思考の踏み込み

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蟲師 続章5

2014-04-13 10:31:41 | 日記
こうしたことは物理学が支配的過ぎる故なのだろうと思う。

物理の世界など全宇宙のごく一部を説明するものでしかないことを認めねば、知的探求という本来の意味での科学的思考には戻れない。

「蟲師」第七巻 "棘 (オドロ) の道" で蟲師クマドが世界の本当の姿を見るという場面がある。



我々が視ている世界などはしょせん視覚というごく限られた世界での出来事でしかなく、光は広大な波長の電磁波の中の極めて狭い一部の可視光のことであるし、人間が聞ける範囲の音などもほんの一部の周波数でしかない。

そうした限られた世界に生きている我々が、その外の世界はどうなっているのだろうかと想像することは、本当の意味で世界はどうやってなりたっているのか ー を知ることに近づくことにもなるし、何よりもそれは極めて楽しい思考の遊びでもある。

例えば "音" の世界の本質を描きだそうとしている「柔らかい角」という雪景の美しい話がある。



または未来と宿命、手の届かない "決められたこと" をテーマに "視る" ということの喜びと悲しみを描いた「眼福眼禍」



夢と現実の狭間、意識と無意識の関連性の問題を考えさせられる「枕小路」など、蟲師の世界観には常に思考を刺激させられる。



また人間の眠りと記憶、そして忘れるということ。脳の持つセーフティー機構とその悲哀。「暁の蛇」は全作通しても見事な一話である。



"見る" や "聞く" とか "話す" や "眠る" とかいったごく日常的で普通の事を、一度事象の本質まで分解して再構築することで、当たり前だと思っている事柄の実相が浮かび上がってくることがある。

"思考の踏み込み" において常に行っている作業はまさにそれであるし、毎回テーマは違ってもやっていることも求めているモノも実はいつも同じことなのである。

その意味で「蟲師」はいつも新鮮な刺激をもらえるから好きだし、実際蟲師の内容から端を発して投稿したテーマもある。







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