誕生日とういうわけではないが、今年59、来年60になる。
ずいぶん長いこと生きてきたようにも感じるが、悠久の流れから見れば
ほんの「ちかちかっとした間」にしかすぎまい、、無常である。
さて、愚かな前書きはこのくらいにして
昨今、世の中、右上がりの夢がなくなってる。
なぜなくなってるか、、、こういうからくりは読み物読んで
答えは書いていないと思うので、自分で考えるよすがに書いてみる。
右上がり絶好調だった1980年ころにさかのぼる。
1979年出版のJAPAN AS NO1に日本の強みとして
「日本人の学習への意欲と読書習慣」があげられている。
書かれたのはそれより前の事実をもとに書かれているのだろうから
1960年~1980年の高度成長期の日本が前提
詰め込み、受験戦争といわれながら必死で勉強し、そして
まだ残る教養主義と教養主義のうらにある独善性への抵抗として
学生運動が全盛期から下火への時代だった。
まだコンピュータはなかった(に等しかった)ので、
ひたすら効率を時間で稼いでいた時代。残業の山でも精神的には
ゆとりがあったように思う。そして日本は、まだまだ、貧しかった。
戦前の富裕層と一般民の格差は凄かったが、絶対数が少なかったので
それほど問題にならず(というか身分意識があったからだが)
戦争を通じて多数の富裕層が没落したので偶然生まれた平等社会
だったのかもしれない。
さて、1980年代に入って、それまでの日本の努力が実って、産業も元気になり
海外へ積極的に出ていくようになると、欧米のトップリーダーがなぜあれだけの
大金持ちなのか、日本人の支配層は考えるようになった。また、自らも
そうなりたい(そういう社会にしたい、そういう生活がしたい)
と考えたのだと思う。
敵をよく観察してみると、「奴隷経営のノウハウ」がしみついており
また、以心伝心の反対が当たり前のなか、「数字と効率」を
徹底追及する姿を見出したのだと思う。もちろん外的要因で
全体がダウンすることもあり(人件費の安い日本が高度な製造能力を
もつようになると世界を席巻することも予測したのだとおもう)
連戦連勝ではなかったにしろ、、あのやりからは格差を拡大し、上層
の皆さんにはまことに都合のいい代物だったと気がついた。
そして1990年のバブル崩壊以後、、、変化に弱い日本人、いろいろ隠しながら
数字優先の「成果主義」「選択と集中]などの手法を持ち込んできた。
今までの資産があるので、すぐには悪弊は露呈しなかったが、
10年以上たってくると過去の資産はもうつきてきて、「やる気のなくなった」
中流以下と「もっとほしい]上流層に分化し、号令すれども結果が出なくなった。
崩壊寸前までいった大企業は、外部の力をかりたり(日産)外に出ていた先輩の
力を借りたり(日立)立ち直ったところももちろんあるが、昨今話題の東芝
シャープ、もうなくなってしまったサンヨー
そこに必要なのは支配と強制の論理をいかに持ち込んで服従させ働かせるか
それに失敗して支配だけすると面従腹背が広がって粉飾決算が最後にばれた
東芝のようなことになる。
徹底的な収奪論理と支配手法が日本人に定着するか?
歴史を紐解けば、もっと露骨に日本へ(アジアへ)押し付けて
日本が我慢できなくなったのが太平洋戦争ではなかったのだろうか?
もう少し考えてみたい、、、
働いていても数字優先で中身がない、、、金融ならそれでもいいのかもしれないが
実業でそれをやっては中身がなくなり、、、、中も外も不幸になる、、、
ずいぶん長いこと生きてきたようにも感じるが、悠久の流れから見れば
ほんの「ちかちかっとした間」にしかすぎまい、、無常である。
さて、愚かな前書きはこのくらいにして
昨今、世の中、右上がりの夢がなくなってる。
なぜなくなってるか、、、こういうからくりは読み物読んで
答えは書いていないと思うので、自分で考えるよすがに書いてみる。
右上がり絶好調だった1980年ころにさかのぼる。
1979年出版のJAPAN AS NO1に日本の強みとして
「日本人の学習への意欲と読書習慣」があげられている。
書かれたのはそれより前の事実をもとに書かれているのだろうから
1960年~1980年の高度成長期の日本が前提
詰め込み、受験戦争といわれながら必死で勉強し、そして
まだ残る教養主義と教養主義のうらにある独善性への抵抗として
学生運動が全盛期から下火への時代だった。
まだコンピュータはなかった(に等しかった)ので、
ひたすら効率を時間で稼いでいた時代。残業の山でも精神的には
ゆとりがあったように思う。そして日本は、まだまだ、貧しかった。
戦前の富裕層と一般民の格差は凄かったが、絶対数が少なかったので
それほど問題にならず(というか身分意識があったからだが)
戦争を通じて多数の富裕層が没落したので偶然生まれた平等社会
だったのかもしれない。
さて、1980年代に入って、それまでの日本の努力が実って、産業も元気になり
海外へ積極的に出ていくようになると、欧米のトップリーダーがなぜあれだけの
大金持ちなのか、日本人の支配層は考えるようになった。また、自らも
そうなりたい(そういう社会にしたい、そういう生活がしたい)
と考えたのだと思う。
敵をよく観察してみると、「奴隷経営のノウハウ」がしみついており
また、以心伝心の反対が当たり前のなか、「数字と効率」を
徹底追及する姿を見出したのだと思う。もちろん外的要因で
全体がダウンすることもあり(人件費の安い日本が高度な製造能力を
もつようになると世界を席巻することも予測したのだとおもう)
連戦連勝ではなかったにしろ、、あのやりからは格差を拡大し、上層
の皆さんにはまことに都合のいい代物だったと気がついた。
そして1990年のバブル崩壊以後、、、変化に弱い日本人、いろいろ隠しながら
数字優先の「成果主義」「選択と集中]などの手法を持ち込んできた。
今までの資産があるので、すぐには悪弊は露呈しなかったが、
10年以上たってくると過去の資産はもうつきてきて、「やる気のなくなった」
中流以下と「もっとほしい]上流層に分化し、号令すれども結果が出なくなった。
崩壊寸前までいった大企業は、外部の力をかりたり(日産)外に出ていた先輩の
力を借りたり(日立)立ち直ったところももちろんあるが、昨今話題の東芝
シャープ、もうなくなってしまったサンヨー
そこに必要なのは支配と強制の論理をいかに持ち込んで服従させ働かせるか
それに失敗して支配だけすると面従腹背が広がって粉飾決算が最後にばれた
東芝のようなことになる。
徹底的な収奪論理と支配手法が日本人に定着するか?
歴史を紐解けば、もっと露骨に日本へ(アジアへ)押し付けて
日本が我慢できなくなったのが太平洋戦争ではなかったのだろうか?
もう少し考えてみたい、、、
働いていても数字優先で中身がない、、、金融ならそれでもいいのかもしれないが
実業でそれをやっては中身がなくなり、、、、中も外も不幸になる、、、