訪問日:平成28年2月21日(日)
出 発:阪神電車「甲子園駅」
到 着:阪神電車「西灘駅」
「酒蔵めぐり」。第二弾は「灘五郷(なだごごう)」。かつて上方酒の主な生産地は、山田錦(米)、地下水(水)、丹波杜氏(麹)と三拍子揃った摂津國の内陸部である伊丹(兵庫県)、池田(大阪府)であったが、江戸に幕府が移ったことにより、江戸中期以降、海運で地の利があり、さらに「宮水」と呼ばれる酒造りに適した地下水が湧く海岸地区へとその座は移り、ここ「灘五郷」が「灘の生一本」として日本酒の一大生産地となった。
ここには、全国的に名の知れた酒造メーカーを中心に26の蔵元が「灘五郷酒造組合」に加盟する。その内、24の蔵元をめぐる。
兵庫県西宮市に位置する「今津郷」「西宮郷」と神戸市灘区・東灘区にまたがる「魚崎郷」「御影郷」「西郷」の2つに分けて歩く。途中、移動に電車を使う。いずれも市街地を歩くので給水・トイレには困らない。さぁ、呑むぞ!
今日のスタート地点は、阪神電車「甲子園駅」。大阪・梅田からなら直通特急に乗り、約12分、270円。ただ私は、阪急電車を利用して宝塚側からやって来た。午前9時、駅西口を出発。ここは「兵庫県西宮市」。
国道43号線(阪神高速道路神戸線)を渡れば、目の前には「阪神甲子園球場」。
高校球児の憧れ、そして、あの「阪神タイガース」のホームグランドである。「スタジアム」というより「球場」という方がぴったりの風格だ。
球場を時計方向に回って行くと「素戔嗚(すさのおのみこと)神社」。創建は不詳であるが他の素戔嗚神社同様、明治の廃仏毀釈までは「牛頭天王」を祀っていた。
現在の御祭神は、もちろん「素戔嗚命」である。阪神ファンたちが優勝祈願をする神社として有名だ。
神社の前の道を西へ進む。途中「新甲子園商店街」という商店街を抜けるが、右には廃業したお風呂屋さん。
川を渡って交番のある交差点を左折する。ここは「灘五郷」のひとつ「今津郷」。付近には、後ほど訪ねる「大関」の蔵が並ぶ。
業務スーパーの角を右に曲がった所に最初の蔵元「扇正宗(今津酒造株式会社)」。創業220年の歴史ある蔵元で、それまでの「正宗」に末広がりの「扇」を付けて明治43年に登録されたそうだ。
そして、次の辻の角には2つ目の蔵元「大関(大関株式会社)」。正徳元(1711)年の創業。
大相撲の覇者である「大関」から命名されたという全国的に有名な酒造メーカーだ。
♪ 大関 飲めば~ 大関 飲めば~ ♪
のコマーシャルソング、そして何よりも「ワンカップ」が有名。
「今津小学校」の角を西に曲がる。この学校には、明治15年に建造され、戦災と「阪神淡路大震災」に耐え抜いた「六角堂」という西洋風木造校舎が残る。
大関が運営する「関寿庵」を左に見ながら進む。
酒まんじゅうやゼリーなどの甘味売り場や喫茶コーナーなどがある。また、お酒も扱い「利き酒」もできるのだが開店(午前10時)前だった。
「キリン堂」のある交差点を左折し、次の信号「今津出在家町交差点」を右折。観光用の案内表示も整備されている。
「東川」を渡って「西宮郷」に入る。
「エディオン」のある交差点を左に入り、次の辻を右に曲がれば3つ目の蔵元「灘自慢(國産酒造株式会社)」。文久元(1861)年の創業。
元の辻に戻り、そのまま真っ直ぐ進めば角に4つ目の蔵元「徳若(万代大澤醸造株式会社)」。ここは、平成17年創業の新しい蔵元で、杜氏は「南部杜氏」らしい。
その隣に5つ目の蔵元「寶娘(大澤本家酒造株式会社)」。創業250年の歴史ある蔵元で、お勧め銘柄の「蔵出し原酒」は、二日酔いもなく女性にも人気の銘柄。
「寶娘」から西に進み「浜戎公園」の南東角を右に曲がって北上。
3つ目の信号角に6つ目の蔵元「日本盛(日本盛株式会社)」。この通りは「酒蔵通り」と呼ばれるようだ。
♪ 日本盛は 良いお酒 ♪で全国的に有名な酒造メーカーであるが、創業は明治22年と比較的新しい。
その東隣には「酒蔵通り煉瓦館」。「日本盛」のテーマ施設である。
ここは和食レストラン「花さかり」のほか売店や「ガラス工房」などがある。
また「利き酒」もできるようだが、開店(午前10時)間もなかったので、まだ準備ができていないようだ。
「酒蔵通り」を西に進み「日本盛」を過ぎて次の信号を右に曲がる。続いてこの珈琲屋さんの角を右に曲がる。
そこには7つ目の蔵元「喜一(木谷酒造株式会社)」。天保4(1833)年の創業。
珈琲屋さんの角に戻り、そのまま真っ直ぐ進めば1つ目の四つ角に「宮水発祥之地」。六甲山の伏流水であるミネラル成分豊かな水は、海に近いことから適度に塩分を含み、酒造りに欠かせない酵母の発酵を促す「名水」となった。
付近の地名である「西宮」の「名水」から「宮水」と呼ばれるようになった。
「宮水」発祥の地である「梅の木井戸」は、自由に見学できるが厳重に封印されている。
そして、それぞれの蔵元は、酒蔵ごとに自前の井戸を保有しているそうだ。
四つ角を西へ。すぐ右に江戸時代末期創業の8つ目の蔵元「金鷹(本野田酒造株式会社)」。しかし、平成7年1月の「阪神淡路大震災」で全壊し、現在は休造中である。「阪神淡路大震災」により「灘五郷」は、壊滅的な被害を受けている。
そのまま進み大通りを左へ。交差点の角には9つ目の蔵元「白鷹(白鷹株式会社)」が運営するテーマ施設「白鷹禄水苑」。
売店や「蔵BAR」、「白鷹集古館」という資料館もあるが、営業時間(午前11時)前だった。
その向かいに本社。「白鷹(はくたか)」は、この後に訪れる「白鹿(はくしか)」の分家で、文久2(1862)年の創業。
そのまま南下すれば「白鹿クラシックス」。先ほど訪ねた「白鷹」の本家にあたる「白鹿」の一角だ。ここは、カフェレストランや売店があるのだが、現在、改装工事中。4月にリニューアルオープンするそうだ。
向かいには「白鹿記念酒造博物館」。日本人の生活文化遺産である酒造りを後世に引き継ぐため設立された。館内は、写真撮影が禁止されている(入館料400円)。
向かい(つまり白鹿クラシックスの隣)にある「酒蔵館」と共通入館券となっている。
「酒蔵館」は「阪神淡路大震災」で全壊。江戸時代末期の火災を経て明治2年の復旧され、第二次大戦の空襲と阪神淡路大震災での倒壊を免れた酒蔵とともに平成10年に再興された。
明治時代に建築された3棟の酒蔵を利用した「白鹿」のテーマ施設である。
宮水を汲み上げた「揆(はね)つるべ」と呼ばれる装置。
酒造りの資料館となっている。
また、「阪神淡路大震災」の惨状を伝えるコーナーも設けられている。
ここは「利き酒」はないが、記念品として「冷酒(1合)」がもらえる。
博物館の西側には「旧辰馬喜十郎住宅」。「辰馬喜十郎」とは、「白鹿」10代目当主の4男であるらしい。
その自邸である擬洋風建築の住宅が残されている。
西に進み水路沿いに北上する。左には10番目の蔵元「白鹿(辰馬本家酒造株式会社)」。
私が子どもの頃よく見た「プロレス」のスポンサーとして
♪ 昔 昔 白鹿がいた 今も 今も 白鹿がいる 白鹿が 白鹿に 白鹿を どこで飲んでも 酒は 白鹿 ♪
というコマーシャルソングを思い出す。
本社北側の橋で水路を渡り左折。「辰馬本家酒造」工場の前には11番目の蔵元「灘一(松竹梅酒造株式会社)」。大正13年の創業。
空き家のようだが、これが元酒蔵なのだろうか。
そのまま北上すれば「国道43号線」に突き当たるが、手前の創価学会を過ぎて左折すれば12番目の蔵元「島美人(北山酒造株式会社)」。大正8年創業であるが、現在の兵庫県小野市にあたる「加東郡河合村粟生字島」から移転したきた蔵元らしい。
「国道43号線」に出て歩道橋を渡れば「西宮神社」。全国に3500社あるといわれる「戎神社」の総本社で「西宮えびす」とも呼ばれる。
「古事記」では、「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」との間に生まれながら不具であったため「葦舟」に乗せられて流された「蛭子(ひるこ)」のたどり着いた地であると言われる。
「蛭子(ひるこ)」は、天地開闢時の「神」でありながら子としては数えられなかったものの「えびす=戎・恵比寿・恵比須」として全国に祀られている。コメディアンの「蛭子能収」さんが「ひるこ」ではなく「えびす」と読まれる由縁である。
境内の「お休み處」。
「戎あま酒(350円)」で一服。
「赤門」と呼ばれるこの門からスタートする「元旦の福男レース」や「マグロの硬貨貼り付け」などでも全国的に有名である。
「えべっさん筋」を北上。
これで「灘五郷」のうち「今津郷」と「西宮郷」を巡った。神社北にある阪神電車「西宮駅」から電車に乗る。
阪神電車「魚崎駅」。「西宮駅」から急行に乗れれば6分、各駅停車で10分(190円)。「西宮市」から「神戸市」へと移る。駅の南口から出発。
一旦「住吉川」の河川敷に下りて「国道43号線」と「阪神高速道路」をくぐる。
くぐれば堤防に上がり、ゴルフ練習場の先を左折。これより「魚崎郷」を歩く。
「松並木の道」に出れば右折。
すぐ南に13番目の蔵元「櫻正宗(櫻正宗株式会社)」。寛永2(1625)年の創醸と言われるが明治27年に登録された蔵元である。「正宗(せいしゅう)」とは仏教用語らしいが「清酒(せいしゅ)」と語音が似ていることから「正宗(まさむね)」が日本酒の銘柄として使われるようになったらしい。駐車場には団体観光客のバス。
その向かいに資料館として「櫻正宗記念館櫻宴」が建つ。
小規模だが展示コーナーもある。
その他レストランやカフェ、売店がある。
「利き酒」コーナー。「しぼりたて本醸造」を頂く。
時間は、午後0時20分。そろそろ「晩酌」いや「昼食」にしよう。レストラン「櫻宴(さくらえん)」で贅沢をしようと思ったが、何と団体の法要が入っているようだ。仕方がないので、東隣にある14番目「浜福鶴(株式会社浜福鶴銘醸)」へ行く。昭和32年創業の新しい蔵元であり、元は「福鶴」と呼ばれていたが「阪神淡路大震災」からの復興後「浜福鶴」と社名を変更したそうだ。
ここも「浜福鶴吟醸工房」という記念館が設けられている。
売店のほか「利き酒」もできる。こちらは「有料」。
こちらは「無料」。
「工房」前の道を西へ。どうも昼食に食いはぐれたようだ。仕方がないのでコンビニへ。ちょうど隣の「住吉川」沿いに、弁当を開くのに適当な東屋があった。
「おすすめ幕の内(399円)」に「大関ワンカップミニ(108円)」を付けた。
「住吉川」の梅がきれいだ。
その「住吉川」を渡り、これより「御影(みかげ)郷」に入る。
右には「菊正宗酒造記念館」。蔵元には、後ほど訪れる。
ここも資料館になっている。
そして「利き酒」コーナー。
「ごっちゃんです。」
万治2(1659)年創業の蔵元で、
♪ やっぱり 俺はぁぁぁぁぁ 菊正宗~ ♪
で、全国的に有名な酒造メーカーである。
ここにも「揆つるべ」。
記念館を出て西へ。四つ角を右折し「セブンイレブン」がある角を左折して進めば15番目の蔵元「白鶴(白鶴酒造株式会社)」。寛保3(1743)年創業の古い蔵元であるが全国的に有名な日本酒メーカーだ。
工場内には「白鶴酒造資料館」。
明治43(1910)年から昭和44(1969)年まで稼働していた酒蔵が、そのまま資料館として利用されている。
ここの資料館の人形はリアルだ。
売店。
もちろん「利き酒」もできる。また「ええ具合」になってきた。
千鳥足で西へ進む。「白鹿精米工場」に突き当たって右へ。次の角を左に曲がれば、先ほど記念館を訪れた「菊正宗」の本社。16番目の蔵元「菊正宗(菊正宗酒造株式会社)」が建つ。
レトロな石造りの建物だ。
その先には17番目の蔵元「剣菱(剣菱酒造株式会社)」。永正2(1505)年頃の創業らしい。
関西では、結構、目にする蔵元で、その名のとおり白地に「剣」と「菱」のラベルが目印だ。
そのまま西へ進み、通りを渡って次の辻を左に折れれば、大正6年に創業された18番目「戎面(坊垣醸造合名会社)」という蔵元があるのだが、現在、休造中。
「戎面」の前の道を西に進む。途中の公園にあった「御影郷之図」。本当に海から直接荷出しをしていたんだな。
少し歩けば右に19番目の蔵元「泉正宗(泉酒造株式会社)」。宝暦年間(1750年代)の創業である。
そのまま進めば右に20番目「福寿(株式会社神戸酒心館)」。宝暦元(1751)年創業の蔵元である。
そして福寿のテーマ館である「酒心館」。
「さかばやし」という料亭や売店が設けられている。
「喫茶カウンター?」。メニューはみんな「酒」ですけど!
試飲コーナーの後ろで「量り売り」も行われている。ここでも「ごち(ご馳走)」になる。ここは、何回も来たが、次から次に試飲して、酔った勢いで買ってしまうのだ。
今日も「ノーベル賞晩餐会」で振る舞われたという「福寿純米吟醸」(720ml、1620円)を購入。
ネットでは「酒心館」の西側に21番目の蔵元「大黒正宗(株式会社安福又四郎商店)」があるはずなのだが、「丸亀製麺」と「ごはんや」になっていた。移転したそうだ。
「酒心館」から北へ。「国道43号線」越しに鳥居が見える。お参りしよう。
「東明交差点」で国道を渡る。ここは「東明八幡宮」。社殿前には「大黒正宗」の酒樽。
その裏には「処女塚古墳」。「おとめづか」と読む。
全長約70mの前方後方墳で4世紀前半の構築と伝わる。色々な伝説の舞台となっているようだが被葬者の詳細は不明。「前方部」から「後方部」を望む。
少し離れて見れば古墳の全容がよくわかる。
「処女塚古墳」前の信号を渡り西へ。300mほどで「こうべ甲南武庫の郷」。
資料館は重厚なレトロ建築物であり「阪神淡路大震災」で倒壊したが、その後、復興。国登録有形文化財に登録されている。
古くから伝わる「甲南漬」という漬け物のテーマ館である。
お酒も置いている。「酒」も「漬け物」も発酵食物として共通点が。西洋で言う「ワイン」と「チーズ」の関係のようなものだろうか。
「新在家交差点」で「国道43号線」を渡って南へ。次の四つ角を右に曲がり「サザンモール」というショッピングモールを過ぎる。ここは「旧西国浜街道」というようだ。
公園、マンションを過ぎれば「西郷酒蔵の道」。最後の郷「西郷(にしごう)」へと進む。
通りを過ぎれば「若宮神社」。
その北側に22番目の蔵元「富久娘(富久娘酒造株式会社)」。
天和元(1681)年創業の蔵元である。ここは「お燗」機能がついた缶酒「燗番娘」が有名。
「若宮神社」前に戻り南へ。「西郷酒蔵の道」を右折する。
正面に23番目「沢の鶴(沢の鶴株式会社)」。享保2(1717)年の創業。
目の前は「海」だ。
「都賀川」を渡って右折すれば「沢の鶴資料館」。
古い酒蔵を使い昭和53年にオープンしたが、ここも「阪神淡路大震災」で全壊。3年7ヶ月をかけて復興した。
「揆つるべ」。
ここも資料館になっている。
こうして酒は運ばれていたのか。
古いラベル。
順路を進むと「ミュージアムショップ」という売店へ。
ここで最後の「利き酒」。
「沢の鶴資料館」から「旧西国浜街道」を北に進む。
「国道43号線」を地下道でくぐり「西郷小学校」の北側に今日最後、24番目の蔵元「金盃(金盃酒造株式会社)」。明治23年の創業。
「西郷小学校」前の橋で「都賀川」を渡る。
「西灘公園」へと進む。園内には「阪神淡路大震災」で亡くなられた方の名前が。たくさんの方が亡くなったんだな。
野球場横から公園を出て路地を進めば「西求女塚(にしもとめづか)古墳」。古墳期時代に築造された全長98mの前方後方墳であるが被葬者は不明。
先ほど訪れた「処女塚古墳」。その東の「東求女塚古墳」とともに古墳群を形成するが、伝説は別として歴史的な詳細は不明。
国道2号線を渡れば本日のゴールである阪神電車「西灘駅」。午後3時55分着。本日の歩紀「28236歩」(24.28km)。「魚崎郷」には他にも「道灌」という蔵元があり、工場は「灘」にあるようだが、本社は滋賀県草津に移転。また「松竹梅」も京都・伏見に移転した。
しかし今日は、かなり呑んだな。ただ、私は「日本酒4合」が適量。体調次第では7合くらいまでOK。ゆっくり帰ろう。
出 発:阪神電車「甲子園駅」
到 着:阪神電車「西灘駅」
「酒蔵めぐり」。第二弾は「灘五郷(なだごごう)」。かつて上方酒の主な生産地は、山田錦(米)、地下水(水)、丹波杜氏(麹)と三拍子揃った摂津國の内陸部である伊丹(兵庫県)、池田(大阪府)であったが、江戸に幕府が移ったことにより、江戸中期以降、海運で地の利があり、さらに「宮水」と呼ばれる酒造りに適した地下水が湧く海岸地区へとその座は移り、ここ「灘五郷」が「灘の生一本」として日本酒の一大生産地となった。
ここには、全国的に名の知れた酒造メーカーを中心に26の蔵元が「灘五郷酒造組合」に加盟する。その内、24の蔵元をめぐる。
兵庫県西宮市に位置する「今津郷」「西宮郷」と神戸市灘区・東灘区にまたがる「魚崎郷」「御影郷」「西郷」の2つに分けて歩く。途中、移動に電車を使う。いずれも市街地を歩くので給水・トイレには困らない。さぁ、呑むぞ!
今日のスタート地点は、阪神電車「甲子園駅」。大阪・梅田からなら直通特急に乗り、約12分、270円。ただ私は、阪急電車を利用して宝塚側からやって来た。午前9時、駅西口を出発。ここは「兵庫県西宮市」。
国道43号線(阪神高速道路神戸線)を渡れば、目の前には「阪神甲子園球場」。
高校球児の憧れ、そして、あの「阪神タイガース」のホームグランドである。「スタジアム」というより「球場」という方がぴったりの風格だ。
球場を時計方向に回って行くと「素戔嗚(すさのおのみこと)神社」。創建は不詳であるが他の素戔嗚神社同様、明治の廃仏毀釈までは「牛頭天王」を祀っていた。
現在の御祭神は、もちろん「素戔嗚命」である。阪神ファンたちが優勝祈願をする神社として有名だ。
神社の前の道を西へ進む。途中「新甲子園商店街」という商店街を抜けるが、右には廃業したお風呂屋さん。
川を渡って交番のある交差点を左折する。ここは「灘五郷」のひとつ「今津郷」。付近には、後ほど訪ねる「大関」の蔵が並ぶ。
業務スーパーの角を右に曲がった所に最初の蔵元「扇正宗(今津酒造株式会社)」。創業220年の歴史ある蔵元で、それまでの「正宗」に末広がりの「扇」を付けて明治43年に登録されたそうだ。
そして、次の辻の角には2つ目の蔵元「大関(大関株式会社)」。正徳元(1711)年の創業。
大相撲の覇者である「大関」から命名されたという全国的に有名な酒造メーカーだ。
♪ 大関 飲めば~ 大関 飲めば~ ♪
のコマーシャルソング、そして何よりも「ワンカップ」が有名。
「今津小学校」の角を西に曲がる。この学校には、明治15年に建造され、戦災と「阪神淡路大震災」に耐え抜いた「六角堂」という西洋風木造校舎が残る。
大関が運営する「関寿庵」を左に見ながら進む。
酒まんじゅうやゼリーなどの甘味売り場や喫茶コーナーなどがある。また、お酒も扱い「利き酒」もできるのだが開店(午前10時)前だった。
「キリン堂」のある交差点を左折し、次の信号「今津出在家町交差点」を右折。観光用の案内表示も整備されている。
「東川」を渡って「西宮郷」に入る。
「エディオン」のある交差点を左に入り、次の辻を右に曲がれば3つ目の蔵元「灘自慢(國産酒造株式会社)」。文久元(1861)年の創業。
元の辻に戻り、そのまま真っ直ぐ進めば角に4つ目の蔵元「徳若(万代大澤醸造株式会社)」。ここは、平成17年創業の新しい蔵元で、杜氏は「南部杜氏」らしい。
その隣に5つ目の蔵元「寶娘(大澤本家酒造株式会社)」。創業250年の歴史ある蔵元で、お勧め銘柄の「蔵出し原酒」は、二日酔いもなく女性にも人気の銘柄。
「寶娘」から西に進み「浜戎公園」の南東角を右に曲がって北上。
3つ目の信号角に6つ目の蔵元「日本盛(日本盛株式会社)」。この通りは「酒蔵通り」と呼ばれるようだ。
♪ 日本盛は 良いお酒 ♪で全国的に有名な酒造メーカーであるが、創業は明治22年と比較的新しい。
その東隣には「酒蔵通り煉瓦館」。「日本盛」のテーマ施設である。
ここは和食レストラン「花さかり」のほか売店や「ガラス工房」などがある。
また「利き酒」もできるようだが、開店(午前10時)間もなかったので、まだ準備ができていないようだ。
「酒蔵通り」を西に進み「日本盛」を過ぎて次の信号を右に曲がる。続いてこの珈琲屋さんの角を右に曲がる。
そこには7つ目の蔵元「喜一(木谷酒造株式会社)」。天保4(1833)年の創業。
珈琲屋さんの角に戻り、そのまま真っ直ぐ進めば1つ目の四つ角に「宮水発祥之地」。六甲山の伏流水であるミネラル成分豊かな水は、海に近いことから適度に塩分を含み、酒造りに欠かせない酵母の発酵を促す「名水」となった。
付近の地名である「西宮」の「名水」から「宮水」と呼ばれるようになった。
「宮水」発祥の地である「梅の木井戸」は、自由に見学できるが厳重に封印されている。
そして、それぞれの蔵元は、酒蔵ごとに自前の井戸を保有しているそうだ。
四つ角を西へ。すぐ右に江戸時代末期創業の8つ目の蔵元「金鷹(本野田酒造株式会社)」。しかし、平成7年1月の「阪神淡路大震災」で全壊し、現在は休造中である。「阪神淡路大震災」により「灘五郷」は、壊滅的な被害を受けている。
そのまま進み大通りを左へ。交差点の角には9つ目の蔵元「白鷹(白鷹株式会社)」が運営するテーマ施設「白鷹禄水苑」。
売店や「蔵BAR」、「白鷹集古館」という資料館もあるが、営業時間(午前11時)前だった。
その向かいに本社。「白鷹(はくたか)」は、この後に訪れる「白鹿(はくしか)」の分家で、文久2(1862)年の創業。
そのまま南下すれば「白鹿クラシックス」。先ほど訪ねた「白鷹」の本家にあたる「白鹿」の一角だ。ここは、カフェレストランや売店があるのだが、現在、改装工事中。4月にリニューアルオープンするそうだ。
向かいには「白鹿記念酒造博物館」。日本人の生活文化遺産である酒造りを後世に引き継ぐため設立された。館内は、写真撮影が禁止されている(入館料400円)。
向かい(つまり白鹿クラシックスの隣)にある「酒蔵館」と共通入館券となっている。
「酒蔵館」は「阪神淡路大震災」で全壊。江戸時代末期の火災を経て明治2年の復旧され、第二次大戦の空襲と阪神淡路大震災での倒壊を免れた酒蔵とともに平成10年に再興された。
明治時代に建築された3棟の酒蔵を利用した「白鹿」のテーマ施設である。
宮水を汲み上げた「揆(はね)つるべ」と呼ばれる装置。
酒造りの資料館となっている。
また、「阪神淡路大震災」の惨状を伝えるコーナーも設けられている。
ここは「利き酒」はないが、記念品として「冷酒(1合)」がもらえる。
博物館の西側には「旧辰馬喜十郎住宅」。「辰馬喜十郎」とは、「白鹿」10代目当主の4男であるらしい。
その自邸である擬洋風建築の住宅が残されている。
西に進み水路沿いに北上する。左には10番目の蔵元「白鹿(辰馬本家酒造株式会社)」。
私が子どもの頃よく見た「プロレス」のスポンサーとして
♪ 昔 昔 白鹿がいた 今も 今も 白鹿がいる 白鹿が 白鹿に 白鹿を どこで飲んでも 酒は 白鹿 ♪
というコマーシャルソングを思い出す。
本社北側の橋で水路を渡り左折。「辰馬本家酒造」工場の前には11番目の蔵元「灘一(松竹梅酒造株式会社)」。大正13年の創業。
空き家のようだが、これが元酒蔵なのだろうか。
そのまま北上すれば「国道43号線」に突き当たるが、手前の創価学会を過ぎて左折すれば12番目の蔵元「島美人(北山酒造株式会社)」。大正8年創業であるが、現在の兵庫県小野市にあたる「加東郡河合村粟生字島」から移転したきた蔵元らしい。
「国道43号線」に出て歩道橋を渡れば「西宮神社」。全国に3500社あるといわれる「戎神社」の総本社で「西宮えびす」とも呼ばれる。
「古事記」では、「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」との間に生まれながら不具であったため「葦舟」に乗せられて流された「蛭子(ひるこ)」のたどり着いた地であると言われる。
「蛭子(ひるこ)」は、天地開闢時の「神」でありながら子としては数えられなかったものの「えびす=戎・恵比寿・恵比須」として全国に祀られている。コメディアンの「蛭子能収」さんが「ひるこ」ではなく「えびす」と読まれる由縁である。
境内の「お休み處」。
「戎あま酒(350円)」で一服。
「赤門」と呼ばれるこの門からスタートする「元旦の福男レース」や「マグロの硬貨貼り付け」などでも全国的に有名である。
「えべっさん筋」を北上。
これで「灘五郷」のうち「今津郷」と「西宮郷」を巡った。神社北にある阪神電車「西宮駅」から電車に乗る。
阪神電車「魚崎駅」。「西宮駅」から急行に乗れれば6分、各駅停車で10分(190円)。「西宮市」から「神戸市」へと移る。駅の南口から出発。
一旦「住吉川」の河川敷に下りて「国道43号線」と「阪神高速道路」をくぐる。
くぐれば堤防に上がり、ゴルフ練習場の先を左折。これより「魚崎郷」を歩く。
「松並木の道」に出れば右折。
すぐ南に13番目の蔵元「櫻正宗(櫻正宗株式会社)」。寛永2(1625)年の創醸と言われるが明治27年に登録された蔵元である。「正宗(せいしゅう)」とは仏教用語らしいが「清酒(せいしゅ)」と語音が似ていることから「正宗(まさむね)」が日本酒の銘柄として使われるようになったらしい。駐車場には団体観光客のバス。
その向かいに資料館として「櫻正宗記念館櫻宴」が建つ。
小規模だが展示コーナーもある。
その他レストランやカフェ、売店がある。
「利き酒」コーナー。「しぼりたて本醸造」を頂く。
時間は、午後0時20分。そろそろ「晩酌」いや「昼食」にしよう。レストラン「櫻宴(さくらえん)」で贅沢をしようと思ったが、何と団体の法要が入っているようだ。仕方がないので、東隣にある14番目「浜福鶴(株式会社浜福鶴銘醸)」へ行く。昭和32年創業の新しい蔵元であり、元は「福鶴」と呼ばれていたが「阪神淡路大震災」からの復興後「浜福鶴」と社名を変更したそうだ。
ここも「浜福鶴吟醸工房」という記念館が設けられている。
売店のほか「利き酒」もできる。こちらは「有料」。
こちらは「無料」。
「工房」前の道を西へ。どうも昼食に食いはぐれたようだ。仕方がないのでコンビニへ。ちょうど隣の「住吉川」沿いに、弁当を開くのに適当な東屋があった。
「おすすめ幕の内(399円)」に「大関ワンカップミニ(108円)」を付けた。
「住吉川」の梅がきれいだ。
その「住吉川」を渡り、これより「御影(みかげ)郷」に入る。
右には「菊正宗酒造記念館」。蔵元には、後ほど訪れる。
ここも資料館になっている。
そして「利き酒」コーナー。
「ごっちゃんです。」
万治2(1659)年創業の蔵元で、
♪ やっぱり 俺はぁぁぁぁぁ 菊正宗~ ♪
で、全国的に有名な酒造メーカーである。
ここにも「揆つるべ」。
記念館を出て西へ。四つ角を右折し「セブンイレブン」がある角を左折して進めば15番目の蔵元「白鶴(白鶴酒造株式会社)」。寛保3(1743)年創業の古い蔵元であるが全国的に有名な日本酒メーカーだ。
工場内には「白鶴酒造資料館」。
明治43(1910)年から昭和44(1969)年まで稼働していた酒蔵が、そのまま資料館として利用されている。
ここの資料館の人形はリアルだ。
売店。
もちろん「利き酒」もできる。また「ええ具合」になってきた。
千鳥足で西へ進む。「白鹿精米工場」に突き当たって右へ。次の角を左に曲がれば、先ほど記念館を訪れた「菊正宗」の本社。16番目の蔵元「菊正宗(菊正宗酒造株式会社)」が建つ。
レトロな石造りの建物だ。
その先には17番目の蔵元「剣菱(剣菱酒造株式会社)」。永正2(1505)年頃の創業らしい。
関西では、結構、目にする蔵元で、その名のとおり白地に「剣」と「菱」のラベルが目印だ。
そのまま西へ進み、通りを渡って次の辻を左に折れれば、大正6年に創業された18番目「戎面(坊垣醸造合名会社)」という蔵元があるのだが、現在、休造中。
「戎面」の前の道を西に進む。途中の公園にあった「御影郷之図」。本当に海から直接荷出しをしていたんだな。
少し歩けば右に19番目の蔵元「泉正宗(泉酒造株式会社)」。宝暦年間(1750年代)の創業である。
そのまま進めば右に20番目「福寿(株式会社神戸酒心館)」。宝暦元(1751)年創業の蔵元である。
そして福寿のテーマ館である「酒心館」。
「さかばやし」という料亭や売店が設けられている。
「喫茶カウンター?」。メニューはみんな「酒」ですけど!
試飲コーナーの後ろで「量り売り」も行われている。ここでも「ごち(ご馳走)」になる。ここは、何回も来たが、次から次に試飲して、酔った勢いで買ってしまうのだ。
今日も「ノーベル賞晩餐会」で振る舞われたという「福寿純米吟醸」(720ml、1620円)を購入。
ネットでは「酒心館」の西側に21番目の蔵元「大黒正宗(株式会社安福又四郎商店)」があるはずなのだが、「丸亀製麺」と「ごはんや」になっていた。移転したそうだ。
「酒心館」から北へ。「国道43号線」越しに鳥居が見える。お参りしよう。
「東明交差点」で国道を渡る。ここは「東明八幡宮」。社殿前には「大黒正宗」の酒樽。
その裏には「処女塚古墳」。「おとめづか」と読む。
全長約70mの前方後方墳で4世紀前半の構築と伝わる。色々な伝説の舞台となっているようだが被葬者の詳細は不明。「前方部」から「後方部」を望む。
少し離れて見れば古墳の全容がよくわかる。
「処女塚古墳」前の信号を渡り西へ。300mほどで「こうべ甲南武庫の郷」。
資料館は重厚なレトロ建築物であり「阪神淡路大震災」で倒壊したが、その後、復興。国登録有形文化財に登録されている。
古くから伝わる「甲南漬」という漬け物のテーマ館である。
お酒も置いている。「酒」も「漬け物」も発酵食物として共通点が。西洋で言う「ワイン」と「チーズ」の関係のようなものだろうか。
「新在家交差点」で「国道43号線」を渡って南へ。次の四つ角を右に曲がり「サザンモール」というショッピングモールを過ぎる。ここは「旧西国浜街道」というようだ。
公園、マンションを過ぎれば「西郷酒蔵の道」。最後の郷「西郷(にしごう)」へと進む。
通りを過ぎれば「若宮神社」。
その北側に22番目の蔵元「富久娘(富久娘酒造株式会社)」。
天和元(1681)年創業の蔵元である。ここは「お燗」機能がついた缶酒「燗番娘」が有名。
「若宮神社」前に戻り南へ。「西郷酒蔵の道」を右折する。
正面に23番目「沢の鶴(沢の鶴株式会社)」。享保2(1717)年の創業。
目の前は「海」だ。
「都賀川」を渡って右折すれば「沢の鶴資料館」。
古い酒蔵を使い昭和53年にオープンしたが、ここも「阪神淡路大震災」で全壊。3年7ヶ月をかけて復興した。
「揆つるべ」。
ここも資料館になっている。
こうして酒は運ばれていたのか。
古いラベル。
順路を進むと「ミュージアムショップ」という売店へ。
ここで最後の「利き酒」。
「沢の鶴資料館」から「旧西国浜街道」を北に進む。
「国道43号線」を地下道でくぐり「西郷小学校」の北側に今日最後、24番目の蔵元「金盃(金盃酒造株式会社)」。明治23年の創業。
「西郷小学校」前の橋で「都賀川」を渡る。
「西灘公園」へと進む。園内には「阪神淡路大震災」で亡くなられた方の名前が。たくさんの方が亡くなったんだな。
野球場横から公園を出て路地を進めば「西求女塚(にしもとめづか)古墳」。古墳期時代に築造された全長98mの前方後方墳であるが被葬者は不明。
先ほど訪れた「処女塚古墳」。その東の「東求女塚古墳」とともに古墳群を形成するが、伝説は別として歴史的な詳細は不明。
国道2号線を渡れば本日のゴールである阪神電車「西灘駅」。午後3時55分着。本日の歩紀「28236歩」(24.28km)。「魚崎郷」には他にも「道灌」という蔵元があり、工場は「灘」にあるようだが、本社は滋賀県草津に移転。また「松竹梅」も京都・伏見に移転した。
しかし今日は、かなり呑んだな。ただ、私は「日本酒4合」が適量。体調次第では7合くらいまでOK。ゆっくり帰ろう。