後漢の末期、劉備に仕えた武将・関羽は
漢から「漢寿亭侯」の爵位を受けました。
『三国志演義』には、
曹操が関羽に「寿亭侯」の印を授けようとしましたが、
「あくまで漢の臣下である」と断ったために、
頭に「漢」をつけて「漢の寿亭侯」としたので、
それを受け取ったというエピソードがあります。
(中国では削除されていますが)
「漢委奴国王印」みたいなものですね。
漢には「二十等爵」と呼ばれる爵位があり、
後漢では列侯、関内侯が爵とされていました。
人臣が得られる爵位としては、列侯が最高位になります。
列侯は県侯、郷侯、亭侯に分かれます。
呂布は「温侯」に封ぜられますが、これは温県を領地とする「県侯」で、
列侯の中でもトップの爵位になります。
ちなみに関羽の主君である劉備は「宜城亭侯」、「宜城の亭侯」です。
列侯の中では一番低いランクです。
関羽の「漢寿亭侯」は、「漢の寿亭侯」ではなく「漢寿の亭侯」。
爵位では劉備と同じ「亭侯」になります。
劉備と同じ「亭侯」になることに抵抗はなかったのかな?
なんて思ったりもしますが、劉備は「左将軍」という高官なので、
爵位は勲章のような感覚でとらえていたのでしょうか。
そういえば蜀漢の重臣・費禕が暗殺された場所が「漢寿」なのですが、
この「漢寿」とは関係ないようです。
荊州の武陵郡に「漢寿」という地名があるので、
「漢寿亭侯」の「漢寿」は荊州の漢寿とされています。
漢寿の場所については、こちらを参考にしました。
<[中国史]漢寿亭侯 趙翼『陔余叢考』巻三十五より>
(枕流亭ブログ 2007年4月30日)
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20070430/p1
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