社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、55歳。
日々の思いを綴ります。
 



後漢の末期、劉備に仕えた武将・関羽は
漢から「漢寿亭侯」の爵位を受けました。

『三国志演義』には、
曹操が関羽に「寿亭侯」の印を授けようとしましたが、
「あくまで漢の臣下である」と断ったために、
頭に「漢」をつけて「漢の寿亭侯」としたので、
それを受け取ったというエピソードがあります。
(中国では削除されていますが)

「漢委奴国王印」みたいなものですね。

漢には「二十等爵」と呼ばれる爵位があり、
後漢では列侯、関内侯が爵とされていました。

人臣が得られる爵位としては、列侯が最高位になります。

列侯は県侯、郷侯、亭侯に分かれます。

呂布は「温侯」に封ぜられますが、これは温県を領地とする「県侯」で、
列侯の中でもトップの爵位になります。

ちなみに関羽の主君である劉備は「宜城亭侯」、「宜城の亭侯」です。
列侯の中では一番低いランクです。

関羽の「漢寿亭侯」は、「漢の寿亭侯」ではなく「漢寿の亭侯」。
爵位では劉備と同じ「亭侯」になります。

劉備と同じ「亭侯」になることに抵抗はなかったのかな?
なんて思ったりもしますが、劉備は「左将軍」という高官なので、
爵位は勲章のような感覚でとらえていたのでしょうか。

そういえば蜀漢の重臣・費禕が暗殺された場所が「漢寿」なのですが、
この「漢寿」とは関係ないようです。

荊州の武陵郡に「漢寿」という地名があるので、
「漢寿亭侯」の「漢寿」は荊州の漢寿とされています。

漢寿の場所については、こちらを参考にしました。

<[中国史]漢寿亭侯 趙翼『陔余叢考』巻三十五より>
(枕流亭ブログ 2007年4月30日)
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20070430/p1

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