100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL1 「明治の三陸博覧会」記念写真帳 表紙

2013-08-24 14:11:53 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)
明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える
「明治の三陸博覧会」記念写真帳 
 
 

100年前の写真集
 この写真は、今から約100年前の明治45年(1912年)に宮古市で開催された「岩手県沿海四郡聯合物産共進会」の記念写真帳の表紙です。羽衣の松と天女の図柄がいかにも明治を感じさせます。
3つの三陸博(明治・昭和・平成)
 私がこの写真帳を初めて目にしたのは、平成4年(1992)に開催された「三陸海の博覧会」の折でした。偶々明治45年に当時の宮古町で、明治の三陸大津波(明治29年/1896)からの復興を記念して開催された「岩手県沿海四郡聯合物産共進会」と、昭和24年(1949年)に同じく宮古市藤原で前年のアイオン台風からの復興を記念して開催された「三陸振興産業博覧会」を知り、私はそれぞれ「明治の三陸博」「昭和の三陸博」と名付けて或る紙面に紹介したことがありました。その記事を見た宮古市山口の旧家のN氏が、この「明治の三陸博」の写真集があると私の店に持って来て見せて戴いたのが本写真帖でした。
 以来私も長い間本写真帳を探し続け、ようやく震災前の2010年にネット古書検索(日本の古本屋)で見つけ早速購入しました。この貴重な資料を多くの人に見て頂こうとネット公開の準備をしていましたが、しかし東日本大震災があり復旧復興活動に没頭して作業を中断していました。昨今漸く一段落したので今日から明治の三陸大津波から復興した100年前の三陸の姿を、順次公開していきます。
明治の三陸4郡の貴重な写真&資料集
 写真帳には「岩手県沿海四郡」とあるとおり、当時の九戸郡(久慈町外19村)、下閉伊郡(宮古町・鍬ケ崎町・山田町外25村、上閉伊郡(遠野町・釜石町・大槌町外14村)、気仙郡(盛町・高田町外20村)の役所や学校などの建造物を始め、各地の名所や眺望、さらには各種工場や造林地・工事現場・牛馬の類まで、当時の地域の有様を78頁186枚の写真に残しています。しかし玉石混交というか、貴重なものもあれば首をかしげる様なカットもあります。また当時の印刷技術では画質は多少目をつぶるしかありませんが、それでも約100年前のおらが郷土の様子は十分に伝わります。
 また付属の資料は更に詳細を極め、例えば各郡毎の基礎データともいうべき「郡勢一班」には、戸数・人口のみならず、職業別従事者数も記載され、農林漁業商工業を始め、町村吏員何名、神職住職何名とか、産婆や蹄鉄工の人数までも記載があって大変興味深いものがあります。また各産業の生産額や数量、各学校の就学児童数、馬車・荷車・人力車・自転車の数にいたるまで、B5足らずの紙面に沢山の情報が凝縮されています。他には各港湾の取り扱い荷役の数量金額や、当時の主産業であった蚕を含む農産物や漁獲物の数量及び金額がこと細かく記載されています。しかし旧字で小さく見にくいので、今後エクセルデータに変換してこれも順次掲載の予定です。

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