「黒森神社」 (旧山口村/現宮古市)
宮古駅(JR・三鉄)の正面に見える山が黒森山で、その名のとおり杉や樅・萱等の針葉樹に黒く覆われた山です。標高(309.9m)は決して高くはありませんが、周囲の山より突き出た三角形の山容は、昔から宮古沖を航行する船の目印となっていました。黒森神社は、その山腹に社を構えています。創建は明らかでありませんが、古来より宮古地域の信仰を集め崇められ、地元では「黒森様」の呼び名で親しまれています。私も母が旧山口村の出身でしたので幼少の頃何度か祭典に行きました。
社自体は、何度か建て替えられ新しく大きくありませんが、次のように多くの遺物や伝承さらに神楽や巨木が残されています。
<遺物>
山麓の発掘調査では、奈良時代の密教仏具が出土しています。また県指定文化財の1334(建武元)年の銘がある鉄鉢や、1370(応安3)年からの棟札多数や、南北朝初期とされるものから戦国時代の銘が入った権現様(獅子頭)が多数現存しています。学術的な裏付けもしっかりしており、黒森神社は信仰の場として千年を超える歴史があることは確かと思われます。
<伝承・伝説>
「義経北行伝説」 源義経一行が、平泉から逃げ延びていく途中に当神社にも立ち寄り、般若経を写経奉納したと伝えられています。(黒森山神譜)
「長慶天皇御陵説」 南北朝時代の長慶天皇の陵墓がこの黒森神社という説、但し同御陵と称する墳墓は全国各地に20カ所以上点在しており、真偽の程は定かでありません。
「坂上田村麻呂創建説」 これまた坂上田村麻呂の創建を称える神社は全国各地に多数あり、真偽の程定かでありません。
<巨木>
黒森山には山名の由来となった針葉樹の巨木が今でも多数あります。写真中央の樹木は確か樅ですが、なんといっても「伯父杉」「叔母杉」が有名でした。詳しくは後日ご案内します。
黒森山を行場とする修験山伏によって伝承された神楽で、前項の獅子頭の銘から室町中期の発祥とされています。修験のカスミ(旦那場)廻りの伝統を神楽巡業によって現代に受け継ぐ貴重な芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
(私の店がある宮古市末広町商店街でも、毎年正月に門打ちと公演を行っています)
※黒森山の標高をネットで検索したら、310~340mまでまちまちでしたが、国土地理院の地図には309.9mとありましたので、これを採ります。