新年初めての美術鑑賞は、日本橋高島屋で開催の「ガレ・ドーム・ラリック展」。アール・ヌーヴォからアール・デコに至るフランス工芸作家のポーラ財団コレクションの展示。アール・ヌーヴォからアール・デコへの変化がとてもよく分かる美術展ではありました。美術展会場とは別室で、同じ年代のガレやラリックの工房で製作された工芸品が展示販売されていた。いとも簡単に600万とか1000万というプライスカードが付いていて、こちらのほうが数字で価値が見えるので面白かった。
新宿サブナードの地下街、よくあるとんかつ屋で夕飯を食っていたら、テーブルの下を丸々太ったネズミが通った。新宿の地下だからネズミが出ても驚かないが、気分はよくない。場末のいっぱい飲み屋じゃないないのだから。レジで店員に話すと「出ちゃいましたー」だと。「別に新宿だから驚かないけど」とふると、「そーですよねー」。さらに「営業中に出たのは初めて」とか「ここは地下だからしかたがない」とかヘラヘラしながらの受け答え。やっちまったねー。まあ、怒る気にもならなかったけれど、もう行かない。
小津安二郎監督「彼岸花」を昔の録画ビデオで観る。小津監督に関する本を何冊か読んだので、カラー第1作を観たくなったのだ。監督自らが小津映画の4番打者という杉村春子が出ていないが、その役割を浪花千栄子がみごとにこなしている。山本富士子も明るいキャラクターを発揮しているが、やはり田中絹代は小津映画のテンポに合わないのではないかという気がした。娘の結婚がテーマなのに花嫁姿も結婚式も映らない映画。赤いホーローの薬缶と黄色の湯飲みの色彩がすばらしい。
小津監督が1937年から応召し中国戦線で従軍した時の記録「従軍日記」が面白い。それとともに「禁公開」になっている「陣中日記」もあるのだが、こちらは中身がわからない。「従軍日記」は暢気な軍隊暮らしといった趣だが、1937年から1939年という時代の上海、南京を考えれば、恐らく小津監督の戦争体験はかなり凄惨なものがあったはずだ。小津監督は戦争を描かなかった人といわれるが、戦争未亡人は出てくる。「東京暮色」のような映画には、小津監督の心の奥の暗さのようなものが不意に出てきてしまうことがある。
小津安二郎は中国戦線で何を経験してきたのだろうか。
新宿サブナードの地下街、よくあるとんかつ屋で夕飯を食っていたら、テーブルの下を丸々太ったネズミが通った。新宿の地下だからネズミが出ても驚かないが、気分はよくない。場末のいっぱい飲み屋じゃないないのだから。レジで店員に話すと「出ちゃいましたー」だと。「別に新宿だから驚かないけど」とふると、「そーですよねー」。さらに「営業中に出たのは初めて」とか「ここは地下だからしかたがない」とかヘラヘラしながらの受け答え。やっちまったねー。まあ、怒る気にもならなかったけれど、もう行かない。
小津安二郎監督「彼岸花」を昔の録画ビデオで観る。小津監督に関する本を何冊か読んだので、カラー第1作を観たくなったのだ。監督自らが小津映画の4番打者という杉村春子が出ていないが、その役割を浪花千栄子がみごとにこなしている。山本富士子も明るいキャラクターを発揮しているが、やはり田中絹代は小津映画のテンポに合わないのではないかという気がした。娘の結婚がテーマなのに花嫁姿も結婚式も映らない映画。赤いホーローの薬缶と黄色の湯飲みの色彩がすばらしい。
小津監督が1937年から応召し中国戦線で従軍した時の記録「従軍日記」が面白い。それとともに「禁公開」になっている「陣中日記」もあるのだが、こちらは中身がわからない。「従軍日記」は暢気な軍隊暮らしといった趣だが、1937年から1939年という時代の上海、南京を考えれば、恐らく小津監督の戦争体験はかなり凄惨なものがあったはずだ。小津監督は戦争を描かなかった人といわれるが、戦争未亡人は出てくる。「東京暮色」のような映画には、小津監督の心の奥の暗さのようなものが不意に出てきてしまうことがある。
小津安二郎は中国戦線で何を経験してきたのだろうか。
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