ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

孤独

2017年05月20日 | 日記
 ペルミの時も、このタイトルで記事を書いたのですが、やっぱりサンクト生活にも孤独が到来してきて、それが想像していたよりも特大号でした。ここにいた半年(あと2週間で帰ります)のうち5ヶ月は淋しい気持ちで過ごしました。最初のうちは生活に慣れるのに必死であまりそいういうことには考えが及ばず、そのうちうまく行きだすだとうと楽観していのたですが、4ヶ月過ぎたあたりからふと気づけば、新規の友達が一人もできずにペルミ時代のときのリョーシャしか友達と言える存在がいないことを強く実感してさらに淋しさが襲ってきました。少し前に知り合いの女の子に、私が海外でホームシックにかかることはないのか、と聞かれ、その時ははっきりと、ない、と断言した自分でしたが、今まさにかかっているのが正真正銘のホームシックでもう予定を繰り上げて日本に帰りたいと思ってしまいました。ペルミの時と違い、仕事で来ているわけではないので、いつでも自分の意志自体で切り上げられるという安易な環境も心折れる要因だろうし、所属している世界が語学学校しかないというのも人との交流の輪が広がらなかった原因だろうといろいろ思いました。

 リョーシャはペルミの時からの友達で、今彼がここに住んでいることが救いです。彼はここに引っ越してきて1年と2か月ですが、彼自身も私しか友達がいません。毎週末、二人で会って、孤独だねー、お互い友達が一人しかいないねーと言い合いました。僕の友達の名前は、孤独。いつも一緒だよ、ごはんを食べるときもネバ川を散歩するときも映画を見るときも。いつも一緒だよ!私の恋人の名前も孤独。ケーキを食べるときもワインを飲むときも買い物に行くときもいつも一緒だよ!と言ってふたりで笑い転げました。


 学校が終われば贅沢過ぎる暇な時間を一人ネバ川の散歩に当てて、ひたすら淋しいな―淋しいなーと思うのです。孤独に感じることがこんなに辛いとは知りませんでした。そんな中、友人の言葉が脳裏を過り、彼女が「誰かといてももっと辛いときもあるから、孤独の総量ってそんな変わらないんじゃないかな」と言っていたのを思い出しました。

 私はここに友達も家族もいないから、ほぼ一人で過ごしていることを孤独の原因に短絡的に結び付けていましたが、本当はそうじゃないことにも気づいていました。日本にいても淋しいときはあるし、誰かといても心が通じ合っていなくて孤独に感じることもあるし、一人でいても満たされているときもたくさんあります。だから一人だから淋しいとかじゃなくて、そう思う気持ちが淋しいんだなと思い直しました。

 そうこうしているうちに、だんだん孤独に思う気持ち収まってきて、新たなペテログラツキー島散策という楽しみも見つけ、そこの素敵なカフェでロシア語の試験対策に夢中になって一人で過ごす時間がすごく貴重な愛おしい時間に思えてきて、もうすぐ帰る自分を心惜しく思ったりもするので、心とはとても複雑なものです♪


 

白樺

2017年05月20日 | 日記
 日本はもう初夏だけど、ロシアの北の都サンクトペテルブルグは、ここ一週間でようやく春めいてきました。
写真は家の窓から見える白樺です。家を決めるときにどうしても窓から白樺が見えるところを、という条件で探したので苦労しました。ペルミと違って、サンクト中心街はなかなか緑のあるところに行きあたらないのです。しかも今年は春の到来が例年よりだいぶ遅れて、5月に雪が降ったりもしたので永遠に色付かない街の白茶けた木々を見ながら帰る日までに本当に黄緑色に覆われた街が見えるかしらと思いました。見れたのでよかったです(^^♪