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思考の踏み込み

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それ以前7

2013-12-04 09:25:23 | 
再び「ファウスト」よりー

"光は今や闇を相手に地位と空間を争っていますが、どんなにもがいたって光は物質を離れません。
だから遠からずして光は物体と共に滅びてしまうでしょう ー "



いうまでもなくここでゲーテのいう "光"とは、存在以前の存在たちが生み出した秩序の象徴といえるだろう。

闇の中で蠢いていた彼らにとって"光"
はどうしても必要なものであったはずである。

一方、人体において秩序の象徴的部位はまぎれもなく「肚」である。

脳科学のもてはやさている今日び、脳が中心だと思っている者は多いが、ここでその説明をするのも煩雑なのでしない。
だが少し頭の良いものなら誰でも考えればわかることである。

我が敬愛するD先生は、しかし「肚」とは中国的な意味における "パワー" では必ずしもなく、むしろその本質は "涙"
ではないかー という。

これはどういうことか?

つまり、光であれ、肚であれ、ある有機体を形作る上で必要となる統合的な機構は、その発生をたどっていくと闇の中から抜け出そうとしたモノたちの悲しみそのものにたどり着く、ということの謂ではないだろうかー。



「発生の本質は現象を貫く」という。
だとすれば、肚は即ち"涙" であることもわかるし、光は "願い" であるといえるのではないだろうか。


それ以前6

2013-12-04 09:03:33 | 
宇宙の始めに、ただ存在だけしていたモノたち (ホピ族のいう精霊たちか)
それらのモノたちが、永い、永い、永い間 ー 果てしなく暗い世界で、何を想い、何を願ったであろうか?

もちろんそんな世界にあって、想うも何も自我すらないのだから、我々の考えるような質の思考などは存在しない。
しかし、それでもエネルギーだけは存在し、その方向性がある以上、それは我々が抱く "願い" とエネルギーの構造上、変わりはない。



"彼ら" (ただ存在していた力) の願いはやがて方向性を強め、秩序を生み、物質的世界を形成していく。

やがては生命さえ育むことを可能にし、その果てに我々が生まれ、自我を獲得した。

こうして考えると、見えることの喜び、世界の美しさ、感じとれることの心地よさ、味わえる楽しさ、触れられることの心地よさ、愛することのできる幸せ、、、

かつて彼らが暗闇の底の底で願い、欲したことが現世には全て ー ある!

苦しみでさえ ー 喜びが苦しみ無しでは成立しない以上、苦しめるということさえ彼らの場所からみれば素晴らしいことといえよう。

こうした現世というものを我々はよく考え直すべきだろう。



だからといって人生を目一杯楽しまなければならない、などと短絡的に快楽主義に走ることは愚かであることはいうまでもない。

そもそも "彼ら" といい "我々" というが、我々の中に彼らがいるようなものだ。

"彼ら" ー 生命以前のモノたち、あるいは存在以前の存在 ー その 彼らの欲した願いの角度に宇宙が生まれ、進んでいるとすれば、我々もその方向へと歩むべきではないだろうか?

それ以前5

2013-12-04 08:17:45 | 
我々はいかにして自分が自分であることを自覚するのかー
自己と他者をいかにして分かつというのか。



例えば目が見えず、耳も聞こえず、ということは人間には起こりうることだ。
あるいは神経の麻痺による知覚機能の欠如、いわゆる五体の欠損や五感の不具… 。
しかし、それでも我々が人間であることに変わりはない。つまり、"自我"を有する存在であるということである。

それは植物人間だろうが、認知症だろうがそのことに変わりはなく、揺るぎない一個の尊重されるべき人格である。

だが果たして ー
その命以前の世界とは、どうゆうものなのだろうか ー ?

霊的世界や精神的な解脱をした世界、宗教家が神界と呼んだりするある種の無意識の世界、これらでさえ、ここでいう "それ以前" ではない。
全てそれ以後に生まれた世界である。

だが、想像してみようー

地上に生命が誕生する以前、いや地上 (宇宙というべきか) すらまだ生成する以前の世界にあって、そこに在るモノは何の方向性も秩序も持たない、ある種のエネルギー (力) だけであっただろう。




想像してみようー
そこがどんなに暗く、悲しく寂しい世界かを。


あらゆる五感とその感覚の記憶すらなくなってしまえば、自己と他者を分かつ術はなく、この世界に近い状態になるかもしれない。
そうなればもはや自我などは成立しない。



それ以前4

2013-12-03 18:41:21 | 
自らの世界が有限であると気づいてしまった人類は、いずれこのことと正面から向き合わねばならない。



その世界が崩れてしまえば、どれほど遺伝子のシステムがすぐれていようとも、それ自体が物質的である以上、役には立たない。

ー 死の本質とは何か?
突き詰めればそれは生物単体の「死」といった狭義なものではない。

即ちそれは 「消滅」である。
物質、非物質に関わらず消滅してしまえば全てが終わりなのである。

我々を生み出し、なにごとかを課した
"存在"は我々と同じようにその "消滅"
を恐れているのかもしれない。


それにしてもその "存在" とはいったいどういう者たちなのだろうか?

ゲーテ「ファウスト」においてメフィストフェレスは叫ぶ。



" ー われら被造物を無へと引きさら う 永遠の創造!
そんなもの、一体何になる?
はじめから何も無かったのと同じで
ではないか! "

それ以前3

2013-12-03 18:23:16 | 
神 ー 自然という方が近いだろうか ー
のやり残した仕事を、つまり無軌道に直進するだけのものに方向を与え、循環させ、直線を円として完成させることができれば、人間の存在理由はあった、といえるかもしれない。



これはまちがっても西洋的な自然の征服ではない。
アジアで古くから存在した思想である。
現代科学の技術がこの思想にうまく力を貸せられれば、そのための大きな一歩になるのではないだろうか?

こうして考えてくると、さらに奥にある明快な一つの意思を感じざるを得ない。

即ち、人類の存在に意義を課した者の存在である。
それは "神" という、多分に人間に近い存在よりも、もっと何か、宇宙的な意思をもつ者ではないだろうか。

彼らは物質的な世界においてなにごとかを創り上げようとしているように思われてならない。

ネイティブアメリカンのホピ族の伝承によると、宇宙は全て精霊たちの意思によって計画され、動いているー という。



もしそうだとすれば、非物質的な存在の彼らは、この物質的な有限の世界で何を為そうというのだろうか?