読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

「論座」5月号

2008-04-07 10:49:15 | Weblog
 なんだかおもしろそうな気がして「論座」を買いに行ったのだけどなかなか見つからなかった。まさか売り切れているはずはないから入荷していないのかときょろきょろしていたところ眼の前にちゃんとあった。棚に3冊も並べてあったのに見えなかったのだ。なぜ見えなかったのかといえば、このポップなカラーが原因だ。これ論壇誌の色じゃないんじゃないの?じゃあ、何の色かといえば、リサとガスパールのエコバッグの色だ。私が欲しいのはベージュの方。これから月替わりでポップな色のグラデーションにしていくのか?ちょっとなあと思いながらバックナンバーを見ていたら「なんじゃこりゃー!」というダサい表紙ばっかりで笑ってしまった。ピンクはまあいいですよ。このレトロな版画はなに?「それがどーした!!」文芸春秋そっくりこの表紙の説明間違ってるね「世界の地下鉄」(女性のおしりだ)。2007年6月号は私がちょうどフラミンゴのガーデンオブジェを買った直後に出たからびっくりした。きっとこの頃フラミンゴが流行っていたんだろう。

 それはともかく巻頭の特集は「ゼロ年代の言論」ということで、ミニコミ的な雑誌が論壇のあたらしい表現媒体として次々と出てきているという現状をいろんな人が書いているけど、まあそれは私には関係ないし全然わからないんでどうぞ若い人はがんばってやってください。私は「論座を一生懸命読んでるようなバカ中年」(宇野常寛「PLANETS」編集長)ですし。
 その宇野常寛氏は、既存の論壇誌は右も左も「免罪符商法」という。
「大半の読者は知的好奇心を満たすためではなく、自分を慰撫するために批評を消費しています。」
「まさにゼロかイチか、俺たちを肯定してくれるのかくれないのか、くれないなら敵だ、という非常に短絡的な読み方が支配的になっています。」
「論壇の世界ですら、それぞれが自分の所属する文化圏に閉じこもり、他の文化圏には干渉しない、そのほうがノイズも少ないし幸せだからという『島宇宙化』が進んでいるじゃないですか。『WiLL』や『正論』の読者と、『論座』の読者とは、争いにすらならないぐらい離れている。」

 その離れているという件に関して東浩紀氏も座談会の中で言っていた。「ハブ&ショート 閉塞を打ち破り、地図を描きかえるのだ!」
 ちょっと別の視点で話をつなげます。論壇の役割について本質的に考えると、たとえば、南京大虐殺があったかどうかなんてもう議論してもしょうがないと思っているんです。あえて誤解されそうな例を出しますが。
 というのも、今の現状を考えると、そこでの現実的な解は、南京虐殺があると思っている人とないと思っている人がいて、それぞれが勝手に生きている。それを前提としたうえで、では日本という国家の外交問題をどう組み立てるか、という話でしかないと思う。あっちが正しいこっちが正しい、と論争をやっても解答は出ない。
佐々木 出ないというか、解答はいくつもあり得るということでしょう。
 真実はひとつです。ちなみに、僕自身はあったと考えています。ただ、その真実には論争では到達できない。南京を掘って何十万人もの人骨が出てくればはっきりするけど、それぐらいの現実がないと論争は収束しない。なぜそうなるかというと、ひとことで言うと、いまはネットがあるからです。「南京、日本、正義」と検索すれば大量に「日本が正しかった」というサイトが出てきて、逆に「南京、日本、悪かった」と入れれば逆のサイトが出てくる。そのそれぞれが、大量の情報を独自の視点で解釈して整合的な言説を組み上げている。こういう状況ではもはや、解釈の多様性があるものについては、それを無理に収束させないまま放置して、共通のコンセンサスを作るためには物理的な現実に依拠するしかない。
 さきほどの労働問題にしても、月に何百時間も働いているのに給料は数万円だとか、ホームレスがバタバタ死んでいるとか、とりあえずは、だれもが直観的にわかるであろう単純な現実に依拠するしかない。年収とは無関係に資本体制下の労働には独特のキツさがあり、それこそが現代社会の問題なのだとかいう複雑で繊細な問題設定で始めてしまうと、いまや人によって感性や解釈がバラバラで――たとえばなにが「自業自得」でなにが「同情すべきこと」なのかの基準がバラバラで――、しかもその差異がすぐネットによって拡大されてしまうから、重要なコンセンサスが採れなくなってしまう。だから、戦術的にやめましょうということです。

 東氏は「思想地図」という思想誌をNHK出版から出す予定だという。意識しているのは「論座」だそうだ。
 最近の「論座」は、新しい論客をかなり掬っています。逆に言うと、思想誌が機能不全を起こしているんです。ただ「論座」は月刊の論壇誌であって、抽象的な議論をするには不向きです。例えば哲学者の萱野さんがガチに国家論を書いたりはできない。だから、若い論客が抽象的なことを書ける雑誌を、もうひとつ作らないといけないだろうと考えました。
 もっと具体的に言うと、「論座」の赤木智弘さん(「『丸山眞男』をひっぱたきたい」)というか、赤木さんをめぐって昨年起きた現象も意識しています。僕は、赤木さんの出現は重要だと思いますが、それ以上のものは感じない。この10年か15年、日本の言論界は現場が大切だと言い続けてきて、その結果ある種の視野狭窄が生じているのではないか。赤木さんが急に論壇のヒーローになってしまった背景には、当事者性を持った言葉に対してみんなが無防備になっていて、私的な怨嗟や要求と、共同で解決するべき社会問題を混同してしまっているということがあるように思います。
今、本当に必要なのは、赤木氏の実感を公的な言説へと変換する、新しい解釈枠だと思います。「思想地図」は空理空論をあそぶ雑誌ではなくて、肝心の現実を捉えるためにこそ、実はあるていど抽象的な視点が必要なのではないか、という問題意識から始まっています。

ほーほー、それならよくわかる。赤木さん個人を非難したり共感したりしたって仕方がないんで、こういう問題があってそれを解決するためには経済や社会や福祉のしくみのどこをどう変えていけばいのかということをひとつひとつピックアップして議論していかなきゃいけないわけで、「戦争?とんでもねー」という感情的な対応をしてはいけなかったのだ。


 このあたりの対談は私に関係ねーところだったが、他におもしろい記事がいくつかあった。長らく中断していた「中吊り倶楽部 宮崎哲弥&川端幹人の週刊時評」が復活していた。
川端さんは「日本もこれからは北欧型の社会だ!」と言うんだけど宮崎さんは懐疑的だ。
川端 でも真面目な話、ウォールマート経済がクラッシュして、米国型の競争社会が限界にきてるんだから、日本もこれからは米国追従をやめて北欧型の社会を目指してもいいんじゃないの。『週刊東洋経済』(1月12日号)も特集してたけど、北欧諸国は高福祉と平等を確保しながら、一人あたりのGDPがすごく高い。この10年で2倍前後上昇し、5カ国とも世界トップ20に入っている。要するに格差なき経済成長を現実にしているわけですよ。
宮崎 なんだ、何を言い出すかと思ったら、社民主義者の好きな北欧メルヘン話か。
川端 あれ、以外に反応悪いね。北欧諸国はインフレターゲットも採用してるし、宮崎さんの掲げる金融ケインズ主義福祉社会に近いんじゃないの。
宮崎 うん、かなり共通している部分はある。できればそうしたい。でも、日本であんな高負担・高福祉社会をつくるのは無理。だって人口が違うし、公共に対する考え方が全然違う。北欧諸国は、国民が公共に貢献するという考え方が徹底されている、だから、ほとんどの国に徴兵制がある。これって川端さんの大嫌いな国家のために個人を犠牲にする社会だよ、いいの?
川端 高福祉社会をつくるからって、別に徴兵制までマネしなくてもいいじゃん。
宮崎 問題は徴兵制だけじゃないの。消費税率25%といった高負担は、公共のために国民全員で負担するという合意があってはじめて可能になる。日本にそんなもんある?消費税をたかだか3%か5%上げようとしただけで、大騒ぎになる国なんだよ。
川端 それはいくら負担してもきちんとした福祉が見込めないからでしょ。しかも、行政の透明度が高い北欧に比べ、日本は不正や税金の無駄遣いが横行している。
宮崎 そう、もう一つの問題はまさにその透明性なんだよ。国民に高負担を納得させるためには、絶対に行政が透明性を確保しなきゃいけないんだけど、それを実行的にするには、日本の人口規模は大きすぎる。しかも、大阪府を見ているとよくわかるけど、この国の行政には澱のような、有象無象のシガラミがまとわりついているからね。だから、道路特定財源一つも状況に合わせて制度改革できず、変えるとなると人死にが出るほどの大騒動になるわけでしょう。本当に北欧的な政策をやるんだったら、シガラミを一瞬にしてリセットしてしまうような機動性が必要なんですよ。もう一度、敗戦を経験しないと無理では・・・・。

 
 先日NHKの「クローズアップ現代」を見ていてびっくりしたのは、最近の企業はグローバル競争に勝つために、製品開発に必要な人材を世界中から調達していて、私らが移民の受け入れ是か非かとか日本国内の雇用がどうこうとか言っている間にそんな議論はほっぽってはるか先を疾走していたじゃないかってことだった。(クローズアップ現代 4月1日、2日グローバル競争時代 揺れる“技術立国”【1】【2】)もはや日本国内で優秀な人材を確保することが困難と見て、中国やベトナムやインドなどから技術者をスカウトする。しかも外国の技術系大学に研究資金や資材を提供したり、産学協同の研究開発をすることによって有望な技術者を自社に囲い込もうと躍起になっているという。「この製品を作れる人材はどこにいるのか、世界中から探して調達する」、また「現地生産する製品をその国に合ったものにするために現地で設計者を採用する」という状態。
 こんな状態がどんどん進行していくと産業の空洞化どころか雇用の空洞化が進んで何の能力もないものはどんどん給料がディスカウントされていくだろうよ。「私らこれからどうなるの?」と、とても不安になった。左翼も右翼ももう、みみっちいイデオロギー対立している場合じゃないんじゃないか?グローバル化は止めようにも止まらないだろうし、日本全体がじり貧になっていく中で目を覆うような貧困を防ぐためにはどうしたらいいのか考えなきゃいけないと思う。あー、中国はけしからんとか戦争しろとかはなしね。 


 「論座」には他におもしろい記事がいくつかあったし、「靖国」の監督、李纓氏と崔洋一氏の対談もあったが疲れたからおわり。
(これって感想じゃないか)

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