昨日は、叔母の葬儀。朝1番の飛行機で帰省し、葬儀・荼毘・収骨と参列させていただいた。
思えば、40年前、父がなくなったとき以来、いろいろお世話になった方であり、その強烈な性格から、味方も敵も多い方でもあった。曹洞宗での葬儀に参列したのは始めてだったが、和讃、引導法語と、故人を偲ばせる言葉で和尚様がかかれており涙を抑えられなかった。容態が良くないと聞いてはいたが、一度お見舞いに行くべきであった。奇しくも姉妹同じ病、片方は快方に向かい、片方は彼岸に召されるという差はなんだろうかと考えざるを得なかった。
羽田に戻って、遠い遠い連絡橋を歩きながら、人の命、運命、宿命、さまざまなことを考えた一夜で、あまり眠れなかった。
思えば、40年前、父がなくなったとき以来、いろいろお世話になった方であり、その強烈な性格から、味方も敵も多い方でもあった。曹洞宗での葬儀に参列したのは始めてだったが、和讃、引導法語と、故人を偲ばせる言葉で和尚様がかかれており涙を抑えられなかった。容態が良くないと聞いてはいたが、一度お見舞いに行くべきであった。奇しくも姉妹同じ病、片方は快方に向かい、片方は彼岸に召されるという差はなんだろうかと考えざるを得なかった。
羽田に戻って、遠い遠い連絡橋を歩きながら、人の命、運命、宿命、さまざまなことを考えた一夜で、あまり眠れなかった。