"蟲" という。
ー それは "いのちそのもの" に近いモノ達だ。と原作にある。
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例えば霊や物の怪、妖怪もしくは魂や神々 ー 。
これらは質としてどう分別していけばよいのか?
人間の創造力の産物に過ぎないもの、恐怖や不安が踏み出した架空の存在、
一部の霊感の強い者が視たと語ったモノたち、不可解で説明のしようがないところから生まれた現象の抽象化されたもの (カマイタチのように今日では一定の理論的解釈が可能な現象もある。)
これらは架空のモノといって間違いないモノが多い。
だが、その範疇に含めるにはどうしても説明のつかない、現実世界で実際に影響を残しているモノ達がいる。
それは "実在" しているモノであると、考える方が自然ではないだろうか?
ここで科学を信仰する信者達なら、科学的に証明できない事象は全て人間の空想の産物、幻覚だと、言い張るだろう。
「蟲師」第三巻 "眇 (スガメ) の魚" はこの辺りの事を考えさせてくれる好きな話である。
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子ども時代のギンコがヌイという女性蟲師に問う。
「ー あれらは…幻じゃないん…だよね」
「… 我々と同じように存在してるとも
幻だとも言えない」
「ただ 影響は及ぼしてくる」
「…」「俺らとはまったく違うものなの?」
「在り方は違うが 断絶された存在ではない」
「我々の "命" の 別の形だ」
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そしてその存在に怯えるヨキ(ギンコ)にヌイは語る。
「…… 畏れや 怒りに 目を眩まされるな」
「皆 ただそれぞれが あるようにあるだけ ー 」
人は理解しきれない事柄に出くわすと反射的に恐怖を抱く。
科学は本来そこから発している。
恐怖の克服のために、世界を理解するために、生まれたものである。
ところがある時期 (19世紀頃) を境に科学はこの世の大方のことを理解したと勘違いしはじめた。
このころから科学は宗教になってゆく。
だが皮肉な事に科学を信仰するもの程、不可解なことに対峙すると、ヌイのいう畏れや恐怖に目を眩まされ、非科学という世界に追いやることで安易で偽りの安心を得ようとする。
それは科学本来の態度とは異なるものである。
現代科学ほど実は非科学的であり、宗教的だとさえいうアンチテーゼは、この意味でけして大袈裟な表現ではないだろう。
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