■「区別と差別」、「人権」について考える -1-
1 はじめに
昭和51(1976)年に小学校に奉職したときにはすでに「同和教育」がカリキュラムに入っていたし、平成21・22年度には「唐津地区人権同和教育研究会(約1000人:小中学校教職員)」の会長もつとめたので、一般の方々よりは「差別」や「人権」に関する考えや「運動」について少しはくわしく知っているのではないかと思います。
・「ある行為が差別かどうかは、”被差別者”が決めることだ。」「”被差別者”が差別だと感じたり思ったりすれば、その行為は差別だ。」
えっと思う方がいるかもしれませんが、これが解放同盟や同和教育研究会が主張する「定義」でした。そして、私の知る限りでは、その主張に異議を唱えた教職員はいません。私は違和感を感じてはいましたが、そのことについてつきつめて調べたり考えたりすることはできませんでした。
解放同盟と在日朝鮮人組織はとても仲がいいのですが、上記のことを「朝鮮人差別問題」に適用すると、《ある行為について、朝鮮人が差別と思えばそれは差別なのだ》ということになります。これは、”一面の真理”であり、一定の説得力がありますが…
・「差別とはなにか」「人権とはなにか」・・・少しでも論理的に考える訓練を受けた人は、その”意味”・”定義”の難しさがよくお分かりと思います。
ここでは、中学歴史教科書の《在日韓国・朝鮮人への差別は、現代日本が解決すべき(重要な)課題だ。》という記述が妥当なのかどうか評価するために、「差別」と「人権」について、一定の結論に達するまで考えてみます。
以下、 ①”考えては書き、書いては考える”という進め方になるし、②13歳の日本人(中学1年生)にもわかるように書きたいので、実はどのくらいの文量になるのか自分でもわからないのですが…
2 「区別と差別」について考える
区別する、差別するという思考+行動(行為)は、”人とその社会がどのような姿になるか”ということに関して、とても重要な要素の一部。
しかも、「区別」と「差別」はどうちがうか?、両者をどう区別するか?、について、深く考えたり、読んだりした人は少ないようなので、ていねいに考えたい。
【定義】「要素」=あるものごと(=物やできごと=事象)に含まれている、部分的ないろいろな事象。 例えば、「現代の人類社会の要素」=①ヒト、②水と食料、③衣類、④住居、⑤いろいろな道具:農場/工場/移動手段/通信手段/武器/カネ/・・・、⑥文明・文化、など。
※1 ここでは、ただ「含まれて」いれば要素とする。絶対必要な:不可欠な:必須要素は「複数のヒト」であり、そのほかの各要素の「必要性」や「重要性」はそれぞれさまざまに異なる。
※2 抽象化すると → 《事象A ⊃ 要素事象 a,b,c,d,e.・・・》
※3 欲求・感情・思考・行動は、ヒトの要素(の一部)。
⑴ 「内心(欲求、感情、思考など)」と「行動(現象:現実におきたできごと)」の関係
【行動例1】~ある会社の社員採用の場で起きたできごと~
《採用試験の受験者は、日本人9人と在日韓国人1人(=Zと呼ぶ)だったが、結果的にZだけが試験に落ちた。》
これは、「在日朝鮮人差別」か?
~つづく~
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