ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

二つの島

2017年05月30日 | 日記
 知人にこのペテログラツキー島に連れて行ったもらったのがきっかけでこの島の魅力を知りました。それまでは私も他の観光客に漏れずもっぱら主要観光地のある本島ばかりに足を向けていました。ひとたび、この島に取りつかれると隅々まで足を運んでみたくなり、語学学校が終わるとそれまでの日課だったネバ川沿いの散歩をひとまず中止してイソイソとこの島に通う日々が始まりました。行きは、語学学校のあるワシリスキー島からバスが出ているので、バスが来たら128番に、それよりも小ぶりのマルシュートカと呼ばれるワゴンが来たらそれに乗って対岸のペテログラツキー島へ20分かけて向かいます。途中のバリシャヤ・プシュカルスカヤ通りで降りてメインのバリショイ・プロスペクトを縦横無尽に取り囲む細い路地やお茶の専門店を覗いてみたりただひたすら道に沿って歩いてみたりします。


 この島の通りで最も美しいと言われているのが、ペテログラツスカヤ駅とゴーリカフスカヤ駅を結ぶカメンノストロフスキー通りです。ここは彫刻が施されたユニークな建物が両側に立ち並びその合間に現れる公園も綺麗です。贅沢な建物の中にスーパーが交ざっていたりするのでそれもちぐはぐな魅力を醸し出しています。その後、カフェに入りロシア語を勉強するときが至福の時です。


 帰りは、行きにバスで来た道を歩いて帰ります。ネバ川の支流に架かる橋を渡り対岸の私の通う語学学校があり住む部屋があるワシリスキー島に近づくと景色がどんより黒ずんで空気も濁ったような感じになってきます。フランスの作家アンリ・トロワイヤはその著作の『帝政末期のロシア』の中でこのワシリスキー島のことを「大学生が多く住む活気のない島」と称していました。今は大学もそのまま現存していますが中央アジアからの移民が多く貧しさがにじみでるような空気感があります。その理由は、このワシリスキー島も昔の古い建物が多いのですがそういった建物は1フロアに何個も部屋があり台所、洗面所が一つずつで一人暮らしようには向かないので、中央アジアから出稼ぎ労働にやってきた人々が一部屋を間借りするような形で住み始めたのがこの島に移民が多い理由です。

 
 3か月前、語学学校の同級生に、この島に部屋を決めた、と言ったら、怪訝な顔をされて、自分はこの島は好きじゃない、麻薬常習者もたくさんいるんだよ、見たことないの?と言われました。その後、生まれて初めて朝からその類の男女を見て、ペテログラツキー島の存在も知り、今度もしサンクトペテルブルグに住む機会があったらペテログラツキー島に住みたいと思いました。

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