さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

人形浄瑠璃 文楽の歴史展

2010年02月18日 | アート♪
第1部が終演してから、伝統芸能情報館で開催中の
「人形浄瑠璃 文楽の歴史展」を拝見した。

国立劇場伝統文化情報館は、国立劇場の収集した博物資料の企画展示や
歌舞伎・文楽・錦絵などの舞台芸術を視聴覚できるライブラリーもあり、
演劇関係の図書も閲覧でき、レクチャー室では過去の公演記録観賞会なども行われている。

国立劇場楽屋口の隣に位置しているので、
一部が終わり、二部が始まる中、日頃舞台で拝見している方々が
出入りされていて、ちょっとときめいてしまった(笑)

そもそも人形浄瑠璃文楽は、竹本義太夫が大坂道頓堀に竹本座を創設したことに始まり、
その基盤を確立したのが、劇作家近松門左衛門ということらしい。

1.創生期~義太夫と近松の時代~
2.全盛期~三大名作の時代~
3.黄金期~御霊文楽座と彦六座の時代~
4.昭和期Ⅰ~四ツ橋文楽座の時代~
5.昭和期Ⅱ~国立文楽劇場まで~

近松以後、複数の作者による合作制度で、
18世紀に「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」の三大名作ができ、
19世紀に御霊文楽座と彦六座が対抗して競うように多くの名人を輩出した。
昭和に入り、四ツ橋に洋風建築の文楽座が開場して、「三頭目」とよばれる大夫
(三大竹本津大夫・二代豊竹古靭大夫・六代竹本土佐大夫)や
初代道八といった三味線の名人、人形遣いの初代栄三・三代文五郎などが
充実した公演を続けていたが、戦争により国威高揚の公演で、
軍服を着た文楽人形が舞台に上がったり、また文楽座も空襲で全焼してしまう。
戦後いち早く劇場が復興されたが、当時盛んだった労働組合運動で、
組合派の「三和会」と非組合派の「因会」に分裂。がその後双方が歩み寄り
合同して財団法人文楽協会ができた。
義太夫が竹本座を創設して300年後、昭和59年(1984年)
大阪道頓堀に近い日本橋に国立文楽劇場ができる。

というような流れの中の貴重な資料の展示であった。
また、国立劇場自主企画映画「文楽」も見ることが出来、
竹本越路大夫・竹本津大夫…
鶴澤寛治・野澤松之輔…
桐竹紋十郎・吉田栄三・吉田玉男… のご出演。

涙がこみ上げてくるようで2回も拝見してしまった。