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「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

和菓子で感じる日本の伝統文化2~「ちまき」~

2025-04-27 12:14:44 | 日記
 今日のお店は岡山県瀬戸内市の「岡山夢菓匠敷島堂」です。「なぜ岡山?」実はお墓参りのため故郷に帰省していたのです。


 私の故郷である瀬戸内市はかつて岡山県邑久(おく)郡と呼ばれ、平成の大合併により「邑久町」「牛窓町」「長船町」の3町が合併して誕生しました。かつての自治体名はそのまま行政区名として引き継がれています。そして昭和後期から逐次整備し始められた「山陽自動車道」や「岡山ブルーライン」の開通により、関西方面からの日帰りが可能となった岡山・倉敷バスツアーの通過地点となった邑久郡は、ちょうどツアー客の休憩・お土産の立ち寄りスポットとして一躍注目を浴びるようになり、今では岡山を代表する観光地のひとつとなりました。

 瀬戸内海沿いの小高い丘にオリーブ畑が広がっていた牛窓町は、かつて朝鮮通信使の寄港地であった牛窓港周辺にホテルやヨットハーバー、ペンション村などが建設され「日本のエーゲ海」と称するリゾート地となりました。
 内陸部の長船町は、名刀と謳われる「備前長船」に因み「刀剣の里」として刀剣博物館がオープン。刀剣ファンや外国人観光客に人気のスポットです。
 そしてその中間点にある邑久町は、明治・大正・昭和を生きた画家・竹久夢二の生誕地であり、今でも生家が残ることから「夢二の里」として売り出しました。バブルの後押しもあったと思いますが、特に有名な名所旧跡や温泉もない片田舎が「町おこし」だけで成功した数少ない例だと思います。

 そして「夢二の里」に大きく貢献したのが「敷島堂」さんではないでしょうか。竹久夢二の子孫から承諾を得、「夢二」と冠した和菓子に夢二の「美人画」が描かれた包装紙を施し、それまで吉備団子くらいしかなかった岡山の名産品に参入。団体客がバスで押し寄せるほどの人気になったのです。私の記憶では町道沿いにあったどこの町にでもある団子やおはぎ、卒業・入学シーズンの紅白饅頭、慶事の赤飯などを扱う小さなお店だったように思うのですが、今では邑久町の田んぼのど真ん中に観光バスも停まれる駐車場や工場を備えた総本店が建てられ、JR岡山駅などにも出店を有する大きなお店になりました。岡山名物のマスカットや白桃などを使った洋菓子も作っているようですよ。向こうに見える山の麓が夢二や私の故郷である「山田(上山田、下山田)」と呼ばれる集落です。


 あっ忘れていました。今日の和菓子は「ちまき」です。諸説あるそうですが中国で健康や尚武を願い、端午の節句に食べられていたお菓子で日本では平安時代には伝わっていたようです。「♪ 五月五日の背比べ ちまき食べ食べ 兄さんが ♪」の「ちまき」です。


 主に西日本を中心に広まった習慣のようで、東日本ではおこわを包んだ「中華ちまき」が連想されるようですが、竹の葉や皮で包まれた米粉を蒸して作られたお菓子です。大阪市内の公立小中学校では、5月になると給食のデザートとしても出されますよ。


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