アントニー・ガウディー
(日本・1984・72min)
監督:勅使河原宏
監修:フアン・バセゴダ・ノネル
製作:勅使河原宏、野村紀子
撮影:瀬川順一
編集:勅使河原宏、吉田栄子
音楽:武満徹
後半でガウディともにサグラダ・ファミリア贖罪寺院の建設に携わったブーチ・ボアダ氏のインタビュー(宮口精二による吹替え)が挿入されるが、ナレーションはなく、代わりに字幕によって簡潔な解説がなされる。勅使河原宏の美的関心は主にガウディの特異な造形美にあるようで、その有機物のようなディテールの面白さをカメラは舐めるようにパンする。武満徹の音楽はどこかノスタルジックで、映像に抒情性を付け加えつつ寄り添っている。
取り上げられる作品は、
カサ・バドリョ
カサ・ミラ
カサ・ビセンス
ベリス・グアルド
テレーサ学院
グエル別邸
パラシオ・グエル
グエル家の酒倉
サグラダ・ファミリア教区学校
コロニア・グエル
パルケ・グエル
サグラダ・ファミリア贖罪寺院
まずガウディの特質のよく現れた代表作を紹介した上で、その創造の源泉に遡り、改めて初期の作品から作風の変遷を辿り直し、次によき理解者であったグエルに関わりのある作品を立て続けに取り上げ、最後にサグラダ・ファミリア贖罪寺院が登場する。
しかしながら映像は単にガウディの作品を一つ一つ映し出していくだけにとどまらない。まずは幻想的で美しい夜の噴水からはじまり、続けて狭い路地や休日の広場の賑わい、ピカソの壁画やミロのモザイク、スペイン内戦時の弾痕、中世の血なまぐさいフレスコ画などバルセロナ市街を淡々と描写していく。やがてガウディと同時代の建築家による作品が次々と映し出され、それらの建物の過剰ともいえる装飾性が強調される。
ガウディの作品が登場するまでのこうした導入部に続いて、カタロニア(カタルーニャ)文化運動に関わっていた頃のガウディがしばしば訪ねたロマネスク様式の教会建築や市場の賑わい、聖地モンセラの奇岩の映像を挿入しながらガウディの作品を映し出していく。DVDの特典として収められた横山正氏の解説でも触れられているように、こうした構成は細部への偏愛を隠さないカメラが捉えるガウディの特異な美意識を「狂気の天才」としてではなく、「カタロニア(カタルーニャ)の歴史と風土が生んだ天才」として浮き彫りにしていく。確かに(例えば「VIA STAGIONE」のように)日本のニュータウンの景観に切り取ってくれば「キッチュ」とも見えるガウディの意匠だが、バルセロナの市街に点在するガウディの作品を周囲の景観ごと捉えたショットを見ると意外にもその街並みに馴染んでいることからもそのことは感受されるし、こうした構成を通じて歴史や伝統の中から新たな芸術を創造しようとした一人の芸術家に対する、勅使河原宏という芸術家自身の深い共感を読み取ることも可能だろう。
コロニア・グエルの地下聖堂の暗がりに浮かび上がるディテールを捉えるシークエンスから明るい陽光の下にパルケ・グエルの全貌を俯瞰するショットに切り替わる瞬間の開放感。そこに憩う人々の姿とディテールを切り返しで見せながら、やがて遠くに霞むように聳え立つサグラダ・ファミリアを捉えたカメラが対象にズームしていく。寺院を映す水面など印象的なカットをつなぎながら、極端な仰角で晴れ渡った青空を衝く尖塔を捉えるカメラがこの有名な寺院の威容を余すところなく描き出す。
この一連の流れはこの映画のクライマックスであるとともに、バルセロナという街に「息づく」ガウディの建築を映し出した美しい詩的ドキュメンタリーの中でも、何度も見ても好きなところだ。
(日本・1984・72min)
監督:勅使河原宏
監修:フアン・バセゴダ・ノネル
製作:勅使河原宏、野村紀子
撮影:瀬川順一
編集:勅使河原宏、吉田栄子
音楽:武満徹
後半でガウディともにサグラダ・ファミリア贖罪寺院の建設に携わったブーチ・ボアダ氏のインタビュー(宮口精二による吹替え)が挿入されるが、ナレーションはなく、代わりに字幕によって簡潔な解説がなされる。勅使河原宏の美的関心は主にガウディの特異な造形美にあるようで、その有機物のようなディテールの面白さをカメラは舐めるようにパンする。武満徹の音楽はどこかノスタルジックで、映像に抒情性を付け加えつつ寄り添っている。
取り上げられる作品は、
カサ・バドリョ
カサ・ミラ
カサ・ビセンス
ベリス・グアルド
テレーサ学院
グエル別邸
パラシオ・グエル
グエル家の酒倉
サグラダ・ファミリア教区学校
コロニア・グエル
パルケ・グエル
サグラダ・ファミリア贖罪寺院
まずガウディの特質のよく現れた代表作を紹介した上で、その創造の源泉に遡り、改めて初期の作品から作風の変遷を辿り直し、次によき理解者であったグエルに関わりのある作品を立て続けに取り上げ、最後にサグラダ・ファミリア贖罪寺院が登場する。
しかしながら映像は単にガウディの作品を一つ一つ映し出していくだけにとどまらない。まずは幻想的で美しい夜の噴水からはじまり、続けて狭い路地や休日の広場の賑わい、ピカソの壁画やミロのモザイク、スペイン内戦時の弾痕、中世の血なまぐさいフレスコ画などバルセロナ市街を淡々と描写していく。やがてガウディと同時代の建築家による作品が次々と映し出され、それらの建物の過剰ともいえる装飾性が強調される。
ガウディの作品が登場するまでのこうした導入部に続いて、カタロニア(カタルーニャ)文化運動に関わっていた頃のガウディがしばしば訪ねたロマネスク様式の教会建築や市場の賑わい、聖地モンセラの奇岩の映像を挿入しながらガウディの作品を映し出していく。DVDの特典として収められた横山正氏の解説でも触れられているように、こうした構成は細部への偏愛を隠さないカメラが捉えるガウディの特異な美意識を「狂気の天才」としてではなく、「カタロニア(カタルーニャ)の歴史と風土が生んだ天才」として浮き彫りにしていく。確かに(例えば「VIA STAGIONE」のように)日本のニュータウンの景観に切り取ってくれば「キッチュ」とも見えるガウディの意匠だが、バルセロナの市街に点在するガウディの作品を周囲の景観ごと捉えたショットを見ると意外にもその街並みに馴染んでいることからもそのことは感受されるし、こうした構成を通じて歴史や伝統の中から新たな芸術を創造しようとした一人の芸術家に対する、勅使河原宏という芸術家自身の深い共感を読み取ることも可能だろう。
コロニア・グエルの地下聖堂の暗がりに浮かび上がるディテールを捉えるシークエンスから明るい陽光の下にパルケ・グエルの全貌を俯瞰するショットに切り替わる瞬間の開放感。そこに憩う人々の姿とディテールを切り返しで見せながら、やがて遠くに霞むように聳え立つサグラダ・ファミリアを捉えたカメラが対象にズームしていく。寺院を映す水面など印象的なカットをつなぎながら、極端な仰角で晴れ渡った青空を衝く尖塔を捉えるカメラがこの有名な寺院の威容を余すところなく描き出す。
この一連の流れはこの映画のクライマックスであるとともに、バルセロナという街に「息づく」ガウディの建築を映し出した美しい詩的ドキュメンタリーの中でも、何度も見ても好きなところだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます