先日の介護認定の聞き取り調査で改めて分かったことがあります。
運動機能や認知機能など、、、
私も1週間ほど一緒にいたので、解ってるつもりだったけど、
介護をしてくれてる職員さんの説明で、ハッとすることも多々ありました。
シッカリと確認してくださってました。
母の日常を観察して支援方法も考えてくださっています。
通院は無理だろうと、往診してくださる病院を探してもらえました。
4月の半月分の請求書他に、立替料金の項目が、
散髪代、¥1,000
施設での散髪日があると聞いていました。ちょうど母が入所して間もなく、
スッキリ、それなりに別嬪さんになっていました。
詳しくは聞いていなかったのですが、この料金、ボランティア?
ここに入所してから、2週間ほど和歌山に滞在して毎日通いました。
その時、1日中パジャマで過ごしていました。
骨折の後、退院後も身体を動かすのが苦痛そうで、着替えさせるのを躊躇いました。
でも部屋に籠りっきりを避けるため、3度の食事の時には車椅子で食堂に行きます。
日中は、普通の服に着替えて過ごしています。ベットの上だけど、
母にとって、骨折する前でも自立型の施設は、負担が大きかったのではなかったのか、
そんな風に感じる最近の母です。
息子たちの近くに行くと言うことで納得した母でした。
近くに感じることで安心してるようですが、息子たちは頻繁に見舞ってくれてるようです。
1日の殆どを眠っているけど、😆
次回は、来月初めのカルチャースクールのついで😊 に、見舞うことにして、
早く風邪を治さなきゃ
里で見つけた ヘラオオバコ 確か以前も見つけたことがあった。ここです。
あの頃の母はお昼だけ、お弁当をとっていたのですが、居る間の食事は私が作っていました。
ですから、里帰りって言っても寝る場所が変わるだけ、普段の主婦の生活です。
夫が一緒だと、母は夫に気を使い私に対して口うるさく、気が休まらないものでしたが
けど、やっぱり、のんびりしたものでした。
7・8日に夫が和歌山に用事があったので、前日の6日に出発しました。
母の施設に顔を出し、嫁に玉ネギを届けて(取りに来てもらって)
7日は夫が出かけてる間に、前回 息子んちで洗って置いた冬物を持って母の施設に持って行く。
冬から初夏に一足飛びの様で、施設に収納した衣類を、また入れ替えみたいな、、
気が付けば、3週間。
トイレットペーパーやティッシュペーパーのストックが残り少ない。
翌日、帰る前に届けに行くと、受付嬢が「毎回、大荷物ですねぇ」って、
取りあえずは、整ったのかしら???
帰ってみれば、家の方は、、、
畑の片付け、終わって無いけど、、、 夫の実家を見に行ったら、
今までにないほどの雑草。1か月の放置で?
空き家が荒れるのって、こう言うことねと納得。
小さな花です。1・2ミリかと思います。でも繁殖力は大きいです。
退院してから和歌山への引っ越しに迎えに来れる日までの間が空きました。
母の状態は入院中に見てはいても、病院任せ、よく解っていなかったと、気づく事もあったのでした。
ここでの生活・環境を知ることも出来ました。
移動に際して準備する事・物も分かってきました。
母は耳が遠くなっています。少し前は大声で話していたのですが、
最近は、耳元でゆっくり話すようにしています。何かをしながらはダメです。
手を止めて、ゆっくり、、これって普段の生活では難しい。
施設にお願いして距離を置く、これで良かったのだと思います。
新しい施設に入って、すんなり順応してくれて、荷物の整理や手続きをして一旦帰ってきたのでした。
新しい施設も母の様子も見に行きたいと言ってた弟が、3泊4日で来ることが決まり、
帰ってきたばかりだけど、私も迎えに行きました。
母の所に行ってても、日程が合わず会う事はありませんでした。
今回、合わせることが出来ます。(ちょっとハードだけど)
電話やメールで話す事はあっても、会って話すのとは違う、、
またまた、夫には不便をかけましたが、良かった。
弟には言い忘れたことが、聞き忘れてることも、有る気もするけど、、
午前中、母と過ごして帰って行きました。私も帰ってきました。チュカレタァ~~
追記、今回はJRを利用。指定席が取れるか?って言うか、取れた電車で帰りました。
ほぼ満席。しかも田辺白浜を過ぎて串本までも乗客がいっぱいでした。
白浜止まりの特急が半分、串本を過ぎ新宮までの便は半分です。
何時もこれっ位、この半分でもあったら、 串本までの便数も増えるのになぁ~~
今日から、令和元年です。子供の頃、明治・大正・昭和の3代を生きた祖母って凄ーい。
って、思っていましたが、昭和・平成・令和と3代生きています、私。
そして母は大正からですから、もう一つ増えました。
母が居た施設は自立型介護施設だったので、基本的に自分の事は自分でします。
とは言え、その状態は人さまざまです。
母は骨折してからは足元が覚束なくなり、歩行器を使っていましたが、洗濯は自分でもしていました。
月に2度、ヘルパーさんの助けも借りて、何とかできていました。
車椅子で生活していらっしゃる方もいらっしゃれば
施設の庭の片隅で菜園や花壇を作っていらっしゃる方も
先に紹介した 手芸を楽しんでいらっしゃる方も
自由に外出外泊なさってる方も
今回、施設のコインランドリーで洗濯をしてる時、出会った方は、お若そうでした。
- 「子供たちが来いって言うんだけど、ここ(地元)に居たいって言ったら、入れられてしまって」
- 「まだお若いですものね。でもね、子供としては一人暮らしをしてるのは、心配ですよ。
私も此処に入ってくれて安心したんですよ。」 - 「若こう無いんやよ、もう米寿。
そうかいねぇ~~ほしたら、ここで賢こう居ろかいね。」
やっぱり、住み慣れた地を離れるのは辛い事ですよね。
母がもっと早く決断してくれたら、とも思いますが、今しかできなかったのでしょう。
月に一度、おやつ作りの日もあって、自由参加です。
そして月に2度、入所者さんが講師をしての習字教室もあります。母も参加していました。
月に1度、新しい作品が張り出されています。それも楽しみだったようです。
その講師の方が、お別れに書いてくださった色紙。一足先に令和も
鋲を打つことが出来ないので、こんな風に飾っています。
着いた翌日の午前中に施設に運び入れた荷物の片付け
午後は転入手続きを市役所に嫁に連れって貰いました。
終わると、もう夕方。
ヘトヘトだけど洗濯物をとりこんで、夕食(って、物じゃないけど)の準備。
その又翌日の午前中に、公共交通を使って母の施設へ
お昼に嫁と待ち合わせて昼食。
嫁が帰った後、眠る母を見てたら睡魔が〜
心配してた母が落ちついてるのが何より、
嫁も連日活躍中でありまする〜