被災地支援 -できることをやろう- から -ひとつなぎ- へ   NPO法人ねおす

『三陸ひとつなぎ自然学校』の釜石市を中心とした活動を応援しています。

お知らせ

★【2015年12月23日エルプラザ】「5年目の今、未来への挑戦」の報告会があります

支援ニーズ

2011年04月10日 | 地域社会起業育成支援
震災直後の釜石入りに引き続き、3月末に再度現地に来て、あっと言う間に10日間立ってしまいました。只今、遠野を経て花巻へ移動中。夜には青森入り。さすが、疲れているので、一泊してから、朝にフェリーで北海道へ渡ります。2週間ほどになった星山さんも戻ります。道被災地支援ネットワークの上田さん、学生の支援の仕組みを考えてくれている高橋セブンさん、ねおすの木村さんも帰還中です。

支援は、被災地域規模が大きい大槌、陸前高田では、初動支援時期(生活に必要な最低限の衣食住の支援)は終わったものの、最低限の生活用品(歯磨き、長靴、メガネ、生活関連小物など)を行き渡らせる第2次支援時期の箇所も多数あります。

釜石は、市街地の商店街は大被害ですが、その後方に住宅地が広がっているので、日曜日は普通の地方中核都市の風情で、物資のヤート周辺は、イベントのようなチャリティ屋台が出ていてにぎわっていました。その傍らに市が管理する衣料を広げたフリーマーケット風の被災者向けのコーナーがあり、着るものを探している被災者がいる・・、何やら別世界が同居しているようでした。

被災者は街中(まちなか)避難となっており、その精神的なギャップ感は相当なものかもしれません。

私達が集中的に支援をしている鵜住居・片岸地域の避難者は、農村風景の中で狭いながらも避難所暮らしが始まっています。いかにして「今の生活」を少しでもより快適にするか・・支援ソフトサービスが必要な第3次支援時期に入っています。

と同時に次の課題も生まれています。

仮設住宅は、測量と土地整備が一部建設が始まりましたが、入居は結局抽選となっています・・・。

コミュニティを重視した地区集団での入居は難しい情勢です。

他地域へ仕方なしに転居する人も次々に出ており、栗林小の避難者も200人を切り、上栗林も60人ほどになっています。過疎高齢化が加速化することが現実的になって来ています。

児童館や保育園が機能していないので、子育て支援の必要性も出ています。現にそのニーズが寄せられています。今拠点にしている基幹集落センターには、高齢者福祉法人の事務所も同居間借りしています。(お年寄りは県内各地の施設に移動、職員さんは釜石市からケアの必要な高齢者の対応をお願いされています)

職員さんから、仕事はあるものの子どもを預ける場所がない・・・。

 私どもが栗林で実施している子どもの居場所づくりの活動には、2歳児も来ているので、「私達の子どももあずかってもらえるか?」との照会がありました。 現在は幼児も参加し、午前、午後と分けている・・のですが、小さいお子さんを終日お預かりするとなると、私達では荷が重すぎます。

しかし・・、そのニーズはあるのです・・。

被災地の鵜住居地区には3つの保育園があったそうなのですが、皆、流失し亡くなった、行方不明の職員さん、保母さんもおられます。つまり、働く親御さんが子どもを預ける場所がなくなったのです。

 このニーズに応えるか・・、はたまた他の仕組みと連携するか(それができるのか・・?)、地域内、地域外からいろいろな情報を得て判断することが必要です。

今日は、午前中、釜石市にある「小さな風」という市民団体のFさんと意見交換をしました。これだけはない、いろいろなニーズが、被災者からはあるようですが、それらに対応するNPOや行政と市民との協働性は、まだまだ札幌ほどではないようです。

私達への期待も高くありました。

 震災後1カ月が過ぎました。目前のニーズに応えつつも、いろいろな方と出あいながら、次の活動のポジショニングを探ってゆく時期にも入ってきました。

ps
釜石市のストックヤードにも初めて行って来ました。かなりの物資が山積みされていました。新品の長靴もスニーカーも、軍手もゴム手も・・生活物資や食糧も豊富です。これらをデリバリーするこまめな活動展開が不足しているようです。

長靴、軍手、バスタオルを大量に仕入れました。自転車も1台ゲット。

高木

割烹着ありませんか?

2011年04月10日 | 地域社会起業育成支援

女性のパワーには頭が下がります。

「避難所で5人でいるけど、うち四人未亡人。父ちゃんは一度目の津波が引いた時に
戻って、二度目の津波で・・・、見つかった時、怒ったんだよ。なぜ、行ったんだって!」と目の前で涙されると・・

私も涙をためるしかありません・・・

が、
「でも、女は強いよネエ!」 と、あっははぁ!!

そんな母さん達が所望しているのは、かっぽう着です。 働き者の母さん達に「かっぽう着はないの?」あちこちで言われます。

こちらのかあさん達は、袖がついていて、背中で縛る全身タイプが一般的。白でなくていろいろな生地物です。 胸当てがある肩がでるタイプのエプロンをつけている人もいます。 震災以来・・ずっと同じものを身につけています。

遠野の衣料品でも品薄というか、ありません。

直接、当、北海道・ねおす釜石栗林ボランティアセンターへ宅急便で送って頂いても受け取れます。


他のモノ達はご遠慮ください。
当地の倉庫もたいへん手狭になっています。