先日ほしのさんの同人誌を読んで考えた、戦後についてのつれづれ。
私の親世代は戦争反対の強いメッセージを送り続けた世代でして、それはいいんだけどその世代が語る戦争は「一方的に被害を受けた日本の姿」なのね。当然語り手が戦争当時、無力な子どもだったから。
その世代のメッセージを「親の語る戦争体験」として聞かされてきた私たちの世代が、アニメや漫画で「自分達が被害(侵略)を受ける側」の創作物を沢山作ってきた結果、そのまた次の世代(今の10~20代)が「加害者に滑り落ちる可能性」をあんまりシミュレートできない環境にしてきたのがとても面目ない。
WW2での大日本帝国は、遅ればせながら植民地支配に参加しようと侵略戦争を始め、その政治理念でも戦争計画でもあまりに至らない浅はかさのせいで、侵略対象国だけでなく自国民にもものくそ大きな被害をもたらして倒れたんですよね。
その後にできた「日本」って国は大日本帝国とは全く別の(なにしろ主権者が天皇一人から国民全員に移ったぐらいの驚天動地の変貌)国になったのだけど、なぜか戦後教育では「ちょっと憲法が書き換えられただけ」みたいなミニマムな変化みたいにいわれてきたし私も中学校でそう習った。憲法発布を「絹布のはっぴ」と聞き間違えた人の笑い話とか聞かされて。
多分、戦争に怒り反対して子供達にその悲惨さを伝えようとがんばってきた親世代の人たちは、そのものすごく大きな恩恵より、戦争状態が終わった事の方が大事だったから、ただしく受け止めることができなかったのではないかな。
よく自分の住んでいる地域の良さは地元の人には当たり前すぎて判らず外部の人の視点で気がつくという話があるけれど、日本と憲法の関係もそんな感じなのかもしれない。
自民党の出した憲法改正案が恐ろしく個人の自由や命や安全を脅かす内容すぎて、こんな社会になってしまったら大変と冷や汗をかいて初めて、市民のバリアになっていた法に気がつく感じ。
しみじみ恐い。
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