背水の陣じゃ。前へ進め。 村山富市
村山元総理が「背水の陣じゃ。前へ進め。」と
吉川はじめ幹事長を激励しました。
<デジタル大辞林>によると、「背水の陣」はこう説明されています。
《「史記」淮陰侯伝の、漢の名将韓信が趙(ちょう)の軍と戦ったときに、
わざと川を背にして陣をとり、味方に退却できないという決死の覚悟をさせ、
敵を破ったという故事から》一歩もひけないような絶体絶命の状況の中で、
全力を尽くすことのたとえ。
紀元前204年に行われた「井陘の戦い」でのこと。
「西楚の覇王」項羽と「漢王」劉邦が天下を争っていたころ、
劉邦の部将・韓信は数千の兵を率いて趙を攻めていました。
対する趙軍は20万。
趙の将軍は山の間の細い道で挟み撃ちにすべしとの献策を退け、
正面からの決戦で漢軍を打ち破ろうとしました。

(出典:中国語スクリプト 背水の陣)
①韓信は二千の軽騎兵を別動隊として潜伏させ、川を背に陣地を築きます。
②韓信は趙軍の陣地を攻め、頃合いを見計らって川を背にした陣地へ退却します。
③趙軍は全軍で漢軍の陣地を攻めますが、必死の抵抗で決着がつきません。
④趙軍が出払っている隙に漢軍の別動隊が趙軍の陣地を制圧。
趙の旗ではなく漢の赤い旗を立てました。
⑤いったん陣地に戻ろうとした趙軍は、漢の赤い旗を見て混乱。
反撃に出た韓信によって趙軍は大敗しました。

(出典:感心? 奸臣? 韓信のこと! ② ( 歴史 ) - 死ぬまで生きよう!)
「背水の陣」といっても、一方は山、背後は川ですから、
漢軍は正面からくる趙軍だけを相手にすればよいことになります。
川を背にすることで背後に堀を作ったようなものです。
これで趙軍による包囲殲滅の可能性を封じました。
また同時に、漢軍の兵が逃亡することも防いでいます。
「背水の陣」の目的は、趙軍を誘い出し、
別動隊が敵陣を奪うまでの時間を稼ぐこと。
「窮鼠猫を噛む」とは少し違う意味合いです。
今回の参院選における社民党の「背水の陣」も、
単純に追い詰められているというわけではありません。
まず比例代表では、再起を期す吉田前党首が
大分県の自治体議員と自治労の票を掘り起こします。
沖縄県議だった仲村みお候補は、
これまた自治体議員の多い沖縄県で票を取りに行きます。
吉田・仲村候補は選挙区並みの選挙を出身県で行うことで、
個人票という形で社民党票を増やす作戦です。
大椿ゆう子候補は、ロスジェネ、非正規労働者など、
これまで社民党が認知されなかった層にアピールします。
大椿さんの鮮烈なキャラクターはネットでも話題になっていますね。
選挙区は東京・神奈川・愛知の大都市圏で比例票の上積みを狙います。
もちろん、選挙区での当選も視野に入れています。
本当は1人区で社民党候補を立てられればよかったのですが、
野党共闘も大切なので、選挙区で野党統一候補を応援しつつ、
比例代表の票を出すために活動しています。
「崖っぷち」という状況は間違いではないのですが、
キッチリと票を取りに行く「攻めの選挙戦」でもあります。
社民党としての目標は「比例得票最低2%以上、3議席以上獲得」です。
もちろん、比例代表候補の矢野あつ子さんも、
当選してほしい候補者です。
「矢野あつ子って誰?」をきっかけに、
社民党に興味を持っていただければ幸いです。
沖縄から北海道まで、全国すべての投票所で、
2枚目の投票用紙(比例代表)には「矢野あつ子」とお書きくださいませ。

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