1901年に結成された日本最初の社会主義政党「社会民主党」。
その結成宣言たる『社会民主党宣言』を読む記事の3回目です。
生産手段たる土地・資本の公有に続いて、分配の公平を主張します。
さらに進んで社会主義は分配を公平にせんことを目的とす。
けだし生財組織の不完全なる現今の社会において、
配材の不公平に行われつつあることは当然のことにして、
吾人がまず生財組織を改めんとするは、
その目的、配財を公平にするにあるなり。
吾人つらつら現社会のありさまを通観するに、
人々の受くる報酬は必ずしもその人の勤怠賢愚にはよらざるなり。
ゆえに人生の禍福はほとんど運命によりて定まり、
あたかも富簸を引くがごときの観あり。
富裕層に生まれるか貧困層に生まれるかで人生が決まる、
「機会の平等」が保障されない社会を批判します。
人のこの世に生るるや、その富家の子たると貧家の子たるとは
一に運命によりて定まるにあらずや。
幸いにして富家に生れたるものは充分なる衣食住の供給を得、
やや長ずれば贅沢なる教育を受け、さらに活劇社会に立つに及びては、
ただに父祖伝来の資産彼を助くるのみならず、
彼らの地位と信用はまたいくたの便宜を彼に与うるなり。
しかるに貧者の子はこれと異なり、衣食住の不足なるは言うまでもなく、
普通の教育さえも満足には受くるあたわず、
その競争場裡に立つに及びてや、彼には資産もなく地位もなく、
信用もなし、彼は実に空手をもって
自己のために活路を開拓せざるべからざるなり。
人もしこの世に生れ出づるとともに
すでにその出発点を同じくして競争をなすと言わば
これ真の競争に相違なきも、
この世に生まれ出づるとともに
すでにその出発点を異にしたる者を捕え来りて、
これに競争を試みよと言わば、
誰かこれをもって残酷なりと思わざるものあらんや。
しかれども現社会のいわゆる自由競争なるものは
一としてこの種の競争にあらざるはなし。
「機会の平等」の実現と、所得の再分配も主張します。
資本家および地主は独占的事業という金城鉄壁に依り、
労働者は空手にてこれに対抗せんとす、
その勝敗の数すうあらかじめ知りうべきにあらずや。
しかしてそのいわゆる地主資本家なるものは、
一朝社会の風雲に乗じて僥倖を博したる者にあらずんば、
なんらの功績もなくして父祖の資産を相続したるものなり、
これあに公平なる配財と言うべけんや。
我党が最も重要なる主張として掲ぐるところのものは
すなわち公平なる配財にありて、現社会より燒倖なるものを駆逐し、
できうるかぎり人々をして正当なる分配を受けしめんことを期す。
かのすべての消費税を減少し、もしくは全廃し、
これに代うるに相続税、所得税およびその他の直接税をもってするがごとき、
いずれも公平なる配財を実行するの手段にあらざるはなし。
累進課税という言葉はありませんが、それに近い主張です。
要するに社会主義の抱負は何人にも職業を与うるの保証をなし、
公平なる配財法によりて充分なる衣食住の供給をなし、
疾病老衰等に対しては丁寧なる手当をなすにあり。
ゆえに社会主義の実行せらるる社会はすなわち一大保険団体にして、
人民は子孫のために、もしくは自己の病傷老衰のために貯蓄をなすの必要あらず、
ただ自己の力に応じてその職務を全まつとうせば、
社会は彼に幸福なる生涯を送らしむることを保証すべし。
当時の日本には、現在のような医療・年金などの社会保険制度はありません。
社会保障制度の確立は社会主義政党としての独自性を表しています。
社会保障制度のある現在の資本主義を「懐の深い資本主義」と受け取るか、
「社会主義の侵食」と見るかは見解の相違です。
人あるいは社会主義を誤解して全社会の財産をことごとく没収し、
さらにこれを全人口に平分するものなりと思えり。
しかれども誤謬にして
ほとんど吾人の一顧にだも価いせざるものと言うべし。
もし一国の全財産を全人口に平分せば一人の所得は驚くべきほどの少額ならん。
誰かかかる少額の資産をもって安慰なる生活を営むを得んや。
社会主義は決して一国の土地および資本を分配せんとするものにあらず、
ただ生財機関たる土地および資本を公有として、
それにより鬼ずるところの財富を公平に分配せんと欲するのみ。
しかして一人の所得ははたしていかほどなるべきか
これを精算することあたわずといえども、
現社会における生産が自由競争のために
いかに多くその額を減ぜられつつあるかを想えば、
社会主義の実行せらるる日において、
その生産の大いに増加すべきは決して疑うべからざるなり。
このロジックからは地主の土地を小作農に分配する農地改革の主張は生まれません。
現在の中国のような「全人民所有」ということになるのでしょうか。
かくのごとく生存の根本たるべき衣食住
すなわち財富を公平にかつ充分に分配することを得ば、
人々が享くるところの幸福をして比較的公平ならしむることは
あえて困難なることにはあらざるべし。
吾人はまず人々をして
平等に教育を享くるの特権を得せしめざるべからず。
もし吾人の理想を言わんか、義務教育の年限を少くとも満二十歳までとなし、
まったく公費をもって学齢の青年を教育するにあり。
しかれどもこれ現社会制度の下には到底実行すべからざるものなるをもって、
我党は高等小学卒業までをもって義務教育年限となし、
無月謝制度を取り、かつ公費をもって教科書を与うることとしたり。
教育は人生活動の泉源にして、
国民たるものは誰にてもこれを受くるの権利を有するものなれば、
社会が公費をもって国民教育をなすは真に当然のことなりというべし。
吾人がかくのごとく人々の生活と教育とを勉めて公平にせんと欲するゆえんのものは、
貧富の懸隔のよって生ずるところ多くこの二点に存するを信ずるがゆえなり。
「義務教育は20歳まで」という主張は、現代でいえば「高等教育の無償化」。
大学までの無償化も、今の日本に通用する主張ですね。
そもそも人の生をこの世に享うくるや、もとより貴賤貧富の差別あるべき理なし、
いわんや貴族と平民の称号を用ゆるにおいてをや。
貧富の懸隔は現今の経済組織より自然に発生し来りたるところなるをもって、
なおいくぶんか忍ぶべきところあり。
しかれども貴族制度のごときはまったく人為的にして、
みずからを尊大にして他を侮蔑するところの虚栄心より出でたるものなれば、
我党は民主主義の精神により、大いにこの貴族主義を排撃せざるべからざるを信ず。
ゆえに階級制度を全廃すべきはもちろんのことなりといえども、
まずその第一着手として貴族院の廃止を断行するは自然の順序なりと言うべし。
第二次大戦後の改革で華族制度は廃止され、貴族院も廃止されました。
中世以来の伝統を形だけ残したイギリスの上院(貴族院)とは異なり、
明治からの歴史しか持たない華族制度の廃止は当然すぎるほど当然です。
次に民主主義が極力反対せんとするものを軍隊主義なりとす。
今や世界の諸強国は軍備に忙がわしく、
単に腕力によりて事の是非曲直を決せんとす。
ゆえに国際上においては道徳の制裁なく、
ほとんど白昼公然盗みをなすの観あり。
これただに人類同胞主義の敵たるのみならず、
民主主義発達の上に大なる防害を与うるものなり。
それ軍備を拡張する表面のロ実は外寇に備うるにありといえども、
その裏面の目的はまったく他にあり。
諸強国が軍備を増加するは弱国を強迫して市場を開かしめ、
もってその貨物の販路を拡めんとするか、
もしくは内国における民主主義の発達に備えんがためなり。
「外に帝国主義、内に立憲主義」は桂太郎を批判するスローガンですが、
まさにそれですね。
これすなわち資本家という階級を保護せんとするものにして、
平民たるものはこれがために実に堪えがたきほどの租税を負担しつつあるなり。
世界の諸強国は軍備のために二百七十億ドルの国債を起せり。
しかしてこれが利子を払うだけにても、
三百万人以上の労働者が常に労役に服するの必要ありという。
これに加うるに幾十万の壮丁は常に戦役に服して不生産的生涯を送らざるべからず。
かのドイツのごとく最も軍隊熱に病める国においては、
壮丁の多分を兵卒として徴収するがゆえに、
田野に耕転するところのものは、
半白の老人もしくは婦女のみなりと云う。
ああこれなんらの悲惨ぞや。
戦争はもとこれ野蛮の遺風にして、明らかに文明主義と反対す。
もし軍備を拡張して一朝外国と衝突するあらんか、
その結果や実に恐るべきものあり。
我にして幸いに勝利を得るも、軍人はその効を恃たのみて専横に陥り、
ついに武断政治を行うに至るべし。
これ古今の歴史に照らして明らかなるところなりとす。
もし不幸にして戦敗の国とならんか、
その惨状もとより多言を要するまでもなし。
兵は兇器なりとは古人もすでにこれを言えり。
今日のごとくく万国その利害の関係を密にせるに当り、
一朝剣戟を交え弾丸を飛ばすことあらば、
その害の大なる得て計るべからず。
ここにおいてか我党は軍備を縮少して漸次全滅に至らしめんことを期するなり。
ここに「相互依存論」を読み込むのは早計ですが、
第二次大戦後に現れた「相互依存論」の萌芽を見ることができます。
人あるいは社会民主党をもって急劇なる説を唱え、
危険なる手段を採るものとなさん。
しかり吾人の説はすこぶる急劇なりといえども、
しかもその手段はあくまでも平和的なり。
吾人は絶対的に戦争を非認するものにあらずや、
国際の上においてすでにしかり、いわんや個人の間においてをや。
かの白刃を振い爆裂弾を投ずるがごときは、
虚無党あるいは無政府党のことのみ、
我社会民主党は全然腕力を用ゆることに反対するがゆえに、
決して虚無党・無政府党の愚に傲ならうことをせざるなり。
由来大革命を行うに当りて、腕力の助けを借りしこと少からざりしといえども、
これ時勢のしからしむるところにして、決して吾人の傲うべきところにあらず。
我党の抱負は実に遠大にして、深く社会の根底より改造を企てんとするにあれば、
かの浮浪壮士が採るところの乱暴手段のごときは断じて排斥せざるべからず。
吾人は剣戟よりも鋭利なる筆と舌とを有せり、
軍隊制度よりもなお有力なるべき立憲政体を有せり。
もしこれらの手段を利用して吾人の抱負を実行せば、
なんぞ白刃と爆裂弾との助けを借るがごとき愚をなすを要せんや。
社会民主党は政策実現の手段として立憲制度、
すなわち議会を通じた平和的な改革を主張します。
ニヒリスト・アナーキストのようなテロリズムを手段としない、
というところも現代に通ずるものがありますね。
吾人がここに政党の組織をなすゆえんのものは、
すなわち文明的手段たるこれらの政治機関を利用せんとするにあり。
帝国議会は吾人が将来における活劇場なり、
他年一日我党の議員国会場裡に多数を占めなば、
これすなわち吾人の抱負を実行すべきの時機到達したるなり。
しかれども吾人がすでに陳べたるごとく、
今日の議会はまっだく地主資本家の機関にして、
彼らはこれを濫用して自己に便宜を謀るの手段とせり。
ここにおいてか多数の人民は議会において自己の代表者を有するあたわず、
むなしく手を拱して富者のなすところに任ぜざるべからず、
ああこれ立憲政治の目的ならんや。
しからばいかにして多数の人民に政権を分配すべきか。
これをなすの途一あり、
すなわち選挙法を改正して普通選挙法を断行することこれなり。
選挙権にして一たび多数人民の手に帰せんか、
彼らはもはや自己の利福に達すべき第一難関を通過したるものなり。
これに加うるに公平選挙法を採用して、
少数者の意見をも代表しうるの途を開かば、
社会民主党員の数いかに僅少なりといえども、
なお諸君の代表者を議会に送るを得べし。
ゆえに我党はその目的を達する最初の手段として、
まず選挙法の改正を絶叫せんと欲す。
国民のわずか1%にすぎない高額納税者による制限選挙ではなく、
普通選挙制による政治参加の拡大を主張します。
女性参政権の主張がないのは、時代的な限界なのでしょう。
(当時、欧米諸国でも女性参政権は実現していませんでした。)
「公平選挙法」の内容が明確ではありませんが、
おそらくは比例代表制を想定しているものと思われます。
(当時の衆議院は小選挙区制のみ。)
しかれども教育なき人民に選挙権を与うることは多少の危険なきにあらず。
彼らにして自治制に慣れざるかぎりは、
あるいは選挙権を濫用することもあらん。
ことに今日のごとく貧者がまったく富者に圧抑せられおる場合においては、
彼らは必ず資本家たる人の意向に従いて投票せざるをえざるべし。
されば彼らに選挙権を与うるの途を講ずるとともに、
彼らに適当の教育と訓練を与うるは刻下の急務なりと信ず、
吾人は政府が人口の大部分を占むる労働者および小作人のために、
必要なる保護を与うることを要求するとともに、
彼らが自由に団結しうるの法律を定めんことを望む。
団結は労働者の生命にして、彼らのためには唯一の武器なり。
彼らはこれによりて自治の精神を養うのみならず、
いくたの教育と訓練を受くるを得べし。
しかるに資本家は往々にして彼らの団結を嫌忌し、
はなはだしきに至りてはその団結に加入するものを解雇すること少からず。
かの関西紡績業者のごとき、みずからは鞏固なる団体を造りながら、
労働者が団体を結ぶことには極力反対しつつあり。
ゆえに労働者にしてその規則に触るるあれば
たちまち解雇の刑に処せらるるのみならず、
彼は決して紡績業者の団体に加入せる会社においては
その位地を得ることあたわざるなり。
かくのごときはあくまでも労働者を無智無学の境遇に置き、
しかしてこれを牛馬のごとくに酷使せんとするものにして、
吾人は人道のために、かつ経済発達のために
断然これを排撃せざるをえざるなり。
これを要するに、我党は労働組合法なるものを設け、
治安に妨害なきかぎりにおいては自由に労働者の団結を許し、
彼らをして自助自衛の途を講ぜしめんことを期す。
労働者の自治の精神を養うためにも、労働組合の合法化を要求しています。
労働組合は圧力団体というだけでなく、
社会の多数を占める労働者の政治教育の場でもあるのです。
吾人の主張はまさに以上陳べたるがごとし。
我党は実に時勢の必要に応じかくのごときの抱負をもって生れたるなり。
見るべし、社会主義は個人的競争主義、
唯我的軍隊主義に反対するものにして、
民主主義は人為的貴族主義の対照なることを。
これを概言すれば社会民主党は貴賤貧富の懸隔を打破し、
人民全体の福祉を増進することを目的となすものなり。
ああこれ世界の大勢の趣くところにして人類終極の目的にあらずや。
『社民党宣言』は以上で終わりです。
「社会主義」は独占資本主義と帝国主義に反対するものであり、
「民主主義」は参政権の拡大を意味します。
100年以上も前の文書ですが、今もなお輝きを失ってはいません。
今の社会民主党は、間違いなく百年前の社会民主党の後継政党です。
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