から発生した地名ですが、駅名は国分寺と立川の間の駅だから一文字ずつとって「国立」・・・もともと谷保村といういい名前を捨てて、町の名前にしちゃいました。
谷保が野暮につながるから嫌われたとか。

まぁ、こう見ると結構いい加減に地名つけてますね。

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幡ヶ谷→中野坂上(その3・東大付属)

2006年02月14日 00時00分49秒 | お散歩日記/東京地名の話
六号坂を下りきると少し広い道になります。
そこが谷底で川のあとが遊歩道になっています。
街頭の地図には神田川支流と書いてあります。
そこからまた上りになり、上りきったあたりで中野区に入ります。

その先右手には、東京大学教育学部付属中等教育学校があります。
東大の付属?・・・東京に住んでいる人でも知っている人が少ないな謎の学校です。
ここに入れば必ず東大にいけるというわけでもないので、そんなに有名でもありません。
ここの学校の謎は入学審査に学力試験がないことがあげられます。
作文と面接で選考され、さらに募集人員に対して応募者が六倍を超えたときは抽選で受験者を決めるというユニークな方法です。
なぜこんな方法を取るのかというと、この学校が双生児研究のための学校だからです。
在校生の三分の一は双生児(またはそれ以上)なのです。
なんかそんなこと書くとまるで実験施設のような気がそんなに異様なものではありません。
中高一貫教育が行われている中で、一般児と双生児の違いを研究しているそうです。
ですから学力で入学させるのではなく、いろいろな生徒を在校させる意味で学力試験を行わないようです。
授業料も前期(中学部分)は無料、後期(高校部分)は年間12万円弱と格安です。
でも、書けば書くほど怪しい学校のような気がするのは私だけかしら。

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幡ヶ谷→中野坂上(その2・玉川上水新水路)

2006年02月08日 18時01分09秒 | お散歩日記/東京地名の話
六号通り。
幡ヶ谷の六号通り商店街、そこから水道道路を越えて北に進むと、六号坂商店街の下り坂になります。

その六号通りの名前の由来。
いろいろ調べましたがなかなかわからなかった。
調べていくうちに笹塚に十号通り商店街や十号坂、そのほかにも六・七・九・十三号の各公園があったり・・・。
どうもその並び方は新宿方面から笹塚方面に順番に並んでいるようです。

唯一書いてあった由来に、水道道路がまだ水路だったときに橋があって、淀橋浄水場を起点に順番に一号橋・二号橋・・とついていたのが始まりだとか。
明治時代になって、衛生面から玉川上水の新水路が開設されることになったそうです。
杉並区和泉から新宿区の角筈まで水路開削されました。
関東大震災で被害を受けて昭和初期に水道管として甲州街道の下に埋設されるまで存在していたようです。
ですから水道道路といっても今では地下に水道管は通っていないようですね。
さて○○号・・・の由来の橋、橋は全部で16橋、そのあとが○○号通りと呼ばれているようです。
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幡ヶ谷→中野坂上(その1・水道道路)

2006年02月08日 00時30分19秒 | お散歩日記/東京地名の話
今週(5日)のお散歩は渋谷区の京王線幡ヶ谷駅から出発。

幡ヶ谷駅は以前よく渋谷区のスポーツセンターのプールで泳いでいたから慣れ親しんだ駅です。
でもスポーツセンターは駅のある甲州街道からは南側。
今回は甲州街道の北側に進みます。

まず六号通り商店街。
なぜ六号通りというか不明ですが、甲州街道からあまり広くない道が北に続いています。
お店はたくさんあってなかなか賑やかです。
少し進むと水道道路。
井の頭通りも甲州街道から北は水道道路と呼ばれています。
吉祥寺方面から甲州街道に向かって少し手前から、この道が東に新宿方面に向かっています。

井の頭通りといい、水道道路といい、水っぽい名前です。
この通り付近は水に関係する事柄が多いです。
井の頭の名前の起こりは、今の井の頭公園にある水源が神田川の源であることに由来します。
井の頭池には水の神様である弁天様も祭られていることがご存知のこと友もいます。

井の頭通りの西側には永福町の先まで神田川が平行して流れています。
神田川は、そこから杉並区南部、中野区南部、新宿西部から北部、落合、高田馬場付近を流れて、文京区の関口で神田上水となります。
川は江戸城の外堀となって、飯田橋、水道橋、御茶ノ水、浅草橋などを経て、隅田川に注ぎます。

井の頭通りは、武蔵野市の西部、関前から五日市街道と分かれて始まります。
五日市街道は小平市のあたりから玉川上水と平行して通っています。
玉川上水は西多摩の羽村市の多摩川の取水口から延々と流れてきていて、五日市街道と平行して流れ、その後、三鷹駅の下を通り、井の頭公園の西部を流れ、井の頭通りの西方を南下、甲州街道を越えて代田橋、笹塚、幡ヶ谷、初台と甲州街道の南側を流れ、今の新宿御苑の中を流れていたようです。
そこから江戸市中に分流されていたわけです。

給水所などポンプ施設のなかった江戸時代は、羽村の取り入れ口から緩やかな勾配を利用して、水を江戸に運んでいたので、玉川上水の通り道は下流に行くほど、地形的には尾根の部分を通っています。
甲州街道も周りからは一段高いところをっとおっていますが、玉川上水はさらにそこよりも高いところを蛇行しながら流れています。

井の頭通りの始まり付近には、武蔵境浄水場があります。
さらに井の頭通りの甲州街道を越えたところには、和田堀給水場。
水道通りの終点新宿には、淀橋浄水場。
見事に水道関連の施設が並びます。

水道道路の名前の起こりも水道管が埋設されたからではないでしょうか?
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