先週、三井記念美術館で拝見した「円山応挙 空間の創造」
さすがに応挙のパトロンであった三井家の美術館による企画展だけに、
応挙の大画面作品の魅力を存分に楽しませてくれる展覧会であった。
先月、相国寺承天閣美術館で「七難七福図巻」を拝見したばかりであったので、
その三井寺円満院門主である祐常の「萬誌」が非常に興味深く面白かった。
応挙はこの門主の寵恩を得ていた頃から、独自の絵画理論をもっていたようだ。
それは、近くで鑑賞する絵画と、遠くから見て真価を発揮する絵画「遠見の絵」を
はっきり区別して描くことや遠近の表現「三遠之法」などを祐常門主に語っていた記録である。
その遠見の絵の代表作のような「雪松図屏風」を実際に近くで観ると
松葉がずいぶんと大胆な粗い筆使いであるのに驚き、また離れて観ると
雪をかぶった松の立体感がすばらしい臨場感で迫ってくる。
草堂寺の雪梅図襖も素晴らしかった。
そして遠近法を用いた眼鏡絵も面白かった。
応挙がこの眼鏡絵を描く以前に、十代で上洛して狩野派に学んだそうだが、
今回あらためて、当時の狩野派の教育システムは素晴らしかったのだろうとつくづく想った。
応挙も若冲も天才的な才能に恵まれていたわけであるが、
その技術的な基礎を作ったのは狩野派であったのではないだろうか?
そして天才であるがゆえに、狩野派の枠ににとどまらず、独自の絵画を編み出してゆくことになったのだろう。
応挙さんも面白い淀川下りを描いていましたね♪
さすがに応挙のパトロンであった三井家の美術館による企画展だけに、
応挙の大画面作品の魅力を存分に楽しませてくれる展覧会であった。
先月、相国寺承天閣美術館で「七難七福図巻」を拝見したばかりであったので、
その三井寺円満院門主である祐常の「萬誌」が非常に興味深く面白かった。
応挙はこの門主の寵恩を得ていた頃から、独自の絵画理論をもっていたようだ。
それは、近くで鑑賞する絵画と、遠くから見て真価を発揮する絵画「遠見の絵」を
はっきり区別して描くことや遠近の表現「三遠之法」などを祐常門主に語っていた記録である。
その遠見の絵の代表作のような「雪松図屏風」を実際に近くで観ると
松葉がずいぶんと大胆な粗い筆使いであるのに驚き、また離れて観ると
雪をかぶった松の立体感がすばらしい臨場感で迫ってくる。
草堂寺の雪梅図襖も素晴らしかった。
そして遠近法を用いた眼鏡絵も面白かった。
応挙がこの眼鏡絵を描く以前に、十代で上洛して狩野派に学んだそうだが、
今回あらためて、当時の狩野派の教育システムは素晴らしかったのだろうとつくづく想った。
応挙も若冲も天才的な才能に恵まれていたわけであるが、
その技術的な基礎を作ったのは狩野派であったのではないだろうか?
そして天才であるがゆえに、狩野派の枠ににとどまらず、独自の絵画を編み出してゆくことになったのだろう。
応挙さんも面白い淀川下りを描いていましたね♪