ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

溝口健二「浪華悲歌」で山田五十鈴は「セントルイス・ブルース」をハミングする。

2009年01月08日 | 
 1936年(昭和11年)といえば、2.26事件、阿部定事件、ヒトラーのベルリンオリンピックで「前畑がんばれ」が有名になった年。昭和史のターニングポイントなどともいわれる。この年のヒット曲には藤山一郎の「東京ラプソディ」などがあるが、年末にBSの録画で観た溝口健二の「浪華悲歌」(1936年の作品。なにわエレジーと読むのでしょうね)を観ていたら、山田五十鈴扮するヒロイン・アヤ子が、「セントルイス・ブルース」を鼻歌で歌うシーンがあるのにはちょっと驚いた。社長の愛人宅のマンションのモダンなたたずまいやラストシーンの山田五十鈴のモガぶりなど舞台装置もモダンだが、タイトルバックの音楽も洗練されたオーケストレーションのスイングジャズなのだった。

 溝口とジャズ、戦後の作品からは想像できないが、愛人や美人局をしても家族のために献身し、女一人で生きていくという孤独だが自立した女を描く現代劇ならば、溝口の中でも先端的な文化としての映画とジャズは当然のごとく融合したのだろう。そして、昭和11年あたりは、都会ではまだまだアメリカの音楽や映画に大衆が熱狂できた時代だったのだ。

 実は、昭和10年前後というこの時代こそ日本のジャズが大きく発展した時期であったことが、最近読んだ「日本ジャズの誕生」(瀬川昌久・大谷能生 著)でも書かれてあった。瀬川さんは草創期の日本のジャズを語らせたら右に出るものはいない。そしていまこの人の話を収録しておかなかったら日本におけるジャズ誕生の真実が分からなくなる、そんな使命感から大谷氏もこのインタビューに臨んだのだろう。しかも「赤アイラー」「青アイラー」同様、音源を聴きながら、というところがこの本の肝で、このスタイルで日本ジャズ史が掘り下げられることを期待しないわけにはいかない。

 この本でも日本最初の黒い歌手として紹介されるディック・ミネ。34年に「ダイナ」を、「浪華悲歌」の年1936年には「セントルイス・ブルース」(アレンジも歌い方もかっこいい。菊翁が下品に「あなたいやーん、そこはオシリなの」と歌う歌をイメージしてはならない)をヒットさせている。だから、ヒロインの鼻歌にもこの曲が出てきたのだろう。ダンス音楽としてのジャズがダンスホールを中心に最もモダンな音楽、文化として都会の若者の心をとらえていた時代なのだった。ミネさんは母校の先輩(卒業後逓信省に勤めたというのも驚きだった)、瀬川さんは私が所属していた母校のビッグバンドをいつも評価してくれた一人で、コンサートの打ち上げにも顔をだしていただいたことがあったはず。そんなわけで、この本は内容もさることながら個人的にもうれしい1冊なのだった。

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