日頃のあれこれ

日頃の思いやマンション管理について書いてみます もうすぐ禁煙も11年を迎えます。

大みそかになりました。

2010年12月31日 | 日頃思うこと
今年は、脳出血という思いもよらない大病をして、
危うく三途の川を渡りかけましたが、無事に
Uターンして、今日を迎えられました。

思えばありがたいことです。

半年前から禁酒してましたが、明日(1月1日)解禁する予定で
シャンパンを用意しました。

新しい年を迎えられたら、お祝いということです。

初詣はとても寒そうなので今日、寒川神社にいって
お礼のお祈りをしてまいりました。

来年は生き方を変えて、と思いながらおみくじを引きますと

「狭いかごから解き放たれたような快適な
 状況になります。苦しかったことから
 解放されますから人のために生きなさい」とありました。

自分でもそう思ってたところですので納得しました。

1年間 皆様 ありがとうございました 来年もよろしくお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳出血を起こし、しかし、そこからから復帰した年でした。

2010年12月26日 | 日頃思うこと
脳出血で入院しました。リハビリを兼ねて、記憶や携帯メールを参照しながら入院から退院後までのメモを作成。
(発症日)
8月1日(日曜) 午前10時過ぎ車で平塚図書館へ向かう。図書館で、CDを選択しているときに左唇から涎が糸を引くように垂れるのを知覚、(おかしい、これはなんだ?)
また、左手に力が入らないことも自覚。しかし、そのまま運転して、近所のスーパーへいわれた買い物をしに行く。ここでも左手に力が入らず、何度も籠をおとす。帰宅中にも買い物をおとして、(おかしい!)ことを実感。帰宅後、言葉が正常に言えなくなっていることを家族に伝える、症状を入力してgoogleを試みるも、入力がうまくできず。その後、寝不足を指摘され、無呼吸のC-PAPを装着して2時間寝る。その後、光線治療器で2時間治療。やや症状は好転。家族が病院へ行こうというも拒否する。その後、空腹を覚え、自分でラーメンを作って食べる。そして、夕食、入浴して就寝。(知らないとはいえ無謀の極み)

8月2日、(月曜)出勤するも、キーボードがまともに打鍵できず、誤字がいっぱい。上司からは帰宅して病院へ行けとすすめられる。自分でもこれはおかしいと思い昨日よりよくなってはいたので、近傍の脳外科を探して、夕方自分で運転し家内を連れて受診。その場でMRIを撮影され、3センチ大の脳出血が発覚、即刻徳洲会病院へ紹介となる。職場に脳出血していることを電話。医師から運転を禁じられたので、家内の運転で徳洲会病院へ。外来で待っていたら、ERへ呼びこまれて、即刻絶対安静、臥床を命じられる。血圧(191/155)脳出血の患者が歩いてきて画像まで持ってると医者がびっくり。トイレも禁じられて尿瓶を使う羽目に、、、最新鋭の320列CTで再度撮影され、即刻入院となる。しかし、言葉はしゃべる(症状は治まってました)反応はする麻痺はない、、で医者は??状況(しかし最低1週、長けりゃ3週間入院と宣告、、ゲッ!)そうなると人間は弱いもので、ぐったり、点滴3本(降圧剤、脳圧降下剤ほか)を繋がれて重病!しかし、看護師の目を盗んでベッドで携帯を操作、友人たちに入院を連絡。その後寝る。しかしその夜は呼吸が浅くなり酸素吸入となる。強い降圧剤があっても血圧なかなか下がらず。
意識はあったが、もうろうとしていたような気がする。
8月3日。(火曜)目が覚める。主治医(神経内科のボス)から診察、後遺症なしで復活できそうなことをおしえられ、尿瓶からポータブルトイレへと介護付きでちょっと動けるようになる。また、リハビリも開始され夕食から食事が始まる。ただし、ほとんど食欲なし、でも携帯はいじくりまわして、あちこちとメール。家族へ交換用バッテリーを依頼、点滴が24時間、血圧測定も頻回で眠れず、昼間もうつらうつら、、おかゆが360gと大盛りでびっくり。まあ、人と会話すると疲れて血圧が上がり、ねたまま状況。職場から上司が来る。家内が職場へ当分休むようになることを連絡したようだ。実家の弟へもメールした。
夜間のナースコールの多さにびっくり、呼ぶのが気の毒になるくらい、、、激務だ。
まだ、安静でテレビも見ることができない。小型ラジオを置いてひっそりと聞く。
8月4日(水曜)
看護師から「食事ができないと、点滴が終わらない」と脅されて朝食から全部根性で完食。
入院3日目となり、やっと便秘が解消。今日夕方も会社の友人が来てくれた。家内に家からC-papを持ってきてもらって、寝られるようになる。その夜は熟睡したみたい。
点滴(利尿剤)のせいでやたらのどが渇く

8月5日(木曜)。病室内は点滴を引っ張ったまま、動けるようになる。地域の友人たちからくるメールを楽しみにする。リハビリで少しずつ動くようになり、車椅子でリハビリ室に搬送され、パズルのようなものをやらされる。結構難しい。最後のほうはやっとできた。
食事は相変わらず完食。血圧は127/67 健常者よりやや注意力が落ちているとのこと。
いずれもとにもどるよ思うので心配しないでとのリハビリの杉森先生の言葉
会社から友人が来る。お見舞いをいただきお花ももらう。

8月6日(金曜) トイレまでの歩行が解禁。やっと動ける。(点滴はまだ継続)
さっそく嬉しくて、あちこちにメール 血圧が上がる。今日は、歩いてリハビリ室へ移動。
食事は相変わらず完食。かなり元気になったと看護師にも言われる。

8月7日(土曜)学生時代からの友人が見舞いに来てくれた。夜は茅ヶ崎市の花火大会で、寝たまま花火を見る。こういうシチユエーションでなければ贅沢な話、、、

8月8日(日曜)降圧剤の点滴が終わる。さっそく血圧が上がってきて、リハビリ中止になる。上が150/99 脈拍も101  なんで? 北村さんが来る。
ただ、連続点滴の跡が炎症を起こして痛む。静脈炎と先生に言われる。

8月9日(月曜)stによるリハビリ&テスト続く。
絵の間違い探しはあまりできない。注意力低下か、、、?言葉系のテストはばっちり。Stより上の成績みたい、、、職場から部長がお見舞いに来訪される。

8月10日(火曜)朝の回診で翌日退院の許可が出る。友人たち&家族へメール。

8月11日 (水曜)退院。血圧管理、食事制限、しばらくの安静など条件付き。
絶対再発させないよう管理が必須。

8月12日から15日自宅で静養ほとんど何もしなかった、動いたりPC触るとまだ疲れる。

8月16日 (月曜)退院後 初通院(やっと外出)血腫は8.・7(入院中)のCTより
縮小していて、主治医からも回復は順調といわれる。帰りにちょっとだけ運転し、できることを確認。友人たちに少し良くなったメールを発信。

8月17日から18日 自宅静養中300m先ローソンまで行っただけで疲労。まだだね。

8月19日 職場からメール。電話で返信。9/3から復帰予定だが疲れそうな予感。

8月20日 動くことがリハビリと勉強、マンション周りを散歩し、事務所へ顔をだした。
自分で運転してガソリンを入れ、洗車して帰った。もっと動けるようにならないとね。
キーボードのリハビリはこれからも必須ですね。まだ完全ではありません。

8月23日は藤沢へ通院。8月28日は東部病院へ(バスで行けとさ)8月30日徳洲会と県の循環器センター(病院だらけだ)

9月3日はどんな顔していけばいいやら、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする