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【中学歴史教科書8社を比べる】295  (21) 「蝦夷・蝦夷地・アイヌ」の描き方のちがい -19-(この項:完) <まとめと考察2/2>

2017年09月11日 | 社会・文化・文明

(21) 「蝦夷・蝦夷地・アイヌ」の描き方のちがい  -19- この項:完

■まとめと考察 2/2


 

4 「アイヌ差別」の描き方 ~現在、それは、日本国民全体が解決すべき課題なのか?~

 

 「人権思想」や「差別」という、人と人間社会に関する”抽象的”な言葉が表す(=意味する)内容(=概念:各人の脳内にしかない)は、世界の各文明、民族、国家、社会集団ごと、つきつめれば個人ごとに、それなりにちがっている。

 「差別」とはどんな意味(概念)なのか・・・ものごとを定義する専門家である哲学者でさえ避けたがるテーマらしいが、このシリーズでは25日(25記事)をかけて定義してみたので、関心のあるかたは覗いてみてください(※とてもめんどうです!)。

 → <「区別・差別・人権」223 ~ 236(=⒅項の中間まとめ:181-235内のリンク集)247(独立項:完)> 

 

「差別」の定義 (現段階の到達点)~<246>から再掲~

・差別1=区別 + 仲間はずし行為 

・差別2=特定の集団AまたはAに属する個人A´が、特定の属性をもつ集団Bとそれに属する個人B´に対する差別心をもち、B・B´が内心で不利益だと思っている、仲間はずし行為をすること。

 ※1「仲間はずし行為」=上記のA・A´が、B・B´がもつ権利を認めなかったり、奪ったりすること。 ※「B・B´がもつ権利」=「人権」。247参照
 ※2「不利益だと思っている」=BまたはB´が内心で、《自分が権利として受けることができる利益が認められなかったり奪われたりしている》と判断している、ということ。「不利益」とは「価値判断」のことなので、実は内的事象。(※同じ事象でも、利益と思うか、不利益と思うかは、人によりちがう。)
 ※3「差別心」=特定の属性をもつ集団Bとそれに属する個人B´について、B・B´が内心で不利益だと思う、とわかっていて(いるのに)、B・B´に対して仲間はずし行為をしていいと、あるいは、して当然だと、思っていることそのもの。/ 左記の対人認識のこと。
 ※4 「差別心」・「不利益だと思う」は内心そのものだし、「仲間はずし行為」は、それらの内心の働きによって起こされる行動だから、定義はとてもむずかしい(とても複雑になる)。
(※ほとんどの日本人は、”自分なりに、おおまかに(ファジーに)理解” していると思う。それで日常生活にはほぼさしつかえない、のだから。)

 

■「人権」の定義 247参照>

【日本人の人権」=日本人の持つ伝統的平等観と、日本国憲法に定められている各種の基本的人権のこと。 

 

 「差別」の定義について、昭和51:1976年に現佐賀市の春日小学校の教員になったときから気になっていたが、結局40年ほどたってから自分で作ってみた。ここでは、その定義を使って、判断・評価する(しかない)。

 

●日本(人)は、現在、アイヌ(人・民族)を差別してはいない。

 現在(ここ10年ほどで考える)、《A:日本人の多く、B:アイヌ民族(人)に対する差別心をもち、アイヌ民族が内心で不利益だと思っている、仲間はずし行為をしている。》とはとうてい言えない。
 むしろ反対であり、日本人の多くはアイヌへの「差別心」は持たず(※好意的な日本人の方がはるかに多いと推測するが?)、国会では保護的法律を作り、国家財政から”補助金”を出しているのが事実。

 日本政府から援助してもらっているのに、現在「日本で差別されている」などどは言えない。(※”現代の眼”で見れば、《近代以前に「差別事象」があった》ことはまちがいないと思うが。)

 地方の”日本人”の伝統的行事(例えば、唐津市相知町の「相知くんち」:熊野神社の祭りが中心…)のほとんどは、おおむね地域の各戸有志の寄付で行われていると思う。一部に市町村の補助金が出ている行事はあるが、”地域共同体の行事等”に公金を支出するのは、政策としての「伝統文化の保存事業」であり、当然のこと。

 だから、日本政府が、「日本の少数民族」である「アイヌ民族(「北海道アイヌ協会」)に対して補助金を出しているのも、「日本の伝統文化の保存事業」なのだ。→ まったく「仲間はずし」はしておらず、「日本人の仲間」として認めている。=差別していない。

 

●現代では、《事実上「アイヌ民族」は存続していない》という状況に近いようだ。

・「アイヌ人」・・・両親・先祖がアイヌ人の人は極めて少数らしいし(または、いない?)、ほとんどが和人と混血した人々が数万人ほど(?)いるらしい。※「混血2代目」はアイヌ人と言えるだろうが、混血を重ねていけば、《日本人との血統的同化》ということになる。

・「アイヌ民族」・・・上記の「アイヌ人」は、日本人とまったく同じ暮らしをしていても「血統的アイヌ人」だが、「民族」となるとちがってくる。

 「民族」というためには、《それなりの集団(集落・社会)の日常の暮らしが、おおむねアイヌ文化にもとづいている》という条件が必要。現代日本で、民族文化の中核:「アイヌ語」のことだけ考えても、それを使って暮らしている人はいないようだ。
 ※観光用に、そのときだけ”扮装”する人たち(の一部?)は、「アイヌ民族の貴重な末裔」であっても、「現存する民族」とは言いにくいだろう。

 つまり、残念だが、アイヌ民族はもう自立的存在ではなく、《伝統的文化財として大事に保護されている”歌舞伎”》と同じように、《伝統的アイヌ民族文化が大事な文化財として保護されている存在》になっていると思われる。※民族の「絶滅」ではない。

 

 以上のように考えると、

現代の日本で、《「アイヌ差別」は、現在解決すべき国民的課題だ。》と中学生に教えるのは明らかにまちがっている。→ × 5社:東京書籍、帝国書院、教育出版、日本文教、清水書院。

 

~次回から、(22)~ 

<全リンク⇒ <(21)蝦夷・蝦夷地・アイヌ 277278279280281282283284285286287288289290291292293294295(アイヌの項:完)>


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