読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

藤原和博氏の講演を聴いた

2008-11-02 23:37:42 | Weblog
 福山市ロータリークラブ主催の講演会「これからの公立学校と地域のあり方」藤原和博氏のお話を聞いた。ナマ藤原を見れてうれしかった。
 私は講演会の時には前の方の席に座ることにしている。こういう時にいつも思うんだけど、何でみんな前の方から座らないの?映画じゃないんだから。私の二つ前が講師席で、そこに藤原さんが入場して着席された。ほんとに背後から見ても「どこかで見たことがあるような懐かしい感じがする」方であった。

 和田中の実践について紹介したTV番組の録画を、藤原さんのフォローを聞きながら見て、やはりすばらしいなあと思った。講演自体も「よのなか科」の授業の実践みたいで、驚きと笑いの絶えない楽しいものだった。こんな感じ。


 【講演の内容】
 現在は社会が多様化、情報化し、もはや親や教師が情報の独占ができなくなった。親や教師がテレビのキャスターやお笑い芸人に太刀打ちできるわけはない。どんなに個人的に努力したって親や教師の教育力は相対的に下がっていく。

また、昔なら「できる子」「ふつうの子」「できない子」という三段階くらいの分類で事足りていたものが今は、「できない子」の中にも「小学校段階でついていけなくなって算数ができない子」「計算はできるけど読解力がついてなくて文章題ができない子」「軽度発達障害の子」「家庭的に問題があって落ち着いて勉強できない子」・・・などいろいろいる。「できる子」だってそれぞれ一様ではないのだから、先生がそれにみんな対応できるわけはない。

 和田中の場合3人に1人は家庭的に問題を抱える子であった。そこで、土、日に家にいると悪くなってしまうような子を、なるべく学校に囲うという目的で始めたのが土曜日寺子屋(通称ドテラ)だ。1人の学生ボランティアと10人の生徒からスタートした。最初は机に座っていることもできないような生徒もいたのだそうだ。現在は100人ほどの生徒が参加し、学校や塾の宿題、英検、漢検の勉強、苦手克服、それぞれに合わせた学習を教師志望の学生ボランティアの助けで行っている。さらに成績のよい子(または普通の子)を伸ばすのが「夜スペ」で、今ネット検索をしてみると批判も多いようだけど、親は助かると思うな。これは私の意見。「陰山メソッド」も「和田中の実践」も批判する人はするけども、試行錯誤しながらなんでもやってみればいいと思う。「あれが悪いこれが悪い」と言っていても何も解決しやしない。


 昔は普通にあった地域社会や大家族の中で培われていた子供の社会化が、今は少子化、核家族化で失われてしまった。学校がそのような機能を補って、あれもこれも一身に担うことは不可能だ。そこで地域のボランティアを学校に呼び込み、いろいろな雑務を引き受けて、先生たちにより授業に専念できるようにしようとしたのが地域本部だ。これはPTAとも別組織だ。

 ドテラにおけるマンツーマンの指導によって目覚ましい学力の向上がみられた他、親や教師という「タテの関係」とは別に地域のおじさん、おばさん、お兄さんなどといった「ナナメの関係」が入ったことであきらかに生徒によい影響が見られるのだという。たとえばボランティアによって明るく改装された図書室は第二の保健室とも言われ、勉強が苦手な子たちがここでたむろしていたが、本のバーコード化の手伝いなど喜々としてお手伝いをし始めた。いろんなボランティアと接し、褒められることで生徒は自己肯定感を持ち、また多様な価値観や考え方を知ることができる。
 この図書のバーコード化も学校が頼んだわけではなく、ボランティアが自発的に始めたものだ。園芸のボランティアは校庭に水車まで作ってしまった。地域本部は、学校を核とした地域の活性化にもなっている。このような、学校と地域とをつなげた「ネットワーク型の学校」でなくてはもはや、これからの教育はムリだと藤原さんはおっしゃるのだ。(ゼイゼイ・・・。今日は午前中学校清掃が終わったあと講演会に行って、疲れて眠いのでなかなか言葉がでてこない。)


 今までの教育は情報処理力を養うものだった。「正解」がある問題をいかに早く解くかというものでこれはTIMSSという学力テストで図られる。しかし、社会に出たら「正解」がない問題の方が多いのであって「情報編集力」が問われる。自分の得た知識、技術、経験を総動員して「正解」のない問題を解き、自分と他人を納得させる能力のことで、これが測られるのが2003年に問題になったPISAという学力テストだ。これからの日本に必要なのはこの情報編集力で、そうしてみるとあのときメディアで「日本の学力低下」と大騒ぎし、「ゆとり教育の弊害」と決めつけたのがどれだけ的外れだったかわかるってものだ。
朝日新聞「希望社会への提言 11.「アポロ13号」に教育を学ぶ」
和田中藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その1
藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その2
藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その3

 
 内容が前後するけども、ちょっとショックだったのは「あと10年後には日本のすべての業界で淘汰が進み、10社が5社に減少してしまうだろう。そのうち半分は外資系。アングロサクソンか中華資本になってしまうだろう」と予言されたことだ。「彼らは情報編集力を鍛える教育をしっかり受けてきている。これからはそれに対抗して生きていかなくてはいけない時代なのだ」そーかー。

 昔みたいに「いい大学を出ていい会社に入って結婚して一戸建て」みたいな絵に描いたような「幸せ」なんてもはや存在しない。価値観が多様化し、複雑で変化の激しい時代なのだから自分なりの世界観、人生論、幸福論を持たないと「幸せ」にはなれない。「みんな一緒」の時代から「それぞれ違う」時代。その時代の変化に教育のシステムがついていっていない。「正解主義」から脱却し「修正主義」にしていかないといけない。

と、まあかいつまんで言うとそのような内容だった。


 先月この講演会の紹介がうちのPTA理事会でされたときに、校長が「この人は私がお手本としている人です」とおっしゃった。常々うちの校長は真っ当なことをおっしゃる人だと思っていたらやっぱりそうだったのか。そして、県と市の教育長もそろって出席されていて、講演の前に祝辞を述べられたのだが、先日和田中に見学に行ったとおっしゃっていた。
 コロコロと変わるけども最近の「教育の重点目標」は「少人数教育の推進」「地域と学校の連携」だそうだ。藤原さんが「彼(榎田好一教育長)は頭の切れる人だ」と言っていたし、話を聞いてて私もそう思った。とりあえず変なところは一つもなかったので安心した。

 そして、最近、PTAの委員会で情けない思いをして落ち込んでいたけども少し元気が出た。「この当事者意識の欠如といきあたりばったり感はなんだ」「守るべき伝統なんてものは最初からなかったのか」「動員と外部向けの形式だけの専門委員会だったらやめてしまえ!」と思っていたが、私のコミュニケーション能力とプレゼンテーションにも問題があったのだと講演を聞きながら思った。まあ、沈黙と陰口よりは「脱線してる。おかしい。早く終わってくれ」の方が少しましか。


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