私の卒業した高校はちょっと個性的で、モットーの一つに自労自治がありました。
なので特に簿記を習ったことがなくても学校の会計当番をしてれば、就職してから出納帳の管理とか貸借対照表をつくったりできたし、百人単位の給食を作ったり皿洗いしたりする当番が週イチであったので、ダン箱6個のキャベツの千切りとかジャガイモの皮むきを1時間半以内に終わらせる方法も身につけることができました。
多分経験していたおかげで、数字を見て反射的に「ムリだ!」と思う規模の仕事も、電卓叩いて「なんとかなるかも」と考えられるようになったのだと思います。
私はどちらかというと首から下で考えるタチなので、そういう実践の場を貰えた事は大変楽しかったのだけど、学校での首から上部分がとても水があわなくてしんどかったです。
別に勉強が難しかった訳ではなくて、ものの考え方がね!
当時世間ではバブル前夜の個人主義が流行っていたそうなんだけど、校内にはそんな風はそよとも吹かず、逆に堂々と全体主義を標榜している人もあり、聞いてた姿勢で凍りついたことがありました。
ここってまだ戦前なの!?
もしかして言葉の意味知らないで使ってるだけ鴨!?
でも手紙の検閲とか進路の変更の強要とか学校行事のために個人の法事出席の禁止とか公用外出の交通費自腹とか、まあ今でも大学なんかではこっそりやってるような理不尽もある訳だけど、中高生に対してそれやるのは、教育者もとい大人としてペケだろ!な事が多すぎた。
なので何かしらの長につく度に、私はかんかん怒っていたような気がします。人生で一番怒っていた3年だったような。
クラスメートや下級生が「どんまい、また怒ってますね」と慰めてくれてたので、自覚しているより2割増しくらいで怒っていたのかもな。
そんな訳でトシくってからは、なかなか本腰いれて怒ることができなくなりました。
普通に「ハラたつな~」とか「ええい卑怯な」とか思うことはあるけれど、噴火レベルまでは遠く及ばないというか。
怒れないというのはやっぱりよろしくないと思うの。もうちょっと沸点さげなくては。
てことで新聞の総合面とか時事本とかめくって、かっか練習しております。ぷりぷり。←ぜんぜんたらん。
なので特に簿記を習ったことがなくても学校の会計当番をしてれば、就職してから出納帳の管理とか貸借対照表をつくったりできたし、百人単位の給食を作ったり皿洗いしたりする当番が週イチであったので、ダン箱6個のキャベツの千切りとかジャガイモの皮むきを1時間半以内に終わらせる方法も身につけることができました。
多分経験していたおかげで、数字を見て反射的に「ムリだ!」と思う規模の仕事も、電卓叩いて「なんとかなるかも」と考えられるようになったのだと思います。
私はどちらかというと首から下で考えるタチなので、そういう実践の場を貰えた事は大変楽しかったのだけど、学校での首から上部分がとても水があわなくてしんどかったです。
別に勉強が難しかった訳ではなくて、ものの考え方がね!
当時世間ではバブル前夜の個人主義が流行っていたそうなんだけど、校内にはそんな風はそよとも吹かず、逆に堂々と全体主義を標榜している人もあり、聞いてた姿勢で凍りついたことがありました。
ここってまだ戦前なの!?
もしかして言葉の意味知らないで使ってるだけ鴨!?
でも手紙の検閲とか進路の変更の強要とか学校行事のために個人の法事出席の禁止とか公用外出の交通費自腹とか、まあ今でも大学なんかではこっそりやってるような理不尽もある訳だけど、中高生に対してそれやるのは、教育者もとい大人としてペケだろ!な事が多すぎた。
なので何かしらの長につく度に、私はかんかん怒っていたような気がします。人生で一番怒っていた3年だったような。
クラスメートや下級生が「どんまい、また怒ってますね」と慰めてくれてたので、自覚しているより2割増しくらいで怒っていたのかもな。
そんな訳でトシくってからは、なかなか本腰いれて怒ることができなくなりました。
普通に「ハラたつな~」とか「ええい卑怯な」とか思うことはあるけれど、噴火レベルまでは遠く及ばないというか。
怒れないというのはやっぱりよろしくないと思うの。もうちょっと沸点さげなくては。
てことで新聞の総合面とか時事本とかめくって、かっか練習しております。ぷりぷり。←ぜんぜんたらん。