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思考の踏み込み

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それ以前2

2013-12-03 11:44:39 | 
ー 我々が自らの意思とは別に、明確に感じているもう一つの "意思" がある。

「本能」と呼ばれてきたものがそれに近い。 ーその大本を辿っていくと、遺伝子の性質にたどり着くのではないだろうか?

つまりより優れたものを、より強いものを、という直線的な膨張の仕組みである。
その仕組み自体は環境が変わってもなおそれに対応する可能性を常に有しているという点で、これ以上ない仕組みといえよう。

だが、その仕組みを作ったのがもし
"神" だとしたら、その仕事は完全だろうか?
産めよ増えよといっておいて、増えるだけ増えたら自ら海へ身投げするネズミのように、繁栄の先に "神" が人間に与えるのは数の上での淘汰だけなのだろうか?



しかし、あるいは神の仕事はやはり完全なのかもしれない。
あえてやり残しをつくることでそれを補完させる使命を我々にあたえているのかもしれない。

我々が生きていることも、人類が誕生した意味もそんなことは考える必要はないと思っていた。

意味や意義がなければ生きられないことは結局は人間の利己でしかないからだ。生きることはもっと自由なはずだ。

しかし、この広い宇宙でなぜ自我と知性を持った人類が生まれる必要があったのか、いや、人類だけがなぜそれを持っているのか。

もしかするとやはり我々にはなんらかの使命が託されているのだろうか?



それとも自我も知性も、象の鼻や、亀の甲羅の如く、単に生命の内容のある一方向への発露に過ぎないのか?


それ以前

2013-12-03 11:01:55 | 
DNAの中には自ら死ぬためのプログラムが組み込まれているのだという。



実はこの "死ぬことができる" という仕組みができたのは10億年ほど前だそうだ。
しかし生物史をみるとそのはるか以前に地上に生物は存在している。
では "死" の無い時代というものがあったのだろうか?

例えば大腸菌は環境さえ良ければ、永遠に増え続ける。 ー つまり死ねない
ー だが環境が悪化すればすぐに死んでしまう。

したがって "死" はやはり "生" の誕生と同時に対局のものとして存在していたことは間違いがない。

だが刮目すべきは、その "死" を "生"のために活用したという生命の進化である 。

つまり "死ねる" という仕組みを獲得することで優良な遺伝子を残し、そうでないものは淘汰する事ができる。
そのことで、進化は飛躍した。


(進化論における強者生存、自然淘汰説は悪用が可能であり、実際にそうした洗脳工作はされてきた、が、ここでの主題とは異なるので進化論自体の問題点にはふれない)

また"死" と時を同じくして生まれたものに"性" がある。
すなわち交配という「手間」をかけることで、より優生な遺伝子を残すことが目的である。

生物史はこの二つのピースが加わった後、爆発的に繁栄する。カンブリア紀といわれるものである。



時空9

2013-12-01 21:13:24 | 
ー だから時間の本質など考えることは無駄だ。

といってしまうと、神が作るまで時間などなかった、といったギリシアの哲学者と同じ逃げになる。

しかし彼の言葉は案外、真実かもしれない。
時間軸の幾つかの種類に迫り、そのバランスで人間が感じている "時間" が成立していることに触れてきたが、もともと宇宙にあった時間軸は一種類だけである。

それは空間の拡がりが生み出したものであり、時間とは空間の影 ー あるいは空間の軌跡 ー のようなものであるといっていいかもしれない。



とすると、彼のいうように神が世界 (空間、つまり物質) をつくるまで時間などなかった、というのはやはり真理に近い。

問題はその空間を物質的なものだと限定すると、またビッグバンに戻るだけなのだが、ビッグバン説自体にはそもそもあまり興味はない。

それが正しいとしてもそれは一つの宇宙の始まりでしかないからだ。

簡単にいって人体を一つの宇宙だと考えれば、その始まりの受精卵が何億倍にも拡がっていって人体となることはビッグバンと性質において同じだが、その人体を包む宇宙はさらにその外に拡がっている。

我々が見ている宇宙もビッグバン説が研究している宇宙も一つのものでしかない。

その外側には別の宇宙が拡がっていて別の時間軸が流れているのではないか?
逆に我々の体内の微少な細菌達の中にも宇宙があり、その宇宙内にもさらに微少な宇宙があるかもしれない。

極大と極小、宇宙の本質に迫るとここに最後はたどり着く。
だがこれは物理学者たちが最も嫌うものでもある。
無限が数式に表れると計算が出来ないからだ。物理学はここで限界にぶつかっている。


あるいはその限界を超え、無限の二つの極を繋ぐのが「螺旋構造」とか、「ブラックホール」とかであるかもしれない。



ブラックホールに入っていって "事象の地平線" というところまでいくと時間軸も歪むという。

膨張し、極大化した宇宙は無限の重量を持つ天体によって極小まで縮められ時間さえゼロに戻され、極小まで圧縮されると、再び拡がりだすのではないか。

ここから先に踏み込むことは本来人智の及ばないことかもしれない。今回の時空というテーマもこのあたりで一度やめておく方がよさそうだ。
宇宙の始まりについてはまた角度を変えて考えてみたい。

時空8

2013-12-01 20:53:03 | 
日常の時間軸の崩壊は持続しはしな
いー

人間の感覚は刺激に対して慣れるようにできているからだ。
それは生存のため必要なシステムだが、一方でそれはしかし思い込みと慣れであり、鈍さでもある。




つまり "日常" というものはそういうものである。
"日常" は我々を守ってくれていると同時に我々を縛りつけているものでもあるのだ。


本来の世界は一刻一刻変化し、新鮮で驚きに満ち、あまりに美しいものである。それは思考など追いつかない世界であるはずだろう。芸術の出発点はここにある。

芭蕉はいう ー
"乾坤の変は風雅のたね也…
時として留めざればとどまらず
止むるといふは見とめ聞きとむる也
…物のみへたる光、いまだ心にきへ
ざる中にいひとむべし ー "

"日常の時間軸" ー これを精神の安定と言い換えてもいいかもしれないが、それを崩すことなく、その代償である心の鎖を解きほぐすことができれば、瞬間は永遠となり、世界は楽土に変わることだろう。


これは人間の、というより命の本能なのではないか。
「永遠」とは永久的に長い時間の水平軸のことではない。

心理的空間が満たされきった垂直的な時間軸のことである。



本来、無機質の支配する世界であるはずの宇宙に何故に有機的な生命が存在するのか、その目的はこの垂直的な時間軸にこそ、見出せるのではないだろうか ー 。



時空7

2013-11-30 08:45:42 | 
"時間" というものを、考える上で個体ごとの空間と、その外側の宇宙そのものという空間と、もう一つ重要なのは心理的な空間である。



あるいはこれは時間という概念が生じた後の二次的な産物といえるかもしれない。

心理的空間の大きさと外的空間上の時間感覚の差によって時間軸というものは成立、変化しているのではないか、ということである。

例えばわかりやすい話で、余命が一日と言われた者のその一日は、日常の一日とは全く別な時間軸となるであろう。
つまり、心理的空間の大小とは、空間の終わりがいつ頃訪れるのか、というひとつの "思い込み" である。

この "空想" は誰もが無意識レベルで必ずしていることである。
人の死期はある程度、その無意識レベルにおける空想によって決まっているという説は、こうして心理的空間として形にして捉えると少し理解することができるかもしれない。

時空4で挙げたいくつかの異質な時間軸の例 ー日常の時間軸の崩壊 ー は、こうした心理的空間の変化と肉体的空間の状態が、外的空間における日常の時間軸との差異を生むことによって起きる、と説明できると思う。



肉体的なものが先か、心理的なものが先なのかはケースごとに違うであろうし、擬似的な現象もあるだろう。

しかし、身体的に高度な鍛錬によって神経系の伝達を開発し、一般的な時間軸とは違う世界に到達した者を除けば、やはり日常の時間軸が崩壊するということは一時的な現象でない限り、精神的ににとても耐えうるものではないし、心配しなくとも人間の精神構造上でも時間軸の崩壊は持続はしない。