100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL56  明治の三陸名勝 9 「公孫樹」 (下閉伊郡宮古町)

2014-11-01 17:51:44 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

「公孫樹」 (旧宮古町/現宮古市)

 もう少し写真とタイトルに工夫が欲しいのですが…、私の母校である宮古市立宮古第一中学校の校庭にある公孫樹=銀杏の大木です。

 写真では貧相な様子ですが、実物は樹高18.5m、根元周囲12.4m、推定樹齢300年以上を誇る巨木で、樹勢も頗る盛んで夏には青々と葉が茂り、秋には黄葉の絨毯を敷いています。実は樹根部の中心は空洞になっており、その周りに大小8本の幹が束生して取り囲んでいます。また焼け焦げた跡のある古い根株も残っています。現在生育している公孫樹は、初代木から代を重ね、先代の根株から萌芽して成長したものと考えられます。宮古市指定天然記念物となっています。

 この公孫樹は、宮古の鎮守である横山八幡宮の丘の麓にあり、宮古の名の由来に深い関わりがあります。横山八幡宮略記曰く、今から約千年前同八幡宮の禰宜が阿波の鳴門の鳴動を鎮めた功により朝廷より「宮古」の名を賜り、帰着して手にしていた杖を境内の挿したところ芽吹いて成長したとされています。それ故「逆さイチョウ」の名で広く宮古市民に親しまれております。

 但し、地に挿した杖から根が生えて大きなイチョウとなったという「逆さ銀杏伝説」は、全国各地に十を超す数があります。一番有名なのは東京の麻布山善福寺の親鸞聖人の由来の銀杏でしょうか。

 またあまりにも写真帖の銀杏が貧弱なので下に現在の映像を添えます。

 

 

「明治の三陸博覧会」記念写真帳とは?