もし造物主がいたら ー そう想像してみるといろいろ面白い。
明らかに丹精込めてデザインされた生物とどう見ても手抜きじゃないか、と疑いたくなる様な生物もいるからだ。
その意味でいくとスズメバチはだいぶ凝っている方であろう。
だがこのエネルギッシュで迫力に溢れた存在にも天敵がいる。
造物主は時に手抜きもするが、やはり公平な存在なのであろう。
オニヤンマ。
(なんと鮮やかな "緑" であることか。)
天敵というほどには互いに争い合う機会は少ないが、それはどちらも相手の危険度を知っている証。
スズメバチの様な好戦的な戦士でもこの "緑の鬼" ばかりは時に捕食されてしまう事があるという。
この両者の戦いはスズメバチの毒針が刺さるかどうかにかかっていて、肉弾戦ならオニヤンマの方が強そうだ。
(スズメバチの最大の天敵はハチクマというスズメバチを主食とする恐るべき猛禽類で、ハチクマが現れると彼らは逃げ惑うしかないという。その羽は毒針さえ撥ねつけ、彼らにはなす術もない。だが種がまったく違うのでここでは外して考えることにする。)
ところで "緑" というのは赤橙黄緑青藍紫 (セキトウオウリョクセイランシ) の七つの可視光の波長の中央に位置し、心理面でも最も安定を与える色である。
おそらく地上で一番初めに広がっていった色はこの "緑" であったであろう。
あたかも他の色もこの緑から派生していったかのようにも思える。
(陰陽五行説では中央は "黄" とされている。)
緑は中央には居るが、黄よりも青に寄りぎみではないだろうか?
少なくとも日本語世界では碧、蒼、翠など青と緑の境目は余り無い。
(これは湿度と色彩の影響であると思うがー。
強烈なスズメバチの "黄" と対立する存在に、色相環で境目を成す鮮明な "緑" を配色するとは造物主という芸術家も心憎い。
だがよく見ればこのオニヤンマも黄と黒の警告色であるが、それよりも複眼という一万個もの眼群の緑が際立っていて黄のイメージはない。
明らかに丹精込めてデザインされた生物とどう見ても手抜きじゃないか、と疑いたくなる様な生物もいるからだ。
その意味でいくとスズメバチはだいぶ凝っている方であろう。
だがこのエネルギッシュで迫力に溢れた存在にも天敵がいる。
造物主は時に手抜きもするが、やはり公平な存在なのであろう。
オニヤンマ。
(なんと鮮やかな "緑" であることか。)
天敵というほどには互いに争い合う機会は少ないが、それはどちらも相手の危険度を知っている証。
スズメバチの様な好戦的な戦士でもこの "緑の鬼" ばかりは時に捕食されてしまう事があるという。
この両者の戦いはスズメバチの毒針が刺さるかどうかにかかっていて、肉弾戦ならオニヤンマの方が強そうだ。
(スズメバチの最大の天敵はハチクマというスズメバチを主食とする恐るべき猛禽類で、ハチクマが現れると彼らは逃げ惑うしかないという。その羽は毒針さえ撥ねつけ、彼らにはなす術もない。だが種がまったく違うのでここでは外して考えることにする。)
ところで "緑" というのは赤橙黄緑青藍紫 (セキトウオウリョクセイランシ) の七つの可視光の波長の中央に位置し、心理面でも最も安定を与える色である。
おそらく地上で一番初めに広がっていった色はこの "緑" であったであろう。
あたかも他の色もこの緑から派生していったかのようにも思える。
(陰陽五行説では中央は "黄" とされている。)
緑は中央には居るが、黄よりも青に寄りぎみではないだろうか?
少なくとも日本語世界では碧、蒼、翠など青と緑の境目は余り無い。
(これは湿度と色彩の影響であると思うがー。
強烈なスズメバチの "黄" と対立する存在に、色相環で境目を成す鮮明な "緑" を配色するとは造物主という芸術家も心憎い。
だがよく見ればこのオニヤンマも黄と黒の警告色であるが、それよりも複眼という一万個もの眼群の緑が際立っていて黄のイメージはない。
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