思考の踏み込み

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蔵六10

2013-12-11 13:27:05 | 
大阪適塾における修行時代から、蘭学者としての成功を収めた時代、その地位を捨て百姓扱いする故郷に敢えて戻った時代。

そして革命戦の時代と凱旋将軍としての時代 ー どの時代にあっても彼は蔵六のままであり、ここまで一貫してブレないという事は普通人では行い難い。

よほどの胆力がなければ成し得ないことといえよう。
この "胆力" こそ、大村益次郎村田蔵六という男の真髄ではないだろうか。



一般的には蔵六という男は非常に頭がよく計数に明るく、その頭脳において全ての構想が一分の隙もなく描きうる人物という、つまり大脳型の人間というイメージが強い。

それはその肖像画の額が盛り上がった姿からも間違いではない。

本来こうした人物は、その頭の良すぎることに引きづられがちで、一方の胆力などは育ちにくいものなのだが、蔵六においては、修練を積み抜いた一流の禅坊主の様な胆力を併せ持っているのである。

このことをわからねば大村益次郎という人物の真の評価はできない。

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