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社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、56歳。
日々の思いを綴ります。
 



伊東潤『江戸咎人逃亡伝』(徳間書店)を読む。



絶望的な状況からの逃亡を選んだ人々を描く中編集です。

「逃亡が成功するか否か」というストーリーラインが明快なので、
読者としては「脱走モノ」の映画を見るような感覚で流れに身をゆだねられます。


佐渡島からの脱出を描く『島脱け』では、時代劇で名前だけは聞いたことのある
「地獄のような佐渡金山」の様子を知ることができます。

主君の名誉を回復するために脱走を企てる杢之助、
どう見ても足を引っ張るだけの存在である与左衛門、
農奴にされた息子を救い出そうとする源兵衛など、
キャラクターの配置も巧みです。

伊東作品が映画化されるとすれば、『島抜け』ではないでしょうか。


吉原からの花魁逃亡を描く『夢でありんす』は、
「追う者」である力蔵の視点からストーリーが展開します。

力蔵の捜査の過程を追うことで、吉原についての解説にもなる、
という仕掛けです。

雑誌掲載時の題名は『花魁逃亡』ですが、
単行本化にあたり『夢でありんす』と改題されています。

結末まで読むと、『夢でありんす』というタイトルが
伏線回収になっていることがわかります。


マタギ出身の伝左衛門と又蔵が追う者と追われる者に分かれる『放召人討ち』は、
両者が山中でクマに襲われる危険を抱えていることが緊張感を高めます。

武芸奨励のため、罪人を獲物代わりに家臣に討たせる「放召人討ち」を行う
サイコパスな殿様一行(ハッキリ言って足手まとい)と共に追跡する伝左衛門。

誤射で伝左衛門の弟を殺したトラウマからマタギをやめて鷹匠となり、
鷹の死をきっかけに逃亡者となった又蔵。

又蔵が隣の仙台藩領に逃げ込むことができるか、
その前に伝左衛門が阻止することができるか、
それとも両者とも熊の餌食になるのか、
予測不能な展開のままストーリーが進んでいきます。

映画でいえば『大殺陣』『十三人の刺客』のような感じです。
本作では殿様が「追う者」の側なのですが。

本編とは何の関係もないのですが、伊東氏の作品では断末魔の声として
「ぐわー!」が使われることが多く、「ぐわー!」という文字を見ると、
なぜか笑えてしまいます。


ネタバレ防止のためそれぞれの結末には触れませんが、
佐渡金山、吉原、マタギの生活についての知見が得られるため、
何回読んでも飽きさせないところが魅力です。

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伊東潤『英雄たちの経営力』(実業之日本社)を読む。



日本史上の英雄=トップリーダー12人を選び、
ビジネスという視点から評価を下した作品です。

古代の蘇我馬子から、近代の大隈重信まで、
「経営力」という観点でまとめた日本史のダイジェストでもあります。

伊東氏のビジネスでの経験に加えて、最新の学説をベースにしているので、
・歴史から教訓を得たいビジネスパーソン
・日本史の最新の研究成果を分かりやすく知りたい歴史ファン
のニーズに応える作品です。

本書で取り上げられている荻原重秀については、

高任和夫『貨幣の鬼 勘定奉行荻原重秀』(講談社文庫)、


田沼意次については、佐藤雅美『主殿の税』(講談社文庫)、


という小説があるので、さらにそちらを読んでもよいでしょう。
(現在、『貨幣の鬼』を再読中)

巻末で伊東氏は12人の中で大隈重信を第1位にランキングしています。

ビジョンを実行計画に落とし込み、
達成までのロードマップと資金調達・返済までの絵図面を書く。

たしかに、ここまでできるリーダーはなかなかいません。

元宮崎県知事の東国原英夫氏が、
「マニフェストを宮崎県の総合計画に落とし込むことが必要」
という趣旨の発言をしておられたので、それを思い出しました。
(東国原氏に「経営力」があったか、ということとは別ですが)

「自らのビジョンを実行計画まで落とし込み、達成までのロードマップを描いて、
予算編成から返済計画まで立てられるリーダー」(217~218頁)は、
ビジネスの世界だけでなく政治の世界にも必要です。

伊東氏は大隈重信に加えて、思想的なバックボーンである福沢諭吉と、
スポンサーとしての岩崎弥太郎の三人セットで経営力の第1位としています。

実務家とブレーンとスポンサーが結びついて、大事をなすことができるのですね。
政治の世界に大隈のような人物がいないのが残念でなりませんが…

新一万円札の渋沢栄一は?と思いましたが、
渋沢は官僚経験があるものの、基本的には在野の経済人であって、
岩崎弥太郎と同列で論じるべき人物(つまり本書では取り上げない)、なのでしょう。

以前、伊東氏の『威風堂々(上・下)』を「中高生に読んでほしい」と書きましたが、
本書もまた中高生に読んでほしい一冊です。

私は公務員試験対策予備校の講師だけでなく、
中小企業団体(協同組合京洛商工繁栄会)の役員も務めているので、
中小事業者の皆様にもお勧めしたい一冊です。

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青木健太 『タリバン台頭 混迷のアフガニスタン現代史』(岩波新書)を読む。



「テロとの戦い」において「敵」だったはずのタリバンが、
再びアフガニスタンで政権を掌握した。なぜタリバンは民衆たちに支持されたのか。
恐怖政治で知られたタリバンは変わったのか、変わっていないのか。
アフガニスタンが生きた混迷の時代には、
私たちが生きる現代世界が抱えた矛盾が集約されていた。



1994年の第一次ターリバーン政権誕生から、
2021年の第二次ターリバーン政権誕生までをまとめた著作です。

ターリバーンもさることながら、反タリバンのムジャーヒディーン各派も、
イスラーム共和国高官たちも、腐敗や蛮行という「悪」に染まっているところが、
アフガニスタン情勢を複雑にしています。

ターリバーンの行動原理がイスラーム原理主義というよりは、
アフガニスタンの部族社会、特に多数派のパシュトゥーン人の部族慣習法の影響が大きい、
ということが留意すべきポイントです。

終章にアブドゥルラフマーン国王の遺言が引用されています。

「私の息子たちと後継者たちは、国民が支配者に対して立ち上がるような、
性急な形で新しい改革を導入すべきではない。欧米のシステムに基づく教育モデルや、
寛大な法律を取り込みながら立憲政治を確立するに当たっては、
これらすべてを徐々に取り入れなければならない。何故ならば、
そうすることで人々は近代的な革新的アイデアに慣れ親しみ、
もたらされた改革と恩恵を濫用することがないからである。」
(187頁)

また、ペシャワール会の故中村哲医師の活動にも触れ、外部からの圧力ではなく、
徐々に対話を通じて折衷的な解決策を見つける努力をするよう提起しています。

本題とは外れますが、首都カブールを「カーブル」と表記しているところに、
なぜか安心感を覚えました。昔はそう呼んでいた記憶がありますので。
(現地の言葉に近い、ということでもあるのですが)

難を言えば、何の説明もなく唐突に「AQ」という言葉が出てきますが、
これが「アル・カーイダ」の略であることに気付くまで数秒かかりました。

強いて挙げれば、そのくらいしか問題点がなかったので、
アフガニスタン情勢を知るには最適の一冊だと思います。

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中西嘉宏『ミャンマー現代史』(岩波新書)を読む。



ひとつのデモクラシーがはかなくも崩れ去っていった。
――2021年におきた軍事クーデター以降、厳しい弾圧が今も続くミャンマー。
軍の目的は? アウンサンスーチーはなぜクーデターを防げなかった?
国際社会はなぜ事態を収束させられない?
暴力と分断が連鎖する現代史の困難が集約されたその歩みを構造的に読み解く。



1988年から現在までのミャンマー現代史をまとめた著作です。

1988年クーデターで軍事政権のトップに立ったタンシュエについては、
ベネディクト・ロジャーズ著/秋元 由紀 訳/根本 敬 解説
『ビルマの独裁者 タンシュエ』(白水社)
を読んでいたのですが、
ステレオタイプな軍事政権指導者という印象しか残りませんでした。

タンシュエ軍事政権下ミャンマーのレポとしては、
高野秀行『ミャンマーの柳生一族』(講談社文庫)を読みましたが、
これは読み物としては面白いのですが、
ミャンマーについてぼんやりと把握した程度でした。

2011年の民政移管から2016年総選挙でのスーチー政権誕生、
そして2021年クーデターと、メディアでニュースを追いかけることはあっても、
まとまった形で知識を整理する機会がありませんでした。

そんな中、手に取ったのが本書です。

軍事政権を一方的に軍を悪と断ずるわけでもなく、
スーチーを代表とする民主化勢力を賛美することもなく、
客観的に、冷静に分析しているところは、さすが学者さんです。

軍事政権では各省幹部ポストが軍人の「天下り先」になっていたこと、
スーチーを党首とする政党NLD結成時の中心人物が軍の元最高幹部だったりと、
支配エリートである軍人の存在が大きな位置を占めていることがわかります。
また、軍は一枚岩ではないこともわかります。

著者の中西氏は京都大学東南アジア地域研究研究所の准教授。
(「地域研究研究所」と「研究」が2つ続きますが、間違いではありません)

アウンサンスーチーは京都大学東南アジア研究センターの
客員研究員として来日していました。

東南アジア地域研究研究所は東南アジア研究センターの後身です。

次は『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』(中公新書)を読むことにします。
順番は逆になりましたが。

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小川和久『「アマゾンおケイ」の肖像』(集英社インターナショナル)を読む。



軍事アナリストの小川和久氏の御母堂・フサノ女史の生涯を、
息子である和久氏が伝記としてまとめたものです。

エピローグで語られますが、フサノ女史が亡くなられたのは2000年。
1903年生まれで、20世紀とほぼ重なる97年の生涯でした。

13歳で叔父夫婦と共にブラジルに移住。
16歳で邦字紙に就職。
21歳で帰国後、姉と共にカフェを経営。
26歳で上海に渡り、若きアメリカの外交官と恋に落ちます。
30歳のとき、宝くじに当選。
現在の貨幣価値で十一億円の賞金を手に入れ、
翌年帰国して不動産業で成功します。

終戦まもなく42歳で和久氏を出産。
和久氏が陸上自衛隊生徒に入隊した57歳のところで、本編は終わります。
(※陸上自衛隊生徒は中卒者が3等陸士として採用され、
少年工科学校などで教育を受けた後、3等陸曹に昇任します。)

97歳で亡くなるまでの40年間については何も語られませんが、
それは朝ドラのような「アマゾンおケイの物語」ではなく、
「フサノ・和久母子の私小説」的な話になってしまうので、
このような終わり方になっているのでしょう。


本編ではフサノ女史のエピソードもさることながら、
ブラジル移民の生活の様子や、
「魔都」と呼ばれた戦前の上海共同租界など、
当時の時代情景がわかりやすく書かれています。

尾籠ながら、便所の話が興味深く読めました。
ロジスティックスの基本は「便所と弁当」と思っていますので。

また、戦前のダンスホールでは、入り口でチケットを購入して、
好みのダンサーを指名して踊るシステムがあったそうです。

その記述を読むと、ついついAKBの握手券商法を思い出してしまいました。
百年経っても男子の本性は変わらぬようです。


戦前の日本を駆け抜けた「アマゾンおケイ」の颯爽とした姿が、
この本の中に息づいています。

息子として、母にできる最高の孝養です。

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中嶋洋平 『社会主義前夜――サン=シモン、オーウェン、フーリエ 』 (ちくま新書)を読む。



サン=シモン、オーウェン、フーリエ。
この三人の名を聞けば、多くの人が「空想的社会主義」
という言葉を連想するだろう。
だが、彼らの一人として社会主義を打ち立てようとした人はいないし、
地に足のつかない夢想家でもない。
現在から見れば、彼らは社会企業家や社会プランナーとも呼べる存在だった―。
一九世紀初頭、フランス革命と産業革命という二つの革命によって荒廃し、
格差で分断された社会をどのように建て直すのか。
この課題に取り組んだ三者の思想と行動を描く。


筑摩書房公式サイトより)

エンゲルスの『空想から科学へ』で「空想的社会主義者」と呼んだ、
サン=シモン、オーウェン、フーリエの三人。

彼らは「社会主義」という思想を打ち立てたわけではなく、
資本主義の矛盾である貧困や格差などの社会問題に対し、
独自のアプローチで解決を図ろうとしていました。

彼らの思想と行動が後に「社会主義」という概念でまとめられただけであり、
まずは「空想的社会主義」のイメージを離れて、
3人の生涯と行動を群像劇としてまとめたのが本書です。

3人の生涯が交わることはほぼありませんが、
フランス革命と産業革命の時代を生きていたことが分かります。

新書版というサイズで簡潔に三人の業績がまとめられており、
知識を整理するのに役立ちました。

「馬上のサン=シモン」と呼ばれたナポレオン三世を批判したマルクスにとって、
サン=シモンの思想は単なる空想ではなく、
支配者のイデオロギーとしてリアルな力を持っていました。

マルクスの盟友エンゲルスが「空想的社会主義」を論敵として
一定の評価を与えているのも理解できます。

「社会主義」として現実への影響力があったからこそ、
批判の対象とされたのでしょう。

社会主義の入門書として読むのもよい一冊です。

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早川隆『敵は家康』(アルファポリス)を読む。



礫投げが得意な若者・弥七は、陰(ほと)と呼ばれる貧しい集落で、
地を這うように生きてきた。
あるとき、図らずも自らの礫で他人の命を奪ってしまったため、
元盗賊のねずみという男とともに外の世界へ飛び出す。
やがて弥七は、作事集団の黒鍬衆の一員として尾張国の砦造りに関わり、
そこに生きがいを見出すようになる。
だが、その砦に松平元康、のちの天下人・徳川家康が攻めてきたことで、
弥七の運命はまたも大きく動きはじめた――
(カバー帯の説明文より)


被差別民の集落で暮らしていた若者・弥七を主人公に、
桶狭間の戦いの前哨戦、丸根砦の戦いを描いた作品です。

河原者(被差別民)の集落しか知らない弥七に、
元盗賊の「ねずみ」が説明する形で当時の状況が語られ、
予備知識のない人も作品世界に入りやすくしています。

水滸伝の好漢、没羽箭張清のような石礫投げの名手である弥七は、
追われる身となるうちに土木工事のプロ集団・黒鍬衆に加わり、
今川方、織田方の砦づくりに携わります。

信長の依頼で丸根砦の建設を行った弥七とねずみは、
そのまま織田の将・佐久間大学と共に今川軍から砦を守ることになりました。

丸根砦を攻めたの今川家の部将が松平元康(後の徳川家康)。
これがタイトルの「敵は家康」につながります。

もともと「礫」というタイトルだったのですが、
単行本化の際に「敵は家康」と改題されました。

今川義元の尾張攻めの意図については、
「環伊勢湾経済圏の掌握」という戦略目標が示され、
単なる前哨戦に見える丸根砦の戦いの重要性が、
物語の伏線になっています。

孫子の兵法のように、信長を戦略的に追い詰めていく義元。
圧倒的な戦力差を前にギリギリの勝機を見出そうとする信長。

終盤で丸根砦の戦略的な意味が明らかになると、
誰にとって「敵は家康」だったのか?と深読みしたくなります。

どことなく隆慶一郎『風の呪殺陣』を思わせる作風で、
470頁をあっという間に読み終えてしまいました。

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伊東潤『走狗』(中公文庫)を読む。



薩摩藩士で大警視(警視総監)となった川路利良を描いた作品です。

利良は最下層の武士でありながら、
西郷や大久保の走狗として国事に奔走。

維新後は、大久保の下で西郷を破滅される工作を行いながら、
近代国家に必要な警察組織の整備に尽力します。

西南戦争で西郷が死に、大久保が暗殺されると、
利良は長州閥との暗闘に敗れる形で生涯を終えました。享年46。

川路を主役級で描いた司馬遼太郎の『翔ぶが如く』は、
川路のフランス視察(人糞事件)で始まり、川路の死で終わりますが、
本作は禁門の変から川路の死で終わります。

後世の歴史小説の読み手は幕末と明治を別々の時代として、
それぞれの時代を描いた小説を読むことになりますが、
当時を生きた人々は幕末と明治をシームレスに生きていました。

現代の私たちが昭和・平成・令和をシームレスに生きるように。

『威風堂々(上・下)』でも
「一身にして二生を経る」人物としての大隈重信が描かれているので、
シームレスな時代の描き方は伊東氏の得意とするところです。

川路と接点を持つ人物として新選組の斎藤一や、
フランス在住の貴公子・西園寺公望が登場しますが、
この配置がなかなか巧みです。

西園寺は村田新八を描いた『武士の碑』にも登場するので、
作品同士を連関させるキャラクターになっています。

利良がモデルとしたフランスの政治家ジョゼフ・フーシェを描いた作品に
シュテファン・ツワイク『ジョゼフ・フーシェ』(岩波文庫)があります。

フランスの港町ナントに生まれ、イタリアの港町トリエステで死んだフーシェは、
革命期とナポレオン帝政の政局を生き抜き、結局は失脚することになりますが、
この作品を読んでも、フランス社会の何に貢献したのかはわかりません。

フーシェが組織したスパイ網は政局を乗り切るために用いられ、
政局家・警察大臣としてのフーシェしか描かれていません。

『走狗』では、フーシェの創設したスパイ網は公安警察に相当する
「シークレット・ポリス」であると書かれています。

フーシェや利良は「シークレット・ポリス」を駆使した「KGB議長」、
と考えると、現代にも通じるものがあります。

物語のラストで利良は
「堅固な警察組織を作り上げ、国民が安心して暮らせる社会を現出させた」(546頁)
ことを誇りとして生涯を終えます。

利良自身は己の野心に従って行動しただけかもしれませんが、
それが日本の近代化に貢献したことは「理性の狡知」と言うべきものでしょう。

変革というものは、個人の野心を飲み込みながら、
公共善を実現していく過程なのでしょうか。

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伊東潤『天下人の茶』(文藝春秋)『茶聖』(幻冬舎)を読む。



『天下人の茶』は、千利休の弟子である牧村兵部、瀬田掃部、
古田織部、細川忠興それぞれのドラマを描きつつ、
最初と最後を秀吉と利休の話で挟み込む構成になっています。

それぞれ『オール讀物』に掲載された短編ですが、
もともと一つの作品として構成されたものを、
独立した短編として雑誌に掲載する、という、
かなり手の込んだ形になっています。

シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』は、
シーザーが主人公ではないのですが、
ブルータスはじめ登場人物の行動は、シーザーの存在に支配されています。

『ジュリアス・シーザー』の主題がシーザーであるように、
『天下人の茶』の主題は千利休です。

本筋とは関係ありませんが、細川忠興視点で描かれた『利休形』に登場する
蒲生氏郷の伏見屋敷は、私の生家から徒歩数分の場所にあります。

忠興が目にした宇治川の景色は、私の故郷の記憶でもあります。

『天下人の茶』は2022年12月10日に大阪府堺市で行われた
伊東氏の公演の予習のために読んだのですが、
講演を聞くと『茶聖』を読むべきだったとの思いが強くなりました。

そこで『茶聖』を読んだのですが、ここでは利休が主人公であり、
利休の行動原理が明確に示されており、秀吉との対立から死へと向かう、
権力と一足一刀の間合いで対峙しているような緊張感が漂っていました。

登場人物の言動の背景に至るまでキチンと設定が作り込まれており、
信長と秀吉の対外戦略の違いなど、
「そうかもしれない」と説得力を持って描かれています。

ここではの利休は、経済人・文化人・フィクサーの様々な面を持っています。
利休の思惑で物事が動く局面もあれば、他者の思惑で動く局面もあります。

「陰謀論」という言葉がありますが、
様々なアクターの様々な思惑(=「陰謀」)で物事が動いている有様を、
秀吉、キリシタンなど、様々なアクターの思惑を含めて描いており、
読み応えのある内容になっています。

これも本筋とは関係ないのですが、茶席の食事のメニューが出てくると、
ついつい「おいしそうだな」と思ってしまいました。

鮭の焼き物、椎茸と鮑を甘く煮しめたもの、鰹と生姜の膾…

夜に読んでいたので、「飯テロ」でした。

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中澤克二『習近平帝国の暗号 2035』(日本経済新聞出版社)を読む。



2020年10月に行われた中国共産党第20回大会で、
共青団(共産主義青年団)派とされる李克強・汪洋が中央委員にすら残らず、
団派のホープとされていた胡春華副総理もヒラの中央委員になるという、
驚きの人事が行われました。

本書は2017年に書かれたものですが、今回の人事の底流にあるものが、
すでに示されていました。カードはテーブルの上に並んでいたのです。

「反腐敗」に名を借りた政敵潰し。
「ポスト習近平」候補の胡春華の常務委員入り阻止。
子飼いの「習近平チルドレン」の抜擢。

カギを握るのは「2035」。

習近平が毛沢東の没年と同じ82歳になるのが、2035年。
習近平は2035年までに現代化国家の建設を基本的に終える
長期目標を立てています。

今回の党大会で共産党の最高指導部入りした
李強、蔡奇、丁薛祥、李希は、習派の一員として本書で紹介されています。

前回の党大会から打っていた布石が生きてきただけの話で、
今にして思えば、当然の結果だったのかもしれませんね。

私としては、胡春華復活の日を期待しているのですが。

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高橋直樹『北条義時 我、鎌倉にて天運を待つ』(潮文庫)を読む。



北条義時の一代記、なのですが、半分くらいまで「江間義時」として登場します。

伊東祐親の娘の婚資であった江間の地を、
姉の政子の尽力で受け継いだので「江間小四郎義時」になりました。

どことなく茫洋とした義時が、姉の政子や長男の泰時の支えもあって、
鎌倉幕府の執権として権力を握る過程が描かれます。

義時の主導で物事が進むのではなく、
状況を巧みに利用して政敵を倒していくところが、
他の作品にはないリアルなところです。

義時の配下として汚れ仕事を引き受ける金窪行親の存在があるので、
義時にあまりダークなイメージを持たせずに済んでいます。

頼朝の挙兵から承久の乱まで、義時を狂言回しにして出来事を押さえている感じです。

鎌倉幕府の歴史は内ゲバの続く陰惨な面があるのですが、
茫洋とした義時のコミカルな存在で中和されています。

ストレスフリーで読める一冊でした。

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伊東潤『天下を買った女』(角川書店)を読む。



室町幕府八代将軍義政の正室(御台所)、日野富子の生涯を描いた作品です。

権力闘争の渦中に投げ込まれた富子は、
伊勢新九郎(若き日の北条早雲)や骨皮道賢らの人材を使い、
争いを続ける武士たちに対抗すべく「銭」の力を蓄えようとします。

巨大な金融機関でもあった大寺院の話が出るなど、
最新の学術的成果を盛り込みながらストーリーが展開します。

応仁の乱の原因とも言うべき梟雄、畠山義就。
越前の守護代で守護の座を奪った朝倉孝景。
美濃土岐氏の重臣、斎藤妙椿。

単体で主役を張れそうな武将たちも登場しますが、
富子視点では、紛争当事者たる武士の「one of them」にしかすぎません。
なので、作中で惜しげもなく一登場人物の扱いを受けています。

富子は単に蓄財に励んだだけではなく、
朝廷の公式行事だった「御神楽」を復活させるなど、
一時期もてはやされた「メセナ」も行っています。

そこで、さる高貴なお方との道ならぬ恋が始まるのですが、
家庭的な幸福とは縁遠かった富子への、
せめてものロマンスとして描かれたのでしょう。

「悪女の実像」というよりは、
争いを続ける室町幕府の男たちの「どうしようもなさ」、
武門の棟梁たる室町将軍家の無力さが伝わりました。

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伊東潤『威風堂々(上)ー幕末佐賀風雲録』『威風堂々(下)ー明治佐賀風雲録』
(中央公論新社)を読む。



佐賀藩出身で内閣総理大臣を2回務めた早稲田大学の創設者、
大隈重信の生涯を描いた作品です。

佐賀藩の上級家臣の家に生まれた大隈は西洋の進んだ知識を学び、
激動の幕末に雄飛しようとします。

開明君主・鍋島閑叟のもとで人材を育てていた佐賀藩でしたが、
閑叟が病がちなこともあり、
幕末の政局に積極的に絡むことはありませんでした。

結果的に幕末動乱の「脇役」にとどまった佐賀藩ですが、
大隈の動きを描くことで、倒幕でも佐幕でもない、
第三者の視点で幕末の歴史を俯瞰することができます。

司馬遼太郎の小説では「佐賀の妖怪」と評される閑叟の動きも、
胃の病に苦しめられ、時宜を得た対応ができなかったがゆえと、
素直に納得できます。

大隈が明治政府のテクノクラートとして辣腕をふるうところで上巻が終わり。
ここまでで400頁あるのですが、まったく長さを感じさせません。

下巻は明治から大正、大隈の死までが描かれます。

参議として明治政府の中心メンバーとなった大隈ですが、
近代国家建設をめぐる意見の相違などから、明治十四年の政変で政府を追われます。

自由民権運動に加わった大隈は立憲改進党を結成。
しかし在野に固執することなく、伊藤内閣に外相として入閣。
条約改正に尽力するも、爆弾テロで右足を失います。

そして短命に終わった初の政党内閣(隈板内閣)で首相に就任。
大正時代に二度目の首相就任直後、第一次世界大戦が勃発します。

元老として生涯現役の政府要人だった伊藤博文や山形有朋と異なり、
在野の人としての活動もあるところに、大隈の魅力があります。

裕仁親王が摂政に就任してまもない大正十一年一月、
大隈は死去します。享年八十三。

大隈の葬儀は「国葬」ではなく「国民葬」として行われました。

安倍元総理の国葬をめぐる議論を見ると、
大隈重信と大叔父の佐藤栄作にならって、
「国民葬」にする知恵はなかったのか、と思ってしまいます。


私は資格試験予備校で公務員試験の日本史を担当しているのですが、
幕末、明治、大正と、時代ごとにブツ切りで教えてしまいます。
テキスト(教科書)がそうなっているので、仕方のないことですが。

この作品で大隈の生涯をたどることで、幕末~明治~大正が、
ひとつの流れとして理解することができました。

上下合わせて800頁の「佐賀サーガで読む日本の近現代史」。

夏休みの読書として、中高生にも読んでほしい作品です。
(ちょっと背伸びして小学生にも読んでほしい!)

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伊東潤『夜叉の都』(文藝春秋)を読む。



二代将軍頼家のもとで「十三人の合議制」が発足したところから、
ストーリーが始まります。

時系列では『修羅の都』の続きになりますが、細かい設定が異なるので、
続編ではなく独立した物語として読むべきです。

「十三人の合議制」自体がテーマではありませんが、
メモ的に十三人の宿老がどうなったのかを見ておきます。

十三人のうち、頼家の乳父だった梶原景時が失脚。梶原一族は滅亡します。
梶原と同じく頼家の乳父だった比企能員は暗殺され、比企一族も滅亡。

将軍職を降ろされ、修善寺に幽閉されていた頼家も暗殺されます。

三代将軍実朝に代えて、源氏の門葉で御家人筆頭の平賀朝雅を
将軍に擁立しようとした北条時政(平賀朝雅は時政の娘婿)が失脚。

「十三人の合議制」発足当時は「江間義時」として宿老に列した義時が、
「北条義時」として政所別当の座に就きます。

この時点で、十三人のうち三浦義澄二階堂行政安達盛長はすでに病死。
八田知家は頼朝の弟で政子の妹婿の阿野全成を誅殺。権力中枢から外されます。
足立遠元中原親能は高齢で隠居状態。貴族出身の大江広元三善康信は健在。
有力御家人で侍所別当の和田義盛も健在です。

のちに北条義時の謀略で挙兵に追い込まれた和田義盛と和田一族は滅亡。

承久の乱まで生き残ったのは北条義時、大江広元、三善康信の3人でした。

あたかも「マザー・グース」の『Ten Little Indians』のように、
十三人の宿老は次々と消え去りますが、そこはストーリーの主軸ではありません。

Ten Little Indians | Nursery Rhymes And Kids Songs by KidsCamp


尼御台政子の次女三幡の死で物語が始まり、
長男頼家、次男実朝、孫の一幡、公曉、禅曉と、
頼朝と政子の血を受け継ぐ者が政争の渦中で次々と死んでいきます。

たとえ頼朝と政子の血脈は絶えようとも、「武士の府」である鎌倉府は残す。
タイトル通り、政子は徹頭徹尾「夜叉」として行動します。

この作品の主役は、あくまでも尼御台政子です。

大河ドラマ『草燃える』では岩下志麻が政子を演じていましたが、
そのイメージが重なります。

この物語の影の主役とも言うべき存在が後鳥羽上皇。

後鳥羽院は文武両道に秀でた英邁な君主で、三代将軍実朝と協調し、
院の下に公家・武家・寺社の三者を置く「権門体制」を政権構想としています。
(と、いうことは中世は権門体制ではなかった、ということになりますが…)

鎌倉府の実権を握る北条義時の排除を掲げて後鳥羽院が挙兵したのが承久の乱。
尼御台政子は鎌倉府を守るため、御家人たちに出陣を促し、京都方に勝利しました。

そして、鎌倉府を守るために政子が下した決断とは…


頼朝の血縁者に限らず、源氏の門葉を将軍に担ぎ上げて実権を握る、
という権力奪取のパターンが常態化すると、抗争が終わることはありません。

源氏の門葉よりも高い身分である親王を将軍にすることで、
源氏の門葉を擁する権力闘争を無効化させる実朝の構想は、
鎌倉府の安定のための妙手でした。

それが頼朝の血族を殺す連鎖を止めることでもあったのですが、
甥(頼家の長男)の公暁にその思いは通じなかったようです。

実朝の死で親王将軍構想は頓挫し、
頼朝の妹の曾孫、三寅(藤原頼経)を将軍に迎えますが、
源氏の門葉より高い家格の摂家(藤原摂関家)なので、
この人事もなかなかの妙手です。

「摂家将軍を擁して関東武士団を糾合する」というアイデアは、
戦国時代に近衛前嗣を鎌倉殿(鎌倉公方)とする構想につながるのか…と、
想像が膨らみます。

政子の死の半年後に三寅が将軍宣下を受け、
征夷大将軍藤原頼経、執権北条泰時の体制で鎌倉府は安定します。

『太平記』が将軍足利義満、管領細川頼之の就任で終わるように、
『夜叉の都』も将軍藤原頼経、執権北条泰時の就任で筆を置きます。
もしかしたら『太平記』を意識した結びだったのでしょうか?


考えてみると、源氏の門葉で有力御家人でもある足利高氏の挙兵で北条一族が滅亡。

これを「鎌倉幕府の滅亡」と呼びますが、宮将軍と北条一族に代わり、
将軍職と守護を含む幕府の要職を足利一門で占めたのが室町幕府ですから、
現代の自民党にたとえれば「北条派一強支配から足利派新体制への交代」であって、
当時の武士たちにとって「幕府の滅亡」という感覚はなかったはずです。

もし後醍醐院が北条一族滅亡直後に、足利高氏を将軍に任命していたら、
南北朝の動乱もなく安定した時代になった…かもしれません。


なるほど、歴史を考える上で、たくさんのヒントを得られる作品でした。

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天野純希『乱都』(文藝春秋)を読む。



「魔物の棲む都」をめぐる7つの物語がつづられます。

それぞれが独立した短編としても読めますし、
「序」「幕間」「終章」で巧みにつながった輪舞のような長編としても読めます。

応仁の乱前後に活躍した畠山義就を描く「黎明の王」。
天狗に憧れた管領・細川政元を描く「天魔の都」。
山口から将軍を擁して上洛した大内義興を描く「都は西方に在り」。
大内義興の助力で天下を治めた管領・細川高国の悲喜劇、「凡愚の見た夢」。
商人・椿屋平三郎の目から見た法華一揆を描く「華は散れども」。
三好家と対峙し、孤高の剣を振るう足利義輝を描く「雲上の剣」。
信長と対峙した最後の将軍、足利義昭を描く「夢幻の都」。

応仁の乱から秀吉の天下統一までの流れが7人の物語でわかる仕掛けです。

7人はみな、京という魔物に惑わされた敗者であり、
彼らを打ち負かした勝者たちもまた、滅びゆく存在でした。

そして、勝者と敗者を見続けてきた京もまた、
秀吉の居城大坂に日本の中心が移ることで「天下」の中心の座を失います。

この作品を「京料理のような」と評するには、灰汁が強く、濃い味わいの一品ばかり。

京料理は味が薄いのではなく、素材の味を生かす味付けをしているだけなので、
やはり「京料理のような」と評していいのかもしれませんね。

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