おはようございます。
tomoです。
不思議第5話として何度か書いていたのですが、あまりに厳しい話なので、あらすじをかいつまんで書くことにいたします。
時は1995年。アメリカです。
当時COMPUSERVEで通信をしていた私が英語のレッスン用に見つけたペンパルがいました。彼女は東海岸のユダヤ人。当時私は、英語を上達させたく、とある日本人の方にしつこく英語でメールを送っていました。
当時は日本語をテキストで書いて、バイナリで送るしか他に方法がなく、それに付き合ってくれたのは、オタワに住む日本人サッキーでした。ですが、サッキーとよく弁論になり、わざわざ、日本語でメールしなくても・・・・と見つけた相手が、ジョディ〔仮名)でした。
私はジョディにメールを送り、ジョディから、ピンポンのようにメールが来て・・・・・結果的に私のライティング力はついたのです。一万文字打ち込んで、一万文字の返事を受け取り・・・・・
程なく、彼女を訪ねる運びになりました。私は主人の東海岸の出張についていき、ジョディを訪ねました。
ジョディは約束の時間に遅れ、挙句、私たちをとても立派な二家に連れて行き、そこで待っているように言いました。
「ここは私の親の家。だから安全。私、自分のアパートを片付けてくる。だから、待ってて」
私は真っ青になりました。当時服部君事件もあったことですし、ジョディの家族がいつ帰ってくるか・・・そして私がここにいたら・・・・・・・・・
ジョディに何度も懇願しましたが、ジョディはそのまま私を置いて出かけました。
私は深く後悔しました。そして、家の中を見ると、ジョディの若い頃の写真や弟さんの写真が沢山飾られていました。嘘ではなく、そこはジョディの親の家。それはわかります。
途端、恐れていたことが起きました。
ジョディの弟が帰宅したのです。
当時、ゴールドマンサックスに勤めるというガタイのしっかりした弟さん。
自宅にいるのは見知らぬアジア人の女。
まぁ、簡単な話、ジョディがその場に帰ってきたからよかったものの、私たちは撃たれそうになったのです。まぁ、主人がいて、名刺を出して事なきを得ました。ジョディは詫びましたが、私はもはや聞かず。
それ以来ですか?
ジョディとメールで喧嘩し、音信普通になりました。まぁもっともその前に、ルーズな彼女を見抜けばよかったのです。
でも、運がいいほうですね。
もっと怖い目にあう方もいます。私は注意深くなりました。
まぁ、悪いことばかりじゃありませんけど。
危険は察知する前に、何か逃げ道は作ったほうがいいです。ちなみに、私はあの場にわざわざシャネルのキャビアスキンのバッグで訪ねていきました。当時の写真の私は西海岸受けするゴージャスで(ライクのりPですから)・・・・・。
それも、助かった要因のうちかななんて思いますが、本当は主人の名刺のおかげでしょうね(笑
tomo
PS:いや、こんなもんで済んでよかった。
tomoです。
不思議第5話として何度か書いていたのですが、あまりに厳しい話なので、あらすじをかいつまんで書くことにいたします。
時は1995年。アメリカです。
当時COMPUSERVEで通信をしていた私が英語のレッスン用に見つけたペンパルがいました。彼女は東海岸のユダヤ人。当時私は、英語を上達させたく、とある日本人の方にしつこく英語でメールを送っていました。
当時は日本語をテキストで書いて、バイナリで送るしか他に方法がなく、それに付き合ってくれたのは、オタワに住む日本人サッキーでした。ですが、サッキーとよく弁論になり、わざわざ、日本語でメールしなくても・・・・と見つけた相手が、ジョディ〔仮名)でした。
私はジョディにメールを送り、ジョディから、ピンポンのようにメールが来て・・・・・結果的に私のライティング力はついたのです。一万文字打ち込んで、一万文字の返事を受け取り・・・・・
程なく、彼女を訪ねる運びになりました。私は主人の東海岸の出張についていき、ジョディを訪ねました。
ジョディは約束の時間に遅れ、挙句、私たちをとても立派な二家に連れて行き、そこで待っているように言いました。
「ここは私の親の家。だから安全。私、自分のアパートを片付けてくる。だから、待ってて」
私は真っ青になりました。当時服部君事件もあったことですし、ジョディの家族がいつ帰ってくるか・・・そして私がここにいたら・・・・・・・・・
ジョディに何度も懇願しましたが、ジョディはそのまま私を置いて出かけました。
私は深く後悔しました。そして、家の中を見ると、ジョディの若い頃の写真や弟さんの写真が沢山飾られていました。嘘ではなく、そこはジョディの親の家。それはわかります。
途端、恐れていたことが起きました。
ジョディの弟が帰宅したのです。
当時、ゴールドマンサックスに勤めるというガタイのしっかりした弟さん。
自宅にいるのは見知らぬアジア人の女。
まぁ、簡単な話、ジョディがその場に帰ってきたからよかったものの、私たちは撃たれそうになったのです。まぁ、主人がいて、名刺を出して事なきを得ました。ジョディは詫びましたが、私はもはや聞かず。
それ以来ですか?
ジョディとメールで喧嘩し、音信普通になりました。まぁもっともその前に、ルーズな彼女を見抜けばよかったのです。
でも、運がいいほうですね。
もっと怖い目にあう方もいます。私は注意深くなりました。
まぁ、悪いことばかりじゃありませんけど。
危険は察知する前に、何か逃げ道は作ったほうがいいです。ちなみに、私はあの場にわざわざシャネルのキャビアスキンのバッグで訪ねていきました。当時の写真の私は西海岸受けするゴージャスで(ライクのりPですから)・・・・・。
それも、助かった要因のうちかななんて思いますが、本当は主人の名刺のおかげでしょうね(笑
tomo

PS:いや、こんなもんで済んでよかった。