教養と趣味

私が経験してしてきたことや考えていることに対してご指導を下さい。趣味などを通して有意義な生き方についてご伝授ください。

ナベズルの渡来地(八代盆地)・烏帽子ケ岳

2009年03月02日 14時55分13秒 | 下松からの写真
下松から、写真がとどきました。
八代(やしろ)と読みます。
九州の熊本県八代市(やつしろ)とは、違います。
ナベズルの八代は下松では有名ですが、実は私は一度も行ったことはありません。


ナベズル監視所


一組のナベズルのつがい


一組のナベズルのつがい (1)


烏帽子ケ岳登路脇にある「魚切の滝」


花粉が舞い上がる杉林(滝の口公園にて):空の青さも花粉で霞んでいた


水が満タンの温見ダム


鶴いこいの里交流センター


日本の里100選に選ばれた米川東部地区(下松市)の一角にある滝の口公園(米泉湖上流の末武川沿い)


米泉湖(末武川ダム)の水抜きで湖面が下がり姿を現わした「白雲の滝」


補修工事で水抜きされ湖面低下の米泉湖(末武川ダム)


本州唯一のナベズルの飛来地・八代盆地(烏帽子ケ岳登山口からの眺め)

ご主人のコメント
ここのところ雨勝ちの天気が続いたが、昨日の日曜日は抜けるよな青空の素晴らしい天気でした。
久し振りの良い天気だったので、家内と二人で本州唯一のナベズルの渡来地・八代盆地に行きナベズルを見た後、盆地の東側に位置する烏帽子ケ岳(696.6m)に登って来ました。

河口付近で下松市と周南市との境を為す末武川沿いの道路を北上して、米泉湖(末武川ダム)~温見ダムを経て周南市八代に行きました。
途中で、米泉湖のすぐ上流にある滝の口公園を散策していると、山間一帯の杉林から風に煽られて花粉が舞い上がり、まるで山火事で煙りが出ているようでした。
この花粉で視界がぼやけて、霞みが掛かった様な光景でした。
滝の口公園は、「にほんの里100選」に選ばれた「下松市米川東部地区」の一角にあり、渓流沿いにある公園です。

八代盆地では5羽のナベズルが田圃で餌を啄んでいました。
2羽と3羽に別れての2組が、離れた位置にいて別家族ですよと意思表示しているようでした。
しばらく眺めていると、3羽が餌を啄みながら2羽の方に段々と近づいて行くと、2羽の内の1羽が3羽の方に寄って行き、激しく挑み掛かって蹴散らしていました。
3羽は、抵抗を試みていたようでしたが、やはり先陣の2羽の縄張りに負けたのか離れて行きました。

鶴監視員の方が鶴についていろいろと説明して下さいました。
渡来数は年々減っており、八代での越冬数は一昨年が九羽、昨年が7羽で今年は5羽。
5羽の内、一羽は鹿児島県出水から移送された保護鶴(傷病の鶴)を放たれたもの。
鶴は縄張り意識が強く、昨年2羽の渡来の後、間を置いて5羽がやって来たが間が開き過ぎた為、先陣の縄張りの範囲が田圃全面となっていて後陣の5羽は追い出され飛び立って行ってしまった。
珍しく今年2月の初めになって、新たに2羽のつがいが飛来して住みつき、この2羽に放鳥鶴が離れずに付き従っている。

参考までに
1.にほんの里100選(朝日新聞 09ー1-20)朝日新聞社と森林文化協会による事業。
08年1月~3月に候補地を公募し、4474件の応募があった。
その際の推薦の言葉や研究者、NGO、自治体関係者らの意見を参考に約400地点に絞り込み、「景観」「生物多様性」「人の営み」を基準に現地調査を実施。
約150地点のデータを選考委員会で論議し決めた。
選定委員は委員長の山田洋次さん(映画監督)、あん・まくどなるどさん(国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット所長)ら5人が務めた。

2.ナベズルについて(監視所の資料)
(1).ナベズル
我が国のナベツルの渡来地は、八代と鹿児島県出水市との2カ所で、共に東シベリア方面から渡来する。
八代に来る鶴はナベズルで、全身灰黒色、首から上が白く、頭上に赤い皮膚が露出している。
身長90~100cm、翼長45~50cm、くちばし10cm、体重3.5~4kg
(2).縄張り
幼鳥を連れた家族鶴は一定の縄張りを持っている。
この縄張りの中へ他の鶴が近づくと激しく泣いて威嚇する。縄張りのない鶴は群れをつくり、移動しながら餌を啄んでいる。北帰行になると、給餌田へ集まる様になり、殆ど縄張りが無くなってしまう。
(3).ねぐら
夜は山峡の棚田の中の水溜まりで眠る。ねぐらは八代盆地周辺に数ケ所あり、その夜の気象条件や安全の度合いによって寝る場所を変えている。夕方日が落ちる頃、ねぐらに入り、夜明けと共にねぐらを飛び立ち、餌場に出て来る。
(4).餌
田圃の中の落葉や草の実、水草の茎、土の中のケラやみみず、枯れ草の中の小さな昆虫類、小溝の中のタニシや魚など、何でも食べている。市では籾(もみ)、麦、米、ドジョウなどを補給している。
(5).旅立ち
山裾の雪が消え、田圃の中も少しづつ緑に変わってくる3月中~下旬の良く晴れた日の朝、一斉に飛び立ち、西空高く舞い上がり、雲の彼方へ消え去ってしまう。但し、天候が悪くなると途中から引き返して来ることがある。
(6).八代への渡来について
江戸時代には、全国各地に鶴が渡来し捕獲されていた。
明治初年頃に、鶴を愛する人達が自発的な申し合わせで鶴の捕獲を禁止。
さらに、山口県に対して鶴の捕獲を禁止するように強く働きかけた。
そして明治20年(1887年)に県令により八代村での鶴の捕獲が禁止され、難を免れた鶴が安住の地を求めて八代盆地に集まってくようになったと思われる。
八代の最高渡来数は昭和15年(1940年)の355羽である。

撮った写真を添付します。

六然(りくぜん)

2009年03月02日 08時31分07秒 | 日記
昨日はどんよりと曇った一日でした。
都心では、一時雨が降りました。
本日はからりと晴れて、素晴らしい天気を迎えました。


本日は、「六然(りくぜん)」という言葉について、考えてみたいと思います。

「六然(りくぜん)」、これは私が定年退職をするとき、ある社長さんから頂いた座右の銘です。(写真は、社長さんの直筆)




私が退職後、有意義な生涯を送るように、戒めの言葉として贈られたものです。

その六然とは、

自処超然(じしょちょうぜん)
自分自身に関してはいっこう物にとらわれないようにする。

人処藹然(じんしょあいぜん)
人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。

有事斬然(ゆうじざんぜん)
事があるときはぐずぐすしないで活発にやる。

無事澄然(ぶじちょうぜん)
事なきときは水のように澄んだ気でおる。

得意澹然(とくいたんぜん)
得意なときは、おごりたかぶらず平常心であること

失意泰然(しついたいぜん)
絶望の底にあっても、動ぜず、落ち着いていること

王陽明の心を動かしたメッセージが、六然だそうです。


王陽明は、1472~1528中国の明代の儒学の大思想家で、陽明学を誕生させた偉人である。浙江の紹興府余姚県の人。字は伯安,号は陽明,諡は文成。青年時代は硬直化した朱子学にあき足らず,任侠・騎射・詩文・仏教・道教などに熱中した。1499年(弘治12)に進士となるが,1506年(正徳1)に当時の有力宦官劉瑾に反抗して貴州の竜場に流され,そこで“心即理”“知行合一”を旨とする哲学的真理に達した。4年後,劉瑾の失脚により赦されて中央に復帰するが,すでに中国各地には極端な荒政により重大な社会不安が広まっており,その思想に多くの試練の場を与えることとなった。1516年(正徳11),ナンカン巡撫として江西・広東・福建の3省交界地帯の反乱鎮圧を担当,保甲制度や郷約の刷新を行って成果をあげた。1519年(正徳14)には南昌の寧王朱宸濠の反乱を即座に鎮圧して新建伯に封ぜられた。しばらく郷果の紹興府で講学生活を送ったのち,1527年(嘉靖6)に広西の少数民族の反乱鎮圧に出征,その帰途に江西の南安府で没した。その全集に『王文成公全書』がある。
日本では、多くの明治の偉人はもとより、吉田松陰や大塩平八郎も 王陽明の教えに深い影響を受けている。