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社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、56歳。
日々の思いを綴ります。
 



BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、第104回「井伊直弼・桜田門外に散った辣腕の大老」の
見逃し配信をご覧ください。

幕末、幕府の方針に反する尊攘派の藩士らによって命を絶たれた
井伊直弼の敗北から明日を生きるための教訓を探る。
1815年、彦根藩主・井伊直中の十四男として生まれた直弼は
家督を継ぐ可能性がほぼなく、青年期には埋木舎と名付けられた屋敷で
学問や居合、茶道などに没頭する日々を送っていた。
ところが、1850年、兄である井伊家当主・井伊直亮が亡くなり、
36歳にして彦根藩主に就任した。

1853年、黒船が来航、さらに将軍の後継者問題が起きると、
直弼は幕府の混乱を収めるべく、大老に就任。
天皇の勅許を待たずに日米修好通商条約に調印し、
将軍の後継者を紀州派の徳川慶福に決めるなど辣腕を振るうと、
さらに、秩序を乱す者を容赦なく弾圧する、安政の大獄に踏み切った。
しかし、この強硬策が反感を買い、1860年、直弼は桜田門外で命を絶たれてしまう。
直弼はなぜ、暗殺を避けることができなかったのか?

直弼の死を幕府はすぐには公表しなかった。
藩主が後継者を指名する前に亡くなると、家が取り潰されてしまうからだ。
幕府は混乱を避けるため、「大老は治療中」と偽り、
井伊家の存続と跡継ぎの手続きを最優先で進めたという。
しかし、直弼が暗殺されたという事実はすぐに知れ渡り、
世の中は一気に幕末の騒乱の渦に飲み込まれていく。
直弼は亡くなる年の正月にある歌を詠んでいた。直弼が歌に込めた思いとは?
(2025年8月23日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓 第104回
「井伊直弼・桜田門外に散った辣腕の大老」
2025年8月23日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第119回目です。

今回は、本編の第104回「井伊直弼 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

近江箱根藩の藩主であり、江戸幕府の大老として知られる井伊直弼。
直弼は突然の大抜擢に張り切りすぎてしまった!?
黒船が迫ることを、幕府の要人たちは本当に予想できなかったのか?
黒船が来なくても弾圧は起きたのか?
桜田門外の変を防ぐ分岐点はあった?
そして、未来が見えない時代をどう過ごすのが理想的?etc.

さらに、2025年8月30日(土)夜9時放送
「本多忠勝 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


遅咲きの大老・井伊直弼の衝撃人生とは?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第119回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、第103回「上杉景虎・謙信の後継者になり損ねた悲運の武将」の
見逃し配信をご覧ください。

群雄割拠の戦国時代、関東甲信越の勢力争いに翻弄された
上杉景虎の敗北から現代に通じる教訓を探る。
1554年、相模の大名、北条氏康の子して生まれた三郎は
幼くして箱根の早雲寺に預けられ、16歳の時、大叔父・北条幻庵の養子となる。
しかし、ちょうどその頃、氏康が武田信玄に対抗すべく、上杉謙信と同盟を締結。
この時、三郎が上杉家に養子に出され、名を景虎と改める。
景虎は謙信の跡継ぎ候補として期待されていた。

しかし、跡継ぎ候補はもう一人いた。謙信の甥・上杉景勝である。
1578年、謙信が急病により亡くなると、
上杉家中を二分する内乱、御館の乱が勃発。
この御家騒動は景虎の実家である北条氏をはじめ、
周辺の有力大名を巻き込む、大規模な争乱に発展した。
景虎は御館と呼ばれる屋敷を拠点に景勝と対峙するが、
約10カ月後、景勝軍の猛攻に遭い、自刃へと追いやられてしまった。
景虎はなぜ、景勝に屈してしまったのか?

景虎の死後、反景勝派の重臣たちはさらに1年以上も抵抗を続け、
上杉家の内乱が完全に終息したのは1580年のことだった。
越後を二分した争乱は一体、何をもたらしたのか?
景虎が自刃した鮫ヶ尾城の近くにある勝福寺には、景虎の石像や供養塔が建っている。
毎年4月29日に景虎の法要が営まれ、地元の人々は今も景虎の遺徳を偲んでいる。
どうにもならない運命に翻弄され続けた景虎の人生が語りかけるものとは?


【BS11】偉人・敗北からの教訓 
第103回「上杉景虎・謙信の後継者になり損ねた悲運の武将」
2025年8月16日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第118回目です。

今回は、本編の第103回「上杉景虎 編」で話しきれなかった内容や歴史に纏わるお話など、
お題の中から選んで語り尽くします。

上杉謙信の跡継ぎの候補にもなった男・上杉景虎。
もし御館の乱で景虎が勝っていたら、越後の歴史はどうなっていた?
謙信の側近たちの全面支援…景虎の方が有利だった!?
北条家に戻るよりも、越後で後継者になる可能性に賭けた景虎の覚悟とは?
新コーナー「伊東潤のコレは言わせて!」もお楽しみに!etc.

さらに、2025年8月23日(土)夜9時放送
「井伊直弼 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


上杉謙信の後継者候補にもなった男・上杉景虎
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第118回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

8月9日は放送がなかったので、
YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」をご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第117回目です。

今回は「マイナーな敗者シリーズ」をお届け。
本編でまだ取り上げていないマイナーな人物を不定期でご紹介します。

約30年にわたり織田信長に筆頭家老として仕えた佐久間信盛。
そんな信盛は、なぜ失脚してしまったのか?
信長から送られた「19ヶ条の折檻状」の内容とは?
信盛亡き後の息子・佐久間信栄は意外な転身を果たしハッピーエンドに!? etc.

さらに、2025年8月16日(土)夜9時放送
「上杉景虎 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


<マイナーな敗者シリーズ >失脚したのはなぜ?信長の筆頭家老・佐久間信盛
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第117回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、第102回「伊達政宗・砕け散った南蛮貿易の夢」の
見逃し配信をご覧ください。

独自の南蛮貿易により、莫大な富を得ようとした伊達政宗の敗北から
明日を生きるための教訓を探る。
1567年、出羽国生まれた政宗は18歳で家督を継ぐと、
南奥州の強敵・蘆名氏を下し、天下への野心を燃やすが、
1590年、天下統一に王手をかけた豊臣秀吉に臣従。
秀吉没後の関ヶ原の戦いでは100万石のお墨付きを得て東軍に参加し、
東北の地で西軍の上杉景勝を攻めるが、約束された領土拡大はならなかった。

天下が徳川家康の手に渡っても、政宗はまだ諦めていなかった。
海外から莫大な富を得るべく、家臣の支倉常長をはじめとする慶長遣欧使節を派遣。
メキシコ・スペインと直接貿易を行おうとしたが、
時を同じくして幕府が禁教令を発し、キリスト教の弾圧を強化した。
この一報がヨーロッパにも伝わり、使節団の交渉が難航、
結局、何の成果も得られぬまま、帰国せざるを得なくなった。
政宗は南蛮貿易という壮大な夢をなぜ、諦めたのか?

1620年、政宗は幕府の意向に従い、禁教令を発し、
領内のキリシタンを取り締まるが、
スペインでキリスト教の洗礼を受けた支倉常長は棄教を拒んだまま、
この世を去った。
その後、幕府が鎖国政策を行ったことで、
政宗が慶長遣欧使節を派遣した事実は忘れ去られるが、
明治時代、岩倉使節団が派遣されたことで再び脚光を浴びる。
大いなる野心を抱き、海外に目を向けた政宗は今日、
どのような評価を受けているのか?
(2025年8月2日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓 
第102回「伊達政宗・砕け散った南蛮貿易の夢」 
2025年8月2日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第116回目です。

今回は、本編の第102回「伊達政宗 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

量より質で100万石を目指した男・伊達政宗。
文化や豊かさによって“100万石に匹敵する価値”を築こうとした?
プロテスタントのイギリス・オランダと組む選択肢はなかったのか?
人生の節目でたびたび謝罪しながらも赦されてきた政宗の“謝罪術”。
現代の仕事にも通じる「信頼されるふるまい」とは?
お二人が思う魅力的な男性についてのお話も!etc.

さらに、2025年8月16日(土)夜9時放送
「上杉景虎 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


量より質で100万石?伊達政宗の知られざる戦略と現代にも通じる教訓とは?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第116回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、第101回「小田氏治・乱世に挑んだ常陸の不死鳥」の
見逃し配信をご覧ください。

歴史ファンの間で「戦国最弱の武将」と称される
小田氏治の敗北から現代に通じる教訓を探る。
氏治が生まれた小田家は鎌倉時代に常陸の守護を務め、
鎌倉幕府の十三人の合議制に加わった有力御家人・八田知家を祖とする名門。
1531年に生まれたと考えられる氏治は18歳の時に小田家十五代当主となり、
先祖伝来の土地と領民を守るため、必死に生き残りを図るが、
本拠地・小田城が度々、陥落してしまう。

しかし、氏治はその都度、城を奪還し、武勇を示す。
そのため、氏治は「常陸の不死鳥」とも呼ばれている。
北関東に北条氏と上杉氏が勢力を拡大する中、氏治は近隣の結城氏、
佐竹氏らと激戦を重ねるが、1590年、何度も成功してきた小田城の奪還に失敗、
挙句の果てに所領を全て奪われてしまう。
氏治はなぜ、名門・小田家を没落させてしまったのか?
そして、本拠地・小田城の奪還にこだわり続けた理由とは?

全所領を失った氏治はかつての宿敵・結城氏の居城で晩年を過ごした。
徳川家康の次男・結城秀康の客分となることが許され、300石を得たためである。
そして氏治は関ヶ原の戦いの翌年、激動の人生に幕を降ろした。
土浦市立博物館に氏治の人柄を偲ばせる史料が残されている。
江戸時代半ば、氏治の百五十回忌に集まった人々の名簿である。
「戦国最弱」と不名誉なキャッチフレーズを冠された氏治の実像と魅力は?
(2025年7月26日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓 第101回
「小田氏治・乱世に挑んだ常陸の不死鳥」 
2025年7月26日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第115回目です。

今回は、本編の第101回「小田氏治 編」で話しきれなかった内容や歴史に纏わるお話など、
お題の中から選んで語り尽くします。

戦国時代後期、関東で奮戦を続けた国衆・小田氏治。
本拠・小田城を何度も失いながらも取り戻し続けたその姿勢に、中西さんも驚き!
シンプルすぎる小田城の構造にもツッコミが!?
注目を集めたのは、そのキャッチコピー「戦国最弱」「常陸の不死鳥」あってこそ?
伊東さんと中西さんも、
小田氏治のように何度も失敗して何かに挑み続けた経験というのはある?
そして、伊東さんの最新作についてもたっぷりご紹介!
創作の裏話やテーマに込めた想いとは?etc.

さらに、2025年8月2日(土)夜9時放送「伊達政宗 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


取られても奪い返す!“常陸の不死鳥”小田氏治の魅力とは?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第115回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、第100回「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」の
見逃し配信をご覧ください。

伊東潤と中西悠理が甲府を起点に武田氏の足跡を辿る歴史旅。
まず向かったのは、信玄を祭神として祀る武田神社。
1519年、信玄の父・信虎がこの地に居館を移したことで甲府の街は発展した。
武田神社の北東にそびえる要害山には武田氏の詰城も築かれた。
武田家の菩提寺・大泉寺では信虎の肖像画や武田三代の木像を見ながら、
各々の人物像に迫る。
印傳博物館では武田軍団の甲冑や武具にも用いられた伝統の技と意匠を垣間見る。

富士河口湖町にある冨士御室浅間神社では
甲斐の歴史を研究する上での基本史料と位置づけられる『勝山記』の記述をもとに、
信虎の政治信条と行動を探る。
1541年、信虎は息子・信玄らによるクーデターにより追放されてしまう。
その裏には重臣たちの苦悩も!
信虎の追放は悪逆無道な行為を重ね、家中や領民の間に不満が鬱積した結果だと伝わるが、
信虎は本当に悪政を敷いていたのか?
信虎の知られざる実像が今、明らかに!

武田家の家督を継いだ信玄は国力を強化すべく金山を開発。
一行は身延町にある湯之奥金山を訪問し、金の採掘法を学ぶ。
金山で働く金山衆の技術は武田氏の戦術にも活かされていた!
さらに、採掘した金によって生まれたのが画期的な貨幣制度。
富国強兵を推進する信玄は北への領土拡大を図り、
苦心の末に北信濃の猛将・村上義清を下すと、
日本海の港を手に入れるべく、越後を目指した。
そして、川中島で宿敵・上杉謙信と激突する!
(2025年7月19日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓 第100回
「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」前編 
2025年7月19日放送分見逃し配信


「人は城、人は石垣、人は堀」との言葉を残した信玄は何よりも家臣を大切にした。
信玄は館に住み、堅固な居城は造らなかったと考えられていたが、
近年、新たな事実が判明した。なんと、甲府の街を要塞化していたのだ!
越後への進出を断念した信玄は太平洋側の港を求め、駿河に侵攻。
しかし、これが嫡男・義信の謀叛を招いてしまう。
クーデターに失敗し、謎の死を遂げた義信。
その真相を歴史学者・平山優が解き明かす!

義信亡き後、信玄の後継者となった勝頼は
1573年に信玄が他界した事実をなんと3年も隠し続けた。
その理由を甲州市にある信玄の菩提寺・恵林寺で探る。
宝物・武田不動尊に込められた思いとは?
勝頼は長篠・設楽原の戦いで織田・徳川軍にまさかの大敗を喫してしまうが、
再起を図り、現在の韮崎市に巨大な城・新府城を築く。
城郭ライター・萩原さちこが新府城の遺構を巡り、特徴を解説。
勝頼が描いたビジョンを読み解く!

1582年、織田軍が甲州攻めを開始。勝頼は新府城を捨て逃亡、
わずかな手勢で戦うも力尽き、名門・武田家は滅亡してしまう。
伊東潤と中西悠理が最後に訪れたのは、勝頼の菩提寺・景徳院。
二人は無念の最期を迎えた勝頼の心中に思いを馳せる。
戦国大名としての武田氏は滅びたが、その後、高家として復活。
一族の子孫が先祖から受け継ぐ家訓を語る。
そして、武田三代の足跡を辿り、改めて実感した、今日に通じる教訓とは?
(2025年7月19日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓 第100回
「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」後編 
2025年7月19日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第114回目です。

今回は、本編の「100回特番 武田三代スペシャル」の
ロケの裏側に密着した模様をお届けします。

甲府を起点に武田氏ゆかりの地を巡る歴史旅。
信虎・信玄・勝頼、武田家三代の足跡をたどります。
伊東さんと中西さんに今回のロケの感想も伺いました。

さらに、2025年7月26日(土)夜9時放送
「第101回 小田氏治 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


100回特番 武田三代スペシャル ロケの裏側に密着
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第114回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、 「第99回 藤堂高虎・豊臣兄弟が導いた運命」の
見逃し配信をご覧ください。

黒田官兵衛、加藤清正と共に「三大築城名人」と謳われる
藤堂高虎の敗北から現代に通じる教訓を探る。
1556年、近江国の土豪の子として生まれ、幼い頃から体格に恵まれていた高虎は、
若くして北近江の大名・浅井長政に仕え、姉川の戦いで初陣を飾るが、
17歳の時に同僚を殺害し、浅井家を出奔。
その後、わずか3年の間に主君を3人も替えるが、
21歳の時、5人目の主君・羽柴秀長に出会ったことで運命が一変する。

秀長のもとで戦術や築城術、交渉術など、様々な能力を磨いた高虎は、
数々の合戦で武功を挙げ、秀長の兄・豊臣秀吉の天下統一事業を支える。
その後、朝鮮出兵でも活躍するが、一途に仕えてきた主君・秀長の死後、
家督を継いだ若き主君・豊臣秀保をわずか4年で失い、主家を失ってしまう。
その時、同僚の大半が秀吉の直臣となる中、高虎は高野山に上り、出家してしまった。
高虎はなぜ、自ら武士の身分を捨てたのか?

その後、高虎は秀吉の強い要望を受け、還俗。秀吉没後は家康に従い、
関ヶ原の戦いでは西軍諸将を調略するなど、東軍の勝利に貢献する。
津城や江戸城など、様々な築城にも力を尽くした高虎は、
最終的に32万石もの所領を得た。
初代津藩主として城下町を整備し、津の礎を築いた高虎は高山神社に祀られている。
一度は出家したものの、大大名へと躍進し、
三代将軍・家光の代まで徳川将軍家に忠義を尽くした、藤堂高虎の魅力とは?
(2025年7月12日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓 
「第99回 藤堂高虎・豊臣兄弟が導いた運命」
2025年7月12日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第113回目です。

今回は、本編の第99回「藤堂高虎 編」で話しきれなかった内容や歴史に纏わるお話など、
お題の中から選んで語り尽くします。

半農半士から大出世!築城の名手・藤堂高虎の成功の秘訣とは?
現代にも通じる“運をつかむ力”と“磨き続ける姿勢”。
高虎の最大の失敗と言われる大坂の陣、伊東先生だったらどう動く?
7回の転職を経て成功した高虎にちなみ、
現代の転職観についても直球トーク!
伊東先生から転職を考える人への率直なアドバイスも!etc.

さらに、2025年7月19日(土)夜8時放送
「100回特番 武田三代スペシャル」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!

半農半士から大出世!築城の名手・藤堂高虎、その成功の秘訣とは?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第113回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第98回 奥州藤原氏・独立国家を夢見た北方の王者」の
見逃し配信をご覧ください。

平安末期、北方の王者として君臨し、
独立国家を夢見た奥州藤原氏の敗北から明日を生きるための教訓を探る。
奥州藤原氏の初代・清衡は後三年の役の後、平泉を開拓し、中尊寺を建立、
仏教と交易を軸にした独立国家の実現に邁進する。
二代・基衡は財力を武器に中央政府に接近、
朝廷や摂関家との絆を強め、勢力基盤を強化した。
三代・秀衡は日宋貿易に勤しむ平家を支援し、陸奥鎮守府将軍の座を獲得した。

源平合戦が始まると、秀衡は中立を貫くが、源氏が平家を滅ぼした後、
源頼朝と対立した弟・源義経を平泉に迎え入れる。
ところが、そのわずか半年後、秀衡は他界、
跡を継いだ四代・泰衡は義経と共に生き残りを図るが、
頼朝の圧力に屈し、義経を襲撃してしまう。
その後、頼朝が大軍で平泉に攻め寄せ、泰衡は討死、
奥州藤原氏の栄華は約100年で幕を降ろした。
奥州藤原氏はなぜ、四代で滅びてしまったのか?

奥州藤原氏は滅亡を招いた四代・泰衡を抜き、
清衡・基衡・秀衡の三代で語られることが多いが、
泰衡は果たして無能だったのか?
頼朝に攻められた際、泰衡は自分の屋敷だけを焼いて北へ逃れたため、
平泉は戦場にならずに済んだ。
約800年経った今もなお、平泉に多くの史跡が残る理由がここにある。
その結果、2011年、平泉は世界文化遺産に登録された。
平泉の地を必死に守った四代・泰衡の思いとは?
(2025年7月5日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓 
「第98回 奥州藤原氏・独立国家を夢見た北方の王者」
2025年7月5日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第112回目です。

今回は、本編の第98回「奥州藤原氏 編」で
話しきれなかった内容や歴史に纏わるお話など、
お題の中から選んで語り尽くします。

京都の藤原摂関家とルーツを同じくする一族、奥州藤原氏。
源氏との深い因縁、
もし平家が生き延びていたら、奥州藤原氏は存続できたのか?
平家に協力的な姿勢を示していれば、歴史は変わっていた!?
相手の真意をどう見抜くか?伊東先生の営業時代のお話も!
伊東先生が語る岩手出身・菊池雄星選手との秘話!etc.

さらに、2025年7月12日(土)夜9時放送
「藤堂高虎 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


平家が存続していれば…奥州藤原氏は滅びなかった!?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第112回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第97回 三浦按針・将軍家康を支えた青い目のサムライ」の
見逃し配信をご覧ください。

徳川家康の側近として海外貿易に従事した
旗本・三浦按針の敗北から現代に通じる教訓を探る。
1564年、イギリス南東部の港町・ジリンガムに生まれた按針は
12歳でロンドンの船大工に弟子入り、年季明けと同時に海軍に入り、
スペイン無敵艦隊との戦いに参加した。
そして、貿易会社に約10年勤めた後、オランダ東洋遠征隊の航海士として、
1600年、命からがら豊後国に到達。関ヶ原の戦いの半年前のことだった。

豊臣政権の五大老筆頭・家康に命を救われた按針は日本初の洋式帆船を造ると、
相模国に所領を授かり、旗本となる。
さらに家康の外交顧問としても活躍し、オランダやイギリスとの貿易を実現させる。
ところが、1616年、家康がこの世を去ると、二代将軍・徳川秀忠により、
日本と西洋との貿易が大幅に制限されてしまう。
海外貿易の拡大に尽力した按針はなぜ、不遇な環境へと追いやられたのか?

1616年、按針はイギリス商館との契約を終わらせ、
独立して、東南アジアを中心とする貿易に従事するが、
その後、体調を崩し、1620年、平戸でその生涯を閉じた。
按針の菩提寺、神奈川県横浜市にある浄土寺には
按針ゆかりの貴重な品々が収められている。
按針の死後、所領は息子ジョゼフが相続し、
二代目三浦按針を名乗り、朱印船貿易に従事した。
江戸幕府の創成期、西洋への窓口となった按針の最大の功績とは?
(2025年6月21日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第97回 三浦按針・将軍家康を支えた青い目のサムライ」
2025年6月21日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第110回目です。

今回は、本編の第97回「三浦按針 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

徳川家康に仕えた“イギリス生まれの侍”こと三浦按針(ウィリアム・アダムス)。
三浦按針が帰国を諦めた理由とは?
家康が按針を重用した背景に迫る!
伊東先生の外資系企業時代の体験談、中西さんが勉強中の言語の話も! etc.

さらに、2025年7月5日(土)夜9時放送
「奥州藤原 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


イギリス生まれの侍!?三浦按針の衝撃の日本人生!
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第110回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第96回 応仁の乱・戦国の世を招いた不毛な戦い」の
見逃し配信をご覧ください。

日本を戦国時代へと導いた応仁の乱の過ちから明日を生きるための教訓を探る。
室町幕府は六代将軍・足利義教が守護大名・赤松氏に殺害されたことを機に衰退。
八代将軍・足利義政の時代には幕政を取り仕切る
三管領・細川氏、畠山氏、斯波氏による勢力争いが激化し、
やがて、義政の後継者を巡り、義政の息子・義尚を支持する細川勝元と
義政の弟・義視を支持する山名宗全が対立、全国の守護大名を巻き込む大乱につながっていく。

1467年、応仁・文明の乱が勃発。
しかし、その争いはやがて名目を失い、各々の利権争いへ転じる。
諸大名の離反、寝返りも相次ぎ、戦が泥沼化する中、西軍の宗全が病死、
次いで東軍の勝元も戦を終わらせることなく、この世を去ってしまう。
京都を焼け野原にした戦いは幕府をさらに弱体化させ、
日本を空前絶後の乱世、戦国時代へと導くことに。
不毛な戦いを11年もの長きにわたって継続してしまった理由とは?

宗全と勝元の死後、家督を継いだ山名政豊と細川政元の間で和睦が成立するが、
西軍諸将は戦の継続を表明する。
そこで、将軍・義政の正室、日野富子が彼らと交渉し、
和睦を受け入れさせ、11年に及んだ大乱は終結した。
その後、領国に戻った諸大名は各々が独立した戦国大名となり、
各地で覇権を争う戦国時代へと突入する。
日本史上稀に見る大乱、応仁の乱が現代の私たちに投げかける教訓とは?
(2025年6月14日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第96回 応仁の乱・戦国の世を招いた不毛な戦い」
2025年6月14日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第109回目です。

今回は、本編の第96回「応仁の乱 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

戦国時代のキッカケとなった応仁の乱。
一因となった「家督争い」は絶対に譲れない戦いだった!
政権が維持できていたのが不思議!?室町幕府の権力構造とは?
中西さんが小学生の時に覚えたという特技を初披露! etc.

さらに、2025年6月21日(土)夜9時放送「三浦按針 編」の
予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


戦国時代のキッカケ!応仁の乱はなぜこじれたのか?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第109回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第95回 加藤清正・関ヶ原に参戦できなかった築城名人」の
見逃し配信をご覧ください。

名城・熊本城を築き、
三大築城名人の一人に数えられる加藤清正の敗北から
現代に通じる教訓を探る。
1562年、刀鍛冶の子として尾張国に生まれた清正は
12歳の時に羽柴秀吉の小姓となり、その後、中国攻めに従軍。
本能寺の変の後、秀吉が柴田勝家と争うと
「賤ヶ岳の七本槍」の一人に名を連ねる活躍を見せ、
秀吉の九州平定後、肥後北半国19万5000石の大名に出世した。
さらに文禄・慶長の役でも武功を挙げる。

しかし、その最中に主君・秀吉が亡くなってしまう。
清正は豊臣政権の五大老筆頭・徳川家康に接近し、家康の養女を妻に迎えると、
1600年、五大老の一人、上杉景勝を討伐すべく会津攻めへの従軍を志願する。
ところが、あろうことか、家康に肥後での謹慎を命じられてしまう。
その結果、清正は関ヶ原の戦いに参加することもできなかった。
清正はなぜ、家康に従軍することを拒否されてしまったのか?

関ヶ原の戦いの後、清正は肥後南半国の領主で
西軍に加わった小西行長の居城を攻めるなど、
東軍に貢献し、肥後一国52万石の大大名となる。
家康が江戸に幕府を開いた8年後、清正は京都・二条城で開かれる、
家康と豊臣秀頼の歴史的会見に徳川家臣として同席。
その帰路、突然の病に侵され、50歳で生涯を閉じた。
二人の天下人に仕え、地元・熊本の人々を中心に「清正公さん」と呼ばれ、
慕われている清正の魅力とは?
(2025年6月7日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第95回 加藤清正・関ヶ原に参戦できなかった築城名人」
2025年6月7日放送分見逃し配信


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【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第108回目です。

今回は、本編の第95回「加藤清正 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

猛将として知られる加藤清正。
じつは文治派の石田三成とキャラが被っていた!?
戦に備えて築城された熊本城が本領を発揮したのは明治以降!?
清正が「地震加藤」と呼ばれる発端となった慶長伏見地震にちなみ、
中西さんが驚きの被災体験を語る! etc.

さらに、2025年6月14日(土)夜9時放送
「応仁の乱 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


賤ヶ岳七本槍?築城の名手?加藤清正の本質に迫る!
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第108回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第94回 前田利家・明暗を分けた五大老の選択」の
見逃し配信をご覧ください。

加賀百万石の礎を築いた名将・前田利家の敗北から明日を生きるための教訓を探る。
1538年、尾張荒子城主・前田利春の四男として生まれた利家は
14歳で織田信長の小姓となるが、同僚を殺害し、織田家を追放されてしまう。
帰参後、前田家の家督を継ぐと、能登一国を拝領。
本能寺の変で信長が横死すると、柴田勝家に味方するが、
賤ヶ岳の戦いの最中、羽柴秀吉方に転じ、以後、秀吉の天下統一事業を支えていく。

やがて、豊臣政権の五大老に任命され、後継者・豊臣秀頼の傅役も任される。
ところが、同じく五大老の家康が秀吉の遺言を無視し、
天下への野心を露わにすると、利家は家康の暴走を抑えるべく、
決死の覚悟で直接会談に臨む。
この時、家康の巧みな立ち回りもあり、両者は和解。
しかし、これが結果的に家康を天下人に押し上げることになってしまう。
利家はなぜ、秀吉の遺言を破った家康を処断しなかったのか?

利家の死後、秀頼の傅役は嫡男・前田利長が受け継ぐが、
やがて、家康暗殺の噂が立ち、利長が首謀者と見なされてしまう。
利長は弁明のため奔走、母・まつを人質に出すことで、ようやく家康の許しを得た。
前田家を屈服させた家康は同じく五大老の上杉景勝に謀反の疑いをかけ、会津へと進軍。
その流れの中で起きた関ヶ原の戦いに勝利し、天下の実権を握ることに。
一方、家康に屈した前田家はその後、どんな道のりを歩んだのか?
(2025年5月31日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第94回 前田利家・明暗を分けた五大老の選択」
2025年5月31日放送分見逃し配信


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【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第107回目です。

今回は、本編の第94回「前田利家 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

前田利家が加賀百万石を築けたのは、あの偉人のおかげ!?
利家が徳川家康に敵わないと確信したのはいつ?
伊東さんが石川県のおすすめスポットをご紹介! etc.

さらに、2025年6月7日(土)夜9時放送
「加藤清正 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


厳しい立場に置かれた大久保利通
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第106回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第93回 大久保利通・命を奪われた明治新政府のリーダー」の
見逃し配信をご覧ください。

明治新政府のリーダーとして日本の近代化に尽力した
大久保利通の敗北から現代に通じる教訓を探る。
1830年、薩摩藩士の家に生まれた大久保は幼い頃に西郷と知り合い、17歳で薩摩藩に出仕。
やがて、中央政治に不安を感じ、朝廷と幕府が協力し、
政権の強化を図る公武合体を目指し、奔走する。
1867年、十五代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行うと、
大久保は倒幕派の公家・岩倉具視らと共に王政復古のクーデターを実行した。

明治新政府の主導者の一人となった大久保は版籍奉還、廃藩置県などを断行し、
中央集権体制を確立。
欧米諸国を歴訪し、殖産興業こそが富国強兵への道と確信するが、帰国後、西郷らと対立。
明治政府に不満を持つ不平士族による反乱が相次ぐと、これらを次々と鎮圧した。
さらに西郷が西南戦争を起こすと、彼を自刃に追いやってしまう。
大久保が暗殺されたのはその8カ月後のことだった。大久保はなぜ、命を縮めてしまったのか?

かつて、福島県郡山市の周辺には広大な荒れ地が広がっていた。
大久保はそこに目を付け、開墾事業を計画した。
不毛の大地に豊かな実りをもたらし、殖産興業を推進、
全国の旧士族をその仕事に従事させ、救済しようと考えたのだ。
延べ85万人の労力により、
安積疎水が開通したのは大久保の死から4年後のことだった。
もし、大久保があの時、凶刃に倒れなければ、日本の未来はどうなっていたのか?
(2025年5月24日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第93回 大久保利通・命を奪われた明治新政府のリーダー」
2025年5月24日放送分見逃し配信


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【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第106回目です。

今回は、本編の第93回「大久保利通 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

明治新政府のリーダーとして厳しい立場に置かれた大久保利通。
明治六年の政変での大久保の目的を伊東さんが考察!
士族の中でも石川県士族の不満が特に大きかったのはなぜ!?
西郷隆盛から大久保への評価とは? etc.

さらに、2025年5月31日(土)夜9時放送
「前田利家 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


厳しい立場に置かれた大久保利通
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第106回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第92回 江藤新平・司法制度の父が起こした佐賀の乱」の
見逃し配信をご覧ください。

明治初期に日本の司法制度を整備した江藤新平の敗北から明日を生きるための教訓を探る。
1834年、佐賀藩の下級武士の家に生まれた江藤は藩校・弘道館で大隈重信らに出会い、国家を論じる。
江戸幕府が倒れ、明治新政府の一員となった江藤は四民平等を目指して奔走。
司法省を設立し、司法卿に就任すると、全国に裁判所を設置し、
検事や判事などの職務を定め、誰もが公平な裁きを受けられるよう、司法制度を構築した。

ところが、1873年、征韓論をめぐり、政権の中枢にいた大久保利通らと対立。
江藤は政府を去り、日本初の政治政党を立ち上げる。
そんな江藤を政府は危険人物と見なし、佐賀に鎮圧部隊を派遣。
江藤は佐賀の乱を起こして戦うが、政府軍の圧倒的な戦力に敵わず、敗北。
刑場の露と消えてしまう。江藤は明晰な頭脳を持ちながら、
なぜ、佐賀の乱の首謀者となり、政府と戦うことになってしまったのか?

志半ばでこの世を去った江藤に対し、同郷の士・大隈重信はこんな言葉を残している。
「江藤を失った国家は更に甚大なる損害であり、不幸であった」。
1916年、江藤は明治政府時代に与えられていた正四位を追贈され、ようやく名誉回復を果たす。
そこに尽力したのは、時の内閣総理大臣・大隈重信であった。
佐賀市内の公園には郷土の偉人として、江藤の像が建てられている。
今日に連綿と受け継がれている佐賀の人々の思いとは?
(2025年5月17日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第92回 江藤新平・司法制度の父が起こした佐賀の乱」
2025年5月17日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第105回目です。

今回は、本編の第92回「江藤新平 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

三権分立の実現に貢献した江藤新平。
江藤が目指したのは藩閥政治の打破だった!?
佐賀の乱で捕らえられた江藤が受けたありえない裁判とは!? etc.

さらに、2025年5月24日(土)夜9時放送「大久保利通 編」の
予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


三権分立の実現に貢献した江藤新平
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第105回)


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BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第91回 平賀源内・マルチクリエイターの破天荒人生」の
見逃し配信をご覧ください。

江戸のマルチクリエイター・平賀源内の敗北から現代に通じる教訓を探る。
1728年、高松藩の下級武士の家に生まれた源内は13歳の時に
薬効のある動植物や鉱物などを研究する本草学を学び始め、
22歳で高松藩に仕官する。
3年後、長崎に遊学し、刺激を受けた源内は学者としての道を志し、
27歳で妹婿に家督を譲り、江戸で本草学者・田村藍水に師事、
大規模な薬品の展示会を開き、イベントプロデューサーとして注目される。

多才で好奇心旺盛な源内は、
後に戯作と称される大衆文芸や浄瑠璃の作家としても人気を集める。
さらに、摩擦で静電気発生させる装置、エレキテルを復元し、
一躍、その名を高めた。
ところが、秩父での鉱山開発に失敗し、人生の坂道を転がり始める。
そして、52歳のある日、些細な口論をきっかけに人を殺めてしまう。
科学、文学、芸術など幅広い分野で才能を発揮していた源内はなぜ、
道を踏み外してしまったのか?

自ら出頭し、投獄された源内はおよそ1カ月後、
破傷風を患い、そのまま獄中で亡くなった。享年52。
源内の葬儀を取り仕切った、
蘭学者で医師の杉田玄白は「非常」という言葉を多用し、
亡き友への思いを綴った。
「あぁ、何と変わった人よ。好みも行いも常識を超えていた。
どうして死に様まで非常だったのか」。
晩年、源内はある一文を綴っていた。
そこに込められた、自らの忸怩たる思いと信念とは?
(2025年5月10日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第91回 平賀源内・マルチクリエイターの破天荒人生」
2025年5月10日放送分見逃し配信


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【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第104回目です。

今回は、本編の第91回「平賀源内 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

平賀源内は天才だけど一つのことを極めるのが苦手な一面も!?
源内が開催した「東都薬品会」の仕組みがすごかった!
伊東さんと中西さんが食べたい季節の食べ物は? etc.

さらに、2025年5月17日(土)夜9時放送
「江藤新平 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


画期的な発想!○○払いは平賀源内が作った!?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第104回)


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