前田を天才と評する人物は数えきれないが、私はその事自体にはあまり興味はない。このことは後述する。
またよく言われる事だが、前田が "怪我さえなければー " という仮定の話でもって、記録を色々引き合いに出して他者と比較する事もそれほどに意味を感じない。
記録は記録でしかない。
記録に現れないところに、計り知れない魅力があるからこそ、人はわざわざ球場まで足を運ぶのである。
どんなにOPSやRCWINとかいった詳細な評価のシステムが作られても、野球選手の全ての価値をデータ化することなどできない。
当然、私が前田に感じている魅力はそんな所にはない。
前田の魅力はその生き様にこそある。
尽きることのない "高み" を目指し、一切の妥協をしない厳しさ。
その為には余分なモノを全て切り捨てる、ストイックなどという言葉で説明していたら物足りないほどの追求心。
前田には宗教性は見当たらないから、求道という言葉も本来当たらないのだが、その推進力を既存の言葉で表すにはやはり "求道" という言葉を選ぶしかない。
その片鱗は高校時代のエピソードで既に見受けられる。
高校三年の夏、熊本県大会決勝。
0ー1で前田の熊本工業がリードしている四回表、前田の打席。
既にその実力は知れ渡っている前田に対し、相手ベンチは歩かせても良い、と指示する。
相手投手は指示に従い、ボール球を二球続けた、そのとき ー 。
「ストライクいれんかい!勝負せんかい!」
バットを持ったまま前田はマウンドに歩み寄り怒鳴った。
相手投手もまた立派な "肥後もっこす" 。
「何やとこら!?。」
審判が間に入り、「こらこらお前ら、喧嘩と違うぞ」と取りなして事なきを得たが、プレー再開後、相手投手がベンチの指示を無視して真っ向勝負で投げ込んできた球を ー 前田はライトスタンドへ叩き込んだ。
ー こんな高校生が何処にいるだろうか?
これは戦後の大時代的な雰囲気の頃の話ではない。
昭和すら終わった平成元年夏の ー 実話である。
またよく言われる事だが、前田が "怪我さえなければー " という仮定の話でもって、記録を色々引き合いに出して他者と比較する事もそれほどに意味を感じない。
記録は記録でしかない。
記録に現れないところに、計り知れない魅力があるからこそ、人はわざわざ球場まで足を運ぶのである。
どんなにOPSやRCWINとかいった詳細な評価のシステムが作られても、野球選手の全ての価値をデータ化することなどできない。
当然、私が前田に感じている魅力はそんな所にはない。
前田の魅力はその生き様にこそある。
尽きることのない "高み" を目指し、一切の妥協をしない厳しさ。
その為には余分なモノを全て切り捨てる、ストイックなどという言葉で説明していたら物足りないほどの追求心。
前田には宗教性は見当たらないから、求道という言葉も本来当たらないのだが、その推進力を既存の言葉で表すにはやはり "求道" という言葉を選ぶしかない。
その片鱗は高校時代のエピソードで既に見受けられる。
高校三年の夏、熊本県大会決勝。
0ー1で前田の熊本工業がリードしている四回表、前田の打席。
既にその実力は知れ渡っている前田に対し、相手ベンチは歩かせても良い、と指示する。
相手投手は指示に従い、ボール球を二球続けた、そのとき ー 。
「ストライクいれんかい!勝負せんかい!」
バットを持ったまま前田はマウンドに歩み寄り怒鳴った。
相手投手もまた立派な "肥後もっこす" 。
「何やとこら!?。」
審判が間に入り、「こらこらお前ら、喧嘩と違うぞ」と取りなして事なきを得たが、プレー再開後、相手投手がベンチの指示を無視して真っ向勝負で投げ込んできた球を ー 前田はライトスタンドへ叩き込んだ。
ー こんな高校生が何処にいるだろうか?
これは戦後の大時代的な雰囲気の頃の話ではない。
昭和すら終わった平成元年夏の ー 実話である。
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