こんにちは。
tomoです。
やっと、前の家の一戸建てと縁が切れました。
事の起こりは、帰国して、一戸建てを借りた。借りる際、さまざまなものを置いていくなと大家に言ったが、大家が荷物が整理しきれないと最後にごね出し、屋根裏部屋に絶対開けるなと荷物を置いていきました。
しかし、入居してみると、置いていかれた大きな本棚の上に、海軍の軍人のレリーフが見えないように置いてありました。そして、大家が置いていった荷物は、寝室の上の屋根裏部屋。その荷物は、その家で亡くなった大家の両親の遺品だったのです。
高圧電線の近くでもあり、不良建売でもあったその家は、いつも湿っていて、私は朝から掃除ばかりしていました。朝から乾かしても夜には湿気て、朝方にはかなり冷たい布団たち。臭う水場。洗っても洗っても、何をしてもその夜には無駄になっていました。
息子Aは風呂から上がってリビングに行った時、和室とリビングとの間に大きな黒いものがぶら下がっているのを見つけ、それ以来、家の中では私たち親の動くところにいつも付いてきました。息子Bは、よく「わんわんがいる」と言って、指を指し、「おばけがいるよ」と指を指し申しました。
また、私は、二階の部屋の真ん中の部屋ではいつも、「金色に輝く光」を見ましたし、主人のパソコン部屋(レリーフのあった部屋)のクローゼットには、同じ場所でいつもキョロキョロする目を見つけていました。
また、ありえないポルターガイストがおき、触らぬものが動く、鳴る、いない階での足音や、生活音がガタガタする。咳払いが聞こえ、階段に人の影がリビングの扉越しにはっきり見える。そして、父の話をすれば、父の写真が壁から落ちる・・・・、客が来たかと思えば、頭から客が消えていく・・・といった有様だったのです。
しかし、反対に、出かけるときによく物が失くなることや、車のドアが閉まらない事があったのですが、見つかって家を出た時、最初に探した時間に出かけたなら、大渋滞だったとか、事故に巻き込まれるところ(センターラインから車が飛んできていた後だった)だったり、色々救われる事がありました。私たちは、金の光のいたずらだと考え、助かったと思っていました。
自衛をしたのですが、しきれず、何度かとある霊能者さんが来て、家の真ん中に霊道が通っていること(それは自分でも分かっていました)、そして、私がその場所どんぴしゃに寝ていて、心臓の動悸で息苦しくなる事もそのせいだと申しました。地場は完璧に狂っていました。が、彼は、光の珠は、「座敷ワラシ」であり、クローゼットの目玉は、かなり中を覗き込み「マックロクロスケ」だと申しました。天井裏には衣装があると申しました。彼氏は、何度も家に来て、結界を張り、地鎮祭をし、お札を貼っていきましたが、一日経つと全て効果はありません。何度も貰ったパワーストーンは千切れ、色が変わっていました。
私はそうして、入居して一年で倒れ、狭心症の発作を起こしました。そして医療ミス。カテ中、急性心筋梗塞を起こし生き返って帰ってきて、また3ヵ月後には、狭心症の発作。結果は完全な再狭窄でした。そして、2度手術を受け、ステントを5本も入れてました。私は、井口清満さんに来ていただくのを辛抱強く待ち、やっとこの夏に来ていただきました。
彼氏が言うには家の中には人がいるということ。それはレリーフの人間がらみで、レリーフに憑いた何かと、おじさん、そして、大学の卒業式のような袴を履いた結った髪に大きなリボンをつけた女性。彼らは比較的家の中で自由に動け、そして地縛した子供がいるということでした。そして、家の中には大きな霊道が横幅2m、縦幅2階以上に通っているともおっしゃいました。金の光も見えたそうです。そして、大家は6年の忌明けの理由でこの家を貸したのではないかと言いました。
そう。2階のキョロキョロした目玉は、そこに地縛して動けない子供の霊の目玉だったのです。
井口さんが浄霊をされている間、私は横で一部始終見て、確かにおじさんと、女性、そして子供たちが上がっていったのを見ました。不思議な光景でした。浄霊が終わった後、金の光が変わって、人型になりました。それを見て井口さんはおっしゃいました。「金の光はtomoさんの亡くなられたお父さんだったんですね。心配で付いてきて、そのままここにいるんですね。だけれど、どこにでも付いていけたようですよ?」と言われると私は確かに、金色の光が旅行先にどこにでも着いてきたことを申しました。そして、亡父は井口さんのいらっしゃる間は、階段のところからリビングを覗き込んでいました。
そうして、終わったわけではなく、その日オカルト嫌いの主人に話をしたところ、決して動かなかった主人が一晩で引っ越し物件の目安を見つけてきて、私はとりあえず翌日子供の手を引いて炎天下に事務所に行き、実は物件を見ずに「次」を決めたのです。同じマンションの違う物件は空いていましたからそれを見て判断したんです。
そして一ヵ月半後、引っ越ししました。当日、最後に出て行く時に、先ほどあれほど引っ越し業者さんが歩いていたのに、私はどこから出たのかガラスの破片を踏みつけ、足をぐっさり切りました。私はその家に、拭かずに切った所から血を何滴か垂らし、そして、前の霊能者さんに貰った全ての水晶の石を庭から引き抜き、貰った死ぬほど沢山あるお札を、「そこら辺のゴミ箱」に捨てました。到底新しい家に持っていかれないし、お焚き上げまで待てなかったのです。
主人が最後に家を明け渡しに立会い、そうして割とあっさり事務手続きも終わりました。そして、敷金が返ってきて、始めて縁が切れたのです。
井口清満さんからの視点はここで
「賃貸物件の恐怖」です。
霊障が続き、自分でも「混乱」しました。普通あるべき事なのかないものなのかも判断できませんでした。目の前で水道の蛇口が開いて水が出た時には、「異常だけれど異常ともう感じたくない自分」がいました。
井口さん曰く、ポルターガイストが起きるのは滅多に日本ではない事だそうです。ですが、滅多に出ない「お化け屋敷」であることは確かであった事だそうです。そしてこのブログで起きた事は、霊障真っ最中のライブ中継だったのです。
ところで、その家、6年の残り期間3年半を賃貸に出されるのでしょうか。それとも・・・・・・・・・
この話はこの辺で。
tomoです。
やっと、前の家の一戸建てと縁が切れました。
事の起こりは、帰国して、一戸建てを借りた。借りる際、さまざまなものを置いていくなと大家に言ったが、大家が荷物が整理しきれないと最後にごね出し、屋根裏部屋に絶対開けるなと荷物を置いていきました。
しかし、入居してみると、置いていかれた大きな本棚の上に、海軍の軍人のレリーフが見えないように置いてありました。そして、大家が置いていった荷物は、寝室の上の屋根裏部屋。その荷物は、その家で亡くなった大家の両親の遺品だったのです。
高圧電線の近くでもあり、不良建売でもあったその家は、いつも湿っていて、私は朝から掃除ばかりしていました。朝から乾かしても夜には湿気て、朝方にはかなり冷たい布団たち。臭う水場。洗っても洗っても、何をしてもその夜には無駄になっていました。
息子Aは風呂から上がってリビングに行った時、和室とリビングとの間に大きな黒いものがぶら下がっているのを見つけ、それ以来、家の中では私たち親の動くところにいつも付いてきました。息子Bは、よく「わんわんがいる」と言って、指を指し、「おばけがいるよ」と指を指し申しました。
また、私は、二階の部屋の真ん中の部屋ではいつも、「金色に輝く光」を見ましたし、主人のパソコン部屋(レリーフのあった部屋)のクローゼットには、同じ場所でいつもキョロキョロする目を見つけていました。
また、ありえないポルターガイストがおき、触らぬものが動く、鳴る、いない階での足音や、生活音がガタガタする。咳払いが聞こえ、階段に人の影がリビングの扉越しにはっきり見える。そして、父の話をすれば、父の写真が壁から落ちる・・・・、客が来たかと思えば、頭から客が消えていく・・・といった有様だったのです。
しかし、反対に、出かけるときによく物が失くなることや、車のドアが閉まらない事があったのですが、見つかって家を出た時、最初に探した時間に出かけたなら、大渋滞だったとか、事故に巻き込まれるところ(センターラインから車が飛んできていた後だった)だったり、色々救われる事がありました。私たちは、金の光のいたずらだと考え、助かったと思っていました。
自衛をしたのですが、しきれず、何度かとある霊能者さんが来て、家の真ん中に霊道が通っていること(それは自分でも分かっていました)、そして、私がその場所どんぴしゃに寝ていて、心臓の動悸で息苦しくなる事もそのせいだと申しました。地場は完璧に狂っていました。が、彼は、光の珠は、「座敷ワラシ」であり、クローゼットの目玉は、かなり中を覗き込み「マックロクロスケ」だと申しました。天井裏には衣装があると申しました。彼氏は、何度も家に来て、結界を張り、地鎮祭をし、お札を貼っていきましたが、一日経つと全て効果はありません。何度も貰ったパワーストーンは千切れ、色が変わっていました。
私はそうして、入居して一年で倒れ、狭心症の発作を起こしました。そして医療ミス。カテ中、急性心筋梗塞を起こし生き返って帰ってきて、また3ヵ月後には、狭心症の発作。結果は完全な再狭窄でした。そして、2度手術を受け、ステントを5本も入れてました。私は、井口清満さんに来ていただくのを辛抱強く待ち、やっとこの夏に来ていただきました。
彼氏が言うには家の中には人がいるということ。それはレリーフの人間がらみで、レリーフに憑いた何かと、おじさん、そして、大学の卒業式のような袴を履いた結った髪に大きなリボンをつけた女性。彼らは比較的家の中で自由に動け、そして地縛した子供がいるということでした。そして、家の中には大きな霊道が横幅2m、縦幅2階以上に通っているともおっしゃいました。金の光も見えたそうです。そして、大家は6年の忌明けの理由でこの家を貸したのではないかと言いました。
そう。2階のキョロキョロした目玉は、そこに地縛して動けない子供の霊の目玉だったのです。
井口さんが浄霊をされている間、私は横で一部始終見て、確かにおじさんと、女性、そして子供たちが上がっていったのを見ました。不思議な光景でした。浄霊が終わった後、金の光が変わって、人型になりました。それを見て井口さんはおっしゃいました。「金の光はtomoさんの亡くなられたお父さんだったんですね。心配で付いてきて、そのままここにいるんですね。だけれど、どこにでも付いていけたようですよ?」と言われると私は確かに、金色の光が旅行先にどこにでも着いてきたことを申しました。そして、亡父は井口さんのいらっしゃる間は、階段のところからリビングを覗き込んでいました。
そうして、終わったわけではなく、その日オカルト嫌いの主人に話をしたところ、決して動かなかった主人が一晩で引っ越し物件の目安を見つけてきて、私はとりあえず翌日子供の手を引いて炎天下に事務所に行き、実は物件を見ずに「次」を決めたのです。同じマンションの違う物件は空いていましたからそれを見て判断したんです。
そして一ヵ月半後、引っ越ししました。当日、最後に出て行く時に、先ほどあれほど引っ越し業者さんが歩いていたのに、私はどこから出たのかガラスの破片を踏みつけ、足をぐっさり切りました。私はその家に、拭かずに切った所から血を何滴か垂らし、そして、前の霊能者さんに貰った全ての水晶の石を庭から引き抜き、貰った死ぬほど沢山あるお札を、「そこら辺のゴミ箱」に捨てました。到底新しい家に持っていかれないし、お焚き上げまで待てなかったのです。
主人が最後に家を明け渡しに立会い、そうして割とあっさり事務手続きも終わりました。そして、敷金が返ってきて、始めて縁が切れたのです。
井口清満さんからの視点はここで
「賃貸物件の恐怖」です。
霊障が続き、自分でも「混乱」しました。普通あるべき事なのかないものなのかも判断できませんでした。目の前で水道の蛇口が開いて水が出た時には、「異常だけれど異常ともう感じたくない自分」がいました。
井口さん曰く、ポルターガイストが起きるのは滅多に日本ではない事だそうです。ですが、滅多に出ない「お化け屋敷」であることは確かであった事だそうです。そしてこのブログで起きた事は、霊障真っ最中のライブ中継だったのです。
ところで、その家、6年の残り期間3年半を賃貸に出されるのでしょうか。それとも・・・・・・・・・
この話はこの辺で。