うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

おもに運動に関して、気ままに話したいと思います。
のんびり更新しますので、どうぞ気長にお付き合い下さい。

やり投げで村上幸史が殊勲の銅メダル獲得

2009年08月26日 | 陸上
陸上の世界選手権最終日は23日、当地で8種目が行われ、閉幕した。男子やり投げ決勝は村上幸史(スズキ)が2投目に82メートル97をマークして3位に食い込み、銅メダルを獲得。この種目で五輪、世界選手権を通じ日本選手として史上初のメダリストになった。世界選手権の投てき種目では男子ハンマー投げで2001年に銀、03年に銅メダルの室伏広治(ミズノ)に次いで2人目。北京五輪金メダルのアンドレアス・トルキルドセン(ノルウェー)が89メートル59で優勝した。

〔時事通信 2009年8月24日の記事より抜粋 写真はロイター〕


                        *  *  *  *  *


それにしても村上の銅メダルはたまげました。なぜなら、日本人が苦手にしている投擲競技でのメダル獲得だったからです。しかも、村上はこれまで出場した4度の世界大会(五輪&世界選手権各2度ずつ出場)では、全て予選落ちでしたから。日本人が決勝に進出するのは1987年のローマ大会の溝口和洋以来、実に22年ぶりとのこと。つまり、決勝進出する事自体が快挙なのです。

ちなみに、22年前の溝口は80m24で6位入賞。ソウル五輪は不振で予選落ちでしたが、溝口の才能が一気に開花するのはその翌年の1989年です。まず4月に85m22の日本新を出します。その後、溝口はIAAF・GPシリーズ(現・IAAFゴールデンリーグ)に参戦。5月のブルースジェンナー大会(米国・サンノゼ)では、当時の世界記録にあと6cmに迫る87m60の日本記録を出して優勝。この年のシーズン世界最高(当時の世界歴代2位)となったこの日本記録は、現在でも破られてません。結局、GPシリーズは全6戦して優勝3回、2位1回、3位と4位が各1回ずつと抜群の安定感を誇り、最終成績が2位となって9月1日にモンテカルロ(モナコ)で開催されたGPファイナル(現・IAAFワールドアスレチックファイナル)に日本人として初の進出。GPファイナルは、84m76を出した当時20歳の新鋭スティーブ・バックリー(英国)に優勝を譲るものの、83m06を投げて堂々の2位入賞。9月10日にはバルセロナで開催(なおこのW杯がモンジュイックの杮落とし)された第5回W杯でも、バックリーと死闘を演じて82m56で2位に入りました(なお、バックリーが85m90で優勝)。溝口はこの年のGPシリーズの全戦とW杯では全て80mスローを演じました。

村上の今回の快挙の背景は、やはり今年から取り組んだ肉体改造の成果なのでしょうか。今大会の予選では83m10の自己新記録を叩き出して、予選通過ラインをたった1投目だけで通過。これだけでも十分に凄いです。決勝では、3回目までに8位以内に入らないと4回目以降に進めませんので、なんとか8位以内に入ってほしいと願ってテレビで見てました。だが、村上はなんと2投目に自己記録に近づく82m79を出してこの時点で3位に入ります。その後は、腰を痛めていたせいもあり記録は伸びず、この記録がものを言ってそのまま銅メダルを獲得。前回の優勝者で91m53の自己記録を持つテロ・ビトカマキ(フィンランド)が風邪による発熱などで体調不十分だった事や、ドーナツ状にスタンドを覆う屋根による風の影響もあって高い軌道の他の選手が不利だった事も村上には味方しました。

とはいえ、運も味方につける事も勝負の世界ではとても重要です。もしかしたら、今回の快挙で村上は競技人生の全ての運を使い果たしたかもしれません(もちろん更なる飛躍を期待してます)。しかし、村上が日本陸上界に残した今回の実績は計り知れないほど大きいです。日本の投擲競技の第一人者は言うまでも無くハンマー投げの室伏広治です。ただ、室伏の場合は一家全員が投擲競技をやっており、父が長年築き上げた技術や経験やデータなどが子供たちに脈々と受け継がれている恵まれた環境なので、普通のアスリートではなかなか真似が出来ないと思います。決して、世界のトップクラスのハンマー投げの選手としては体格が大きくない室伏があれだけの実績を残せたのは、持ち前の高い身体能力だけでなく親子でこれまで築き上げた高度な技術に他ならないです。

だが、村上の場合は中学まで野球をやっており、素質を見込まれて高校からやり投げに転向した選手です。日本人は体格から考えても投擲競技には向かないと思われてましたが、日本は野球大国なので強肩の選手を生み出しやすい土壌でもあります。さらに、日本人の特性でもあるスピードを活かせば、早い助走をつけて投げられますので野球の遠投の動作を応用できます。それに、やりの重さも見た目と違って800gなので意外と軽いです。(女子は600g)ちなみに、円盤が男子は2kg(女子は1kg)、ハンマーと砲丸はともに男子が7.260kg(女子は4kg)です。なので、地肩が強くて体格に優れた野球経験のある選手を早い段階でやり投げに転向させれば、世界で対抗できる事を村上は見事に証明しました。今回の快挙を切っ掛けに他競技から投擲競技に人材が集まれば、選手層は少しは厚くなって国内で切磋琢磨できる環境にも繋がるので素晴らしい事だと思います。

日本のスポーツは、どちらかというと子供の頃から同じ競技を続ける傾向があります。それだけに今回の村上のケースのように、本人の適性を見極めた上で他の競技に転向しても、世界の大舞台で十分に対抗できる事を実証したのはとても意味があると思います。日本の投擲競技を盛り上げる為にも、日本陸連は才能の出現をただ待つのではなく、他の競技を含めて早期に才能を発掘するプロジェクトなどを実行するアイデアがあってもよいのではと思います。これからは少子化ですからなおさらそのように感じます。

それと、今回の村上の試合を見て感じたのは、投擲競技の中で日本人が最も向いてそうのはやり投げで、最も向かないのは砲丸投げというのを改めて感じました。砲丸投げは狭いサークルの中なので助走が無く、尚且つハンマー投げのように回転運動も少ないので、身体能力だけでなく体格の大きさがものをいうからです。やり投げやハンマー投げと違って、重いものを「投げ飛ばす」というより「押し出す」といった感じなので、欧米人に比べて上体が発達してない日本人には明らかに不利だと思います。止まっている物を動かすのは、動かしている物よりもはるかにパワーが必要ですから。



▼1989年の溝口和洋のIAAF・GPシリーズの全記録

5/27 ① 87m60 ブルースジェンナー大会(米国) ※この記録は現在でも日本記録です
7/03 ① 83m26 DNガラン大会(スウェーデン)
7/07 ② 82m70 ミラーライト大会(英国)
7/14 ① 85m02 ロイヤルメール大会(英国)
8/18 ③ 82m68 IS TAF大会(西独)
8/20 ④ 81m72 ベルトクラッセ大会(西独)
---------------------------------------------------
9/01 ② 83m06 GPファイナル(モナコ・モンテカルロ)



☆新しい歴史を作った村上の決勝の試技

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。