nekomitu日記

ポンコツ日記

ポップコーン

2015-11-22 14:23:54 | 日記
私は若いころからストレスが溜まると、ポップコーンを一心不乱にやけ食いする。。という習慣があります(笑)
最近では、買いに行く事が面倒なので、自分でポップコーンを作ることにしています。

しかも、ポップコーンが弾ける様子が見える、ガラス蓋の鍋で作るのがたまらないのです。
硬いコーンの粒が油の中で加熱されて…しばらくはその熱にじっと..じっと耐えているコーンの粒たち..しばらくすると『ポンッ』と1個弾けると次から次に弾けて、
鍋をゆするとみるみる弾けて鍋いっぱいに膨らむのですが、最後まで熱に耐えて弾けない粒たちもいます。。同じコーンの粒でも弾けるのに時間差があるんですね。。

この様子を眺めると、人間も同じだな。。と思うのです。

心がカラカラに乾いて(元のコーンの粒)いると、不平(みんなと同じではない)
不満(満たされてない)という「足りない・欲しがる・比べる」感情でいっぱいになります。それは、恋愛だったり、人間関係だったり、仕事だったり、物だったり、お金だったり…人それぞれです。
それでもじっと耐えていると、被害者意識がどんどん強くなり(油の熱)一気に爆発してしまうのです(キレる)。。
時には爆発させることも出来ずに身体の異常となって出てくる人もいます。(これは最後まで弾けずに黒こげになっているコーンの粒)

では、何故心がカラカラに乾いてしまうのか?

人は誰でも自分の事を「認めてほしい」「優しくしてほしい」「構ってほしい」「寂しい」「愛してほしい」「大切にされたい」と思うものです。。
だけど、被害者意識が強くなると「心がすねる・いじける」という現象が起きます。

「何で自分ばっかり我慢しなきゃいけないの?」「どうして誰も認めてくれないの?」
「どうして周りはわかってくれないの?」「どうしてあの人ばっかり得をするの?」等。。ギブ!ギブ!と心が求めてしまうんですね。。
だけど素直にその心の状態を言葉にして伝える事をしないから
「すねる・いじける・意地を張る」という幼児的な対応となって表に出てしまうのです。中には「諦める」という人もいます。

本当は、自分が心を開いて「もっと優しくしてほしい」「本当は寂しい」「認めてもらいたい」と「苦しい」と言葉で伝えると楽になるのですが、
「笑われるかも」「怒られるかも」「喧嘩になるかも」「そんなこと言うのは恥ずかしい」と考えてしまう。。
とても勇気が必要なことかもしれませんが、これ(自己開示)ができるようになると
楽になります。。

私も若い頃、このような経験があって、常に「不平不満」をいかにも自分が正しい…と偉そうに言っていた時期がありましたが、自分の負のエネルギーがどんどん心身をカラカラにしていくのが分かったので、「言葉にする」「伝える」という訓練をしました。。

言葉で言えない時は、文章で伝えるようにしたり、自分の頭の中を全部取り出して
客観的に図にしてみたり。。そうすることで、本当は自分が一体何を求めているのかが
分かるようになります。(これある意味修行ですね・・)

それ以降、精神的な調和を目指し、心の傾向性を修正しながら
「どちらが正しい」等という考え方を止めて「右にも左にも片寄らない」中庸の考え方をするようになりました。
また、「誰が正しいか?」ではなく「何が正しいか」と考える習慣も持つようになりました。

つまり、事象の一切の原因は人の心(自分)にあって、現状はその「結果」であるという事です。
なので、何かそのような壁に当たった時は、「言わなかった自分が悪い」「その時そちらを選択した自分の責任」という風に
さすがに、この年齢になると、全ての事は自己責任と受け入れるようになりました。

また、不思議なことに良くも悪くも「人・物・金」に執着したり囚われたりする事もなくなりました(笑)
元々、短気でせっかちでキレやすい…という私の性格は、まだまだ休火山のようなものですが残りの人生は出来るだけ、柵や重荷を降ろし、水のように「酒酒楽楽」とした人生を歩きたいと思います。