日頃のあれこれ

日頃の思いやマンション管理について書いてみます もうすぐ禁煙も11年を迎えます。

残業はいいことではない。

2008年05月25日 | 日頃思うこと
 勤労は美徳  いつ頃から言い出した言葉なのでしょうか?その言葉がいいように利用されて、無制限無定量労働を正当化している。
 成果主義、聞こえはいいけれど、利益第一主義と何ら変わりない。おまけにノルマで締め付けるのが正当化される。
 いい仕事=顧客に喜ばれる仕事をして、正当な対価をいただくのが仕事だと思ってきたが、最近の風向きを見ていると、経営者層はそう思っていない?と感じることが多い。
 
 効率よく仕事をして、早く帰りたい、また、皆を早く帰れるようにしたいと、コンピュータを利用したシステムを開発し、効率化を進めてきたつもりだったが、そこにあったのは更なる業務量の消化要求であり、さらにメッシュ細かく仕事をすることを皆に強制する環境を提供しただけでをであった。
 
 名ばかり管理職として、マスコミで取り上げられる「管理職の残業手当カット」。それは経営者が都合よく使っているだけで、経営者と一体となった管理監督者など、ほんとうに一握りしかいないのに、いつの間にやら、課長とか名前がつけば、残業代は出なくなる、そして課長から部長へというラインから外れても、それは普通はそのまま、、、、やっと、それはおかしいことではないのか?という当然の疑問が口にできるようになっただけ、、かもしれない。
 
 お金を払えばいいという話ではなく、よく考えてみると、「残業」そのものがよろしくないものだという基本がどこかへ行ってしまっているように思う。
 
 昔は、休日返上、残業は月に100時間をはるかに超えるのがあたりまえ、よく死ななかったと家内と話しているが、運が良かっただけかもしれない。そのころよく上司から、「いつも(職場に)いる奴でないとダメだ!」とよく言われていた。上司自ら、一月一日も出勤して仕事をするのが当たり前みたいな人で、土日も出勤、帰宅は午前様、出張の時以外はほとんど仕事していたんじゃないだろうか?それだけやっても結局ある程度の出世でオシマイ。
 
 今思えばおかしかったのだ。当時、部下へ、残業規制でなく、今月の時間外枠として、その枠以上は残業して頑張るようスケジュールさせていたのを思い出す。
 午後10時に帰宅しようとした部下に、やっていないことを指摘して、帰宅を止めたことが何度もあった。当時は終電まではやるのが当然だと信じていた。
 
 今は、もうそういうことはしないし、メンタルなトラブルを起こす寸前まで自分が追い詰められて、初めて非人間的な行為だったことがよく理解できた。
 
 しかし、未だわかっていない?人のほうが職場にはるかに多い。自分が早く帰る時、皆さんから受ける暗黙の非難の目は、若い人には耐えられないだろうなと思いながら、「壊れてからじゃあ遅いし、会社は面倒みてくれないし」と思って、サッサと帰ることにしている。(やむを得ず残業(1円もつかないけど)になることはあるが、、、)
 
 今期の社長さんの指示は「余力をのこすな!」だそうだ。余力が残らない程すべてを会社に捧げろということ? ワーク・ライフ・バランスなんて口先だけってのがよくわかる。「あくなき利益追求は当然のこととして」だそうで、そこには顧客のことも出てこないし、従業員のことも出てこない。あるのは利益のさらなる上積みと、数字だけ、、。これがエクセレントカンパニーというものの姿なのだろうなあ。
 
 8時間は誠心誠意働き、あと8時間は自分のため、そして8時間は睡眠など体のためってのが自然なリズムだと思うんだが、、、
 
 
コメント
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